第二十四話 赤と紫の時間
夏休みに入ってからの毎日は、例年と違う。
だって、今年はすみれさんとのお出かけも、碧との合宿もある。
一人で家に篭っていた、いつもの夏とは違った。
今日はすみれさんとの約束の日だ。
キラキラと照らす太陽の下を歩きながら、駅に向かう。
すみれさんとは最寄駅ではなく、碧と初めてお出かけした駅で待ち合わせだ。
ポケットの中でスマホが震えた感覚がして、取り出す。
『おはよ、約束通り着けそうだよ。コハちゃんは、大丈夫そ?』
心配してるすみれさんの文面に、つい、口元が緩む。
あの日がきっかけで、すみれさんとリアルのSNSアカウントのIDも交換した。
だから前よりも、気楽にやり取りできるようになった。
『大丈夫。私も予定通り着く』
浮かれてしまう気持ちを抑えきれず、つい小走りになってしまう。
すみれさんとは、美術館で開催されてるマンガ展に行く。
美術館に行くのは中学の授業以来だ。
それでも、すみれさんと一緒ということもあり、ワクワクしてしまう。
駅に着けば、乗る予定の電車まであと十分ほどあった。
駅の中のコンビニで紅茶を買って、ホームで電車を待つ。
炎天下を歩いたせいか、喉がカラカラだった。
ごくごくと紅茶を飲み干せば、水分が体に染み渡っていく。
すみれさんは、私服どんな服なんだろう?
そういえば見たことなかったな。
碧みたいな、感じ?
それとも、ふわふわの可愛い系?
どんな感じでも、似合う気はする。
来た電車に乗り込んで、スマホでコーデを検索してみた。
碧に似合いそうなのは、シンプルなやつ。
すみれさんは、絵柄的には甘めを着ていそうだけど、碧と仲良いからな。
白Tシャツに、デニムのパンツとかも似合いそう。
スタイルもいいし。
メリハリがあるボディだし、すらっと背が高いから似合うだろう。
想像してる間に、電車はいつのまにか目的の駅に到達する。
『着いてるよ』
というすみれさんからのメッセージもちょうど届いた。
返信するよりも先に、体が動く。
走って階段を下って、改札を通り抜ける。
目の前をふわりと、白いワンピースが揺れ動いた。
かわいい……!
視線を上にあげれば、キレイなピンク色の髪。
「すみれさん?」
私の声に、一瞬で振り向く。
すみれさんの首元には、真っ白なリボンが結ばれている。
ワンピースから繋がっているらしい。
同じ生地でできていて、ふわふわツルツルしていた。
「え、マジで可愛いんだけど!?」
驚きと、喜びで大き声が出てしまう。
すみれさんは困ったように眉をひそめて、しーっと人差し指を唇に当てた。
慌てて両手で口を押さえて、すみれさんの横に並ぶ。
「おはよ、コハちゃん」
「おはよ、すみれさん! マジ可愛い。こういう系だと思わなかった」
イラストの通り、ゆるゆるしていて、甘くて、とろけてしまいそう。
思ったまま口にすれば、すみれさんは照れたように耳を赤くする。
「コハちゃんならそう言ってくれると思って、初めて着たの」
はにかんだ表情が、あまりに可愛すぎて、喰らってしまった。
悶絶しながら、なんとか首を縦に振る。
かわいい、めちゃくちゃ可愛いよ。
「変じゃない、かな」
私は、すみれさんの自信満々なところしか見たことがない。
だから、心がくすぐられてしまう。
気持ちを抑えきれずに、大きな声になってしまった。
「本当に、可愛いよ!」
「ありがと」
「マジだからね、いや本当にかわいすぎて、やばいです……」
しおしおと萎れていく言葉に、本気は乗ってくれたようだ。
すみれさんは安心したように、一息吐いてから、前を見た。
「ありがと、行こ!」
美術館まではここから地下鉄で十分ほど。
さらに、歩いて五分だったはずだ。
まずは地下鉄に、向かわなきゃ。
一番近いエスカレーターを降りながら、じっくり観察してしまう。
最初はワンピースだと思ったけど、中はどうやらパンツになってるらしい。
真っ白な足が目に入って、悪いことをしてるような気になってしまった。
