第二章 青に迫られる
ケガをさせたいわけじゃないから、抱きとめる。
私の腕の中でくるんっとこちらを振り向いて、私に迫ってきた。
あまりの距離の近さにズリズリと後ずさる。
私が後ろに避けても、そのまま近づいてきて、顔を近づけてくる。
「やめてよ」
「いやだ!」
トンっと壁に背中がぶつかった。
両手で私の肩を掴んで、完全に私の逃げ道を塞ぐ
「形勢逆転?」
「自己中って言われない?」
「ガンコとは言われるけど、一途なだけだし」
それは、自己中と同意義なのでは?
「旧校舎には、物を取りに来ただけだけど……スイマジの曲が聞こえたから」
私が先ほどからスマホ掛けていた音楽が、聞こえてしまっていたらしい。
少女は片手を私の肩から離して、黒板を指さす。
「この黒板アートも、スイマジのthinkigでしょ?」
正解、だった。
歌詞を噛み締めるたびに、涙が出そうになってしまう大好きな曲。
「私も大好きだから、一発でわかった」
歌詞をそのまま絵にしたわけでも、MVを絵にしたわけでもない。
私なりの解釈で、描いた絵だった。
こんなキラキラとした人が聞くような曲じゃない。
勝手に決めつけて、ハッとする。
thinkingの歌詞は、思考を止めるな、ということを歌っていたのに。
「この人は、考えて不安でも答えを出そうとしてるところでしょう? 私には、わかるよ」
先ほどまでの強気な態度から変わり、私をまっすぐな視線で射抜く。
絵を描くのが、昔から好きだった。
将来職にしたいほどか、と問われれば、はっきりとは答えられなかった。
だって、簡単なことじゃないと知っていたから。
それでも、「いつか報われて欲しいから立ち止まるな」と言ってくれたこの歌に、私は救われた。勝手にだけど。
不安とか、周りからの目線とか、そういうのに囚われて夢じゃないって思い込んでた私の背中を押してくれた歌。
「これだけ読み取って、表現できるあなたの絵がいいの。あなたの絵でMVを出したら、絶対私は見つけてもらえる」
真剣なことを言ってるくせに、私の肩を掴んでる手は、ぐわんぐわんと私を揺らす。
駄々をこねる赤ちゃんみたいに。
「だから、おーねーがーい! うんって言って!」
「うんって言う前に、あなたの曲も知らないし、あなたのことも知らない」
単純に無理とは、もう言えなかった。
「あと、とりあえず酔いそうだから揺らさないで」
肩を揺らしていた手をぐっと掴めば、大人しくやめる。
そして、私の手に指を絡ませて、手を繋いだ。
「これはなに?」
手を持ち上げながら尋ねれば、悪びれもせずに濁りと笑う。
「逃げないように! 自己紹介からだね」
「逃げないから離して、よ」
人と触れたのはいつぶりだろう。
小学生の時くらいに、「隣の人と手を繋いでください」と言われた時が最後な気がする。
柔らかくて熱い他人の体温。
普通のことのように手を繋いだまま、女の子は私の横に座り込む。
「
「芹沢さん……」
「選択の数学Bは一緒のクラスでしょ」
存在は、知っていた。
あーちゃんと呼ばれていて、キラキラした人たちにいつも囲まれている。
みんな可愛いし、メイクもバッチリだし、制服の着崩し方もおしゃれなグループの一人だ。
こんなに鮮やかな青色をした髪の毛、一回見れば忘れない。
「磐井さん、いっつも一番前だから目に入ってないんじゃない?」
目に入らないわけがないでしょ、と思いながらも名前を知られていたことに驚く。
「名前、知ってたの?」
「そりゃ、選択だけだけど同じクラスだからね」
ふふんっと自慢げに微笑む。
覚えられてるとは、思っていなかった。
普通のクラスメイトですら、私のことは眼中にないし、交流もしていない。
下手したら苗字どころか、私がクラスメイトって覚えられていない可能性すらある。
「磐井
下の名前まで、知られている……。
明るい子というのは、みんなこういうもんなんだろうか?
