冴えない俺が異世界で賢者とか、何かのバグですか!? 〜運命のミスリード〜

折口詠人

第一部

第1話:引きこもりと光の召喚

 薄暗い六畳一間のワンルームアパート。カーテンが引かれ、外の光はほとんど入ってこない。部屋の隅には空のカップラーメン容器が小さな山を作っていた。


 山田淳はパソコンの前で髪を整えていた。外出する予定はないが、オンラインゲームの前の「儀式」だった。


「今日こそは……12時間ぶっ続けで特級レイドに挑戦するぞ」


 淳は鏡に映る自分の顔を見つめた。やや痩せ型の25歳。黒髪は少し伸びていて、目の下には疲れた影が見える。


 玄関に目をやると、床には郵便物の山があった。その中には実家からの封筒も見えたが、手に取る気にはなれなかった。


「母さんからの手紙か……後でね、今は見る余裕がない」


 実家を出て3年。大学を中退してからは、短期バイトと在宅ワークを繰り返す生活だった。外に出れば視線が怖い。言葉が詰まる。そんな症状が繰り返されるたび、淳はまた引きこもりの殻に戻っていった。


 この狭いアパートだけが安全地帯だった。


 ヘッドセットを装着し、オンラインゲーム「エターナル・クエスト」にログイン。画面上に現れたのは漆黒の鎧に身を包んだ勇ましいアバター。プレイヤー名「暗黒騎士ダークファング」。


「ダークさん、来てくれたんですね!」


 ボイスチャットから歓声が上がる。淳の口調が変わった。堂々として、力強い。


「今回のボスは三段階変化する。第一形態では前衛は距離を取り、後衛が魔法で削る。第二形態に入ったら、一気に前衛が突撃。詳細は作戦書の通りだ」


「みんな、いいか? 俺を信じろ。必ず勝つぞ!」


「さすがダークさん! ついていきます!」


 仲間たちの声が響く。ここでは淳は別人だった。指揮を執り、仲間から信頼される副団長。現実では考えられない姿。


 レイド開始から二時間後。ボイスチャットをミュートにした淳は、椅子に深く沈んだ。冷めたカップラーメンをすすりながら、疲れた表情を見せる。


 現実と仮想の落差が、時に残酷だった。


 大学のゼミ発表の記憶が断片的に蘇る。たった五分のプレゼンのはずだった。開口一番、言葉が詰まった。額から冷や汗が流れ、体が震え始めた。クラスメイトの視線が針のように刺さった。


 どうにか一分話したところで、足が勝手に動いた。教室から逃げ出したあの日から、大学には戻れなかった。


「あの日、もし逃げ出さなければ……今頃は……」


「現実の僕は、こんなふうに堂々と話せないのに……なんでゲームの中だと、こんなに違うんだろう」


 溜息と共に、淳はチャットのミュートを解除した。


「休憩終了。最終フェーズに移るぞ」


 レイド戦の最終フェーズ。淳は冷静に指示を続けた。


「最後の攻撃隊形だ! 後衛は回復に専念、前衛は——」


 不意に、言葉が途切れた。部屋に奇妙な光の粒子が漂い始めたのだ。最初は気にせず、ゲームに集中しようとした。


「ダークファング? どうした? 次の指示を!」


「ちょっと待って、部屋に何か……」


 光の粒子は徐々に増えていき、やがて部屋中を覆った。渦を巻くように中央に集まっていく。


「何、これ……やめ……」


 恐怖で体が硬直した。社会不安の発作と似た感覚だった。視界が白く染まっていく。足が床から浮いたような感覚。


 部屋とパソコンが遠ざかっていく。ヘッドセットからは仲間たちの混乱した声が聞こえた。


「おい、ダークファング! 応答しろ!」


 意識が遠のく中、淳の心に最後の思考が浮かんだ。


「死ぬのかな……」


 すべてが白い光に飲み込まれた。

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