目を上に逸せば、聞こうと思っていたことを思い出した。
「そういえば」
「ん?」
「すみれさんって、本名?」
私の問いかけに、すみれさんはふっと笑いだす。
笑ってない時の真顔はやっぱり、またちょっと怖い。
でも、怒ってないことがわかってるから、ビクビクはしない。
地下に着いて、エスカレーターを降りる。
すみれさんは一瞬だけこちらを振り返った。
「本名じゃないよ」
「え、違うの?」
「違う違う」
教えてくれないまま、すみれさんはまっすぐ前を向き直す。
すみれさんの後ろを追いかけはした。
それでも、人が多くてはぐれてしまいそうだ。
一人でまごついてる私に気づいたのか、すみれさんは左手を差し出す。
「はぐれちゃうから」
ぶっきらぼうな言い方なのに、いつものすみれさんの優しさがこもってる。
やっぱり、ママみたいだ。
「ママー!」
「それ、公共の場でやめて」
「ごめんなさーい」
軽く謝りながら、すみれさんの左手を取った。
すみれさんの手はほかほかとあたたかくて、すべすべしてる。
「すみれさんの本名って何?」
「そんなに気になる?」
「聞きたいじゃん」
すみれさんという呼び方を変えられるかは、置いておいて。
一瞬悩んだ表情をしていた。
そんなすみれさんに目を奪われていれば、改札が近づく。
ICカードをしまったことを思い出して、ポケットを右手で探る。
「置いていくよ」
そう言いながらも、手はしっかりと繋いだまま。
置いていく気は一ミリもないのだろう。
やっとの思いで掴んで、ポケットからカードケースを引きずり出した。
ピッと機械音がして、二人で改札を通り抜ける。
もう一つエスカレーターを降れば、電光掲示板が目に入った。
地下鉄は、五分に一本程度くるから待つ必要はない。
「すぐ、来るみたいだね」
すみれさんの言葉と同時に、到着のアナウンスが入る。
二人で乗り込めば、車内は多くの人で賑わっていた。
扉側に、並んで立つ。
これですみれさんに、逃げ道はない。
「で、本名何なの?」
「そんなに気になる?」
「だって碧の前ですみれさんって言えないし」
「すみれさんでも、問題ないよ」
問題ない。
近い名前、もしくは、あだ名がすみれさんなんだろう。
それでも、モヤモヤとするから答えが欲しい。
すみれさんは背中を壁に預けて、足を組む。
すらりとして、キレイだ。
碧もそうだけど、毛穴のアトすらないのは羨ましい。
脱毛とかに通ってるんだろうけど。
「足、見過ぎじゃない?」
「ごめんごめん、キレイだなぁって」
「脱毛してるからね、めんどくない? いちいち剃るの」
わかる。剃ったり、抜いたりは、本当にめんどくさい。
それでも、お金がないので脱毛には通えなかった。
「碧もすみれさんも、バイトとかしてるの?」
「あーうん、まぁねー」
ふんわりと誤魔化される。
一応、高校的にはダメではないけど、許可証が必要だったはずだ。
きちんと取ってないのかもしれない。
私は、そんなことを指摘するようなタイプでもないのに。
「で、結局答えてくれないの?」
次の駅にあっという間に到着して、扉が開く。
ダダダっと乗り込んできた人に押しつぶされそうになりながら、身を捩る。
すみれさんが、私の左手を掴んでぐいっと引き寄せた。
「すみれさん……?」
「潰れちゃうから、こっちおいで」
すみれさんの胸元にむぎゅっと押し付けられながら、人波をやり過ごす。
すみれさんからは、花のような香りがする。
いい匂いで、心地よかった。
扉が閉まり、満員になった地下鉄の中で、ヒソヒソと言葉を交わす。
「大丈夫?」
「すみれさんのおかげで」
すみれさんに抱きしめられながら、揺られる。
顔に時折触れるすみれさんの服がツルツルで気持ちいい。
次の次の駅に着いても、人は減らない。
永遠にこの時間が続くような気がしてしまう。
「次で降りるから、もうちょっと我慢して」
「次?」
駅名を見れば、もうそんなところに辿り着いていたらしい。
駅にたどり着いて、吐き出されるように二人で降りる。
結構な人が降りたようだった。
この駅付近にいろんな施設があるからだろう。
すみれさんは当たり前のように左手を私に差し出すから、二人で手を繋いで改札へ向かう。
地下鉄の中は冷房が効いていたからか、外に出た瞬間むわっとした空気に包まれた。
「あっつ!」
「ねー、やばい暑い」
二人でパタパタと服を動かして、風を取り込む。
風がなかなか吹いてくれないから、体感温度はより高く感じた。
「こっちで合ってる?」
すみれさんに尋ねれば、首を傾げられた。
「すみれさんも来たことないの?」
「ないない。付き合ってくれる人いないし、一人で行く勇気はないし」
意外だ。
すみれさんも碧も一人で、なんでもできそうな人なのに。
まぁ、私も一人で行く勇気はないけど。
左手はすみれさんと繋いだまま、右手にスマホを取り出す。
ナビを合わせれば、私が指し示した方向で合っていたらしい。
「あ、こっちで合ってるって!」
すみれさんが私のスマホを見ようと、顔を近づける。
頬がくっつきそうな距離感に、どきんっとしてしまった。
ぐっと眉間に皺を寄せた姿は、不機嫌そうに見える。
知らない人から、見れば。
「すみれさん視力悪い?」
「かなり」
「メガネは?」
「いつもは、カラコンなんだけど……今日は忘れてきた」
てへっと笑った姿に、えぇ? と驚きの声をあげてしまった。
「とりあえず向かお」
二人で歩きながら、すみれさんもそれほど浮かれていたということに気づく。
「すみれさんも、そんなに楽しみにしてたんだね」
「うるさいです」
「照れなくてもいいじゃん」
「うっさい、コハちゃんすぐ調子乗るでしょ」
よく分かってらっしゃる。
そりゃあ一番仲の良い友だちなだけある。
ネットでしか、繋がっていなかったけど。
ナビ通り進めば、木々に囲まれた美術館が目に入った。
「あそこだ!」
「あ、あったね! よかったよかった」
木々の間を通り抜ければ、暑さは幾分かマシになる。
はぐれないように繋いだから当たり前なんだけど、すみれさんが手をぱっと離した。
ちょっと、寂しい気持ちになってしまうのは、碧に慣らされてしまったからだろう。
気にしないようにしながら、木々の隙間から溢れる光を観察した。
風で気が揺れるたびに、こもれびも合わせて形を変える。
何かに、使えそうな気がしてきた。
すみれさんも同じだったらしい。
視線がずっと、こもれびを追っている。
美術館の入り口には、今やってるマンガ展のポスターが大きく貼り出されていた。
二人で美術館に入って、チケットを買う。
「学割あるのいいよね。知らなかったけど」
「美術館とかでもあるんだね、私も知らなかった。すみれさんの方が詳しそう」
「だから、行ったことないんだって」
そういえば、そうだった。
てへっと笑えば、はぁっとため息を吐かれた。
さっきまですごい優しかったのに!
でも、いつものすみれさんらしくて、安心する。
チケットを持って、展示場所に入る。
著名な漫画家さんの原画や執筆風景の写真などが、並べられていた。
「ここからは、しーだよ」
子供に言い聞かせるようにすみれさんが、言うから。
やっぱり、ママだなと思ってしまう。
小さく頷いてから、それぞれで展示を鑑賞した。
少女マンガ、少年マンガ、ジャンルはさまざまだ。
執筆風景はごちゃごちゃとした人も居れば、整理整頓されている人も。
本当に、千差万別だ。
原画も細かい書き込みがされていて、マンガを読んだだけではわからなかったことを知れた。
そんな細かいところまで考えて、コマを作ってるのか。
感動しながら、一つ一つ目を凝らして見つめる。
私は、感覚に頼りすぎてるかもしれない。
碧のMVを作るためにも、もっと、できることを探さなくちゃ。
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