多分、違うな。他人に興味があるんだな、私と違って。
「人の名前、覚えるの得意なんだよね」
「へー」
「急に興味失くすのよくないよ!」
ぷくっと膨らんだ頬に、くすりと笑ってしまった。
私の反応に安堵したのか、芹沢さんは私の手をもみもみと弄ぶ。
「で、紅羽ちゃんはどうして嫌なの?」
「どうしてって」
「私みたいなタイプ嫌い?」
図星な質問に、どきりと胸が鳴る。
嫌いというわけじゃない。
羨ましくて、苦手。
キラキラ輝いていて、人生の主役で、楽しそうな人が眩しすぎて得意じゃない。
「紅羽ちゃんは、一人が好きなのかなって思ってたから……それでも、やっぱりこの絵を見ちゃうと紅羽ちゃん以外いないんだよなぁ」
黒板を見つめて、ぽつりとつぶやく。
一人が好きなわけじゃない。
他人が思う通りに行動するのが、苦手なだけで。
ぎゅっと手を握りしめれば、繋がれたままのせいで芹沢さんの手を強く掴んでしまった。
「これ、いつまで撮るの?」
芹沢さんが教室の中央に置いたカメラを、指さす。
「決めてないけど……」
気分が乗る限りは描くつもりだったし、特に帰っても予定はないから時間を区切ってはいない。
私の作品を待ってる人も、いるわけではなかった。
これは、ただの私のラブレター。
私を包み込んでくれた大好きなアーティストへの、恋心だった。
「じゃあさ、カラオケ行こ!」
「へ?」
「私の歌声聞いて。あと、スイマジのMV見よ」
友人とカラオケに行ったことも、今までなかった。
自分自身の歌声に自信はないし、小さい頃の呪いが脳裏に過ぎるから。
それでも、芹沢さんは引く気がないらしい。
急に立ち上がって、ぐいぐいと私の腕を引く。
「奢るから! ね! お願いお願い!」
MVのイラストを描いてくれとねだった時と同じように、お願いと何度も繰り返す。
一番面倒な人に見られてしまったな……
バカにされるかも、と不安に思っていたけど、それより厄介だ。
「いやだ」
「どーして!」
「描く気ないから!」
「じゃあ、シュガーとして仲良くして!」
シュガーはスイマジのファンの名称だった。
私は、別にシュガーじゃない。
スイマジのことは本気で愛してるし、一生を捧げるつもりはある。
でも、ファンクラブに入ってるわけじゃない。
それに、ライブだってまだ行けてない。
シュガーを名乗るには、愛が足りてないと思う。
「それに、ここ暑すぎない?」
芹沢さんがパタパタとシャツの胸元を、引っ張る。
繋いだ手は汗をかいて、じっとりしていた。
「まず、手を離せばいいじゃん」
「そしたら、紅羽ちゃん逃げるじゃん」
「逃げるけどさ」
「ほらぁ! 私の歌聞いてよ。絶対描きたいって思わせるから」
どこからその自信が来るのかわからない。
それでも、自信満々なところも気に入らなかった。
「カラオケだけでも、付き合って」
「そしたら、芹沢さんはうるさく描いてって言わなくなる?」
「え、嫌だよ。頷いてくれるまで言い続ける」
はぁっと深いため息を、吐き出す。
「それに、碧って呼んで! 芹沢って固くない?」
「……あっそう」
「あ、呆れた! ほら、セリザワってカクカクしてるじゃん。アオイの方がこう爽やかな感じしない?」
よくわからないけど、面白い考え方だなと思ってしまった。
芹沢さんの言葉で表すなら、私の名前はどちらもカクカクしてる気がする。
「芹沢さんは、いいね」
「でしょ? 私もそう思う。あと碧ね」
「自分のこと好きなんだね」
嫌味たっぷりに口にすれば、疑いもせず芹沢さんは頷く。
そして満面の笑みで、答えた。
「だって、私は私しかいないし。好きでいたいからこそ、できることはやりたいんだよ」
臆面もせずに、自分を好きだと言える芹沢さんがやっぱり苦手だ。
それでも、カラオケぐらいなら行ってもいいかと思えるくらいには、芹沢さんの歌が気になっていた。
私は私しかいない。
好きでいたいからこそこそ。
そんな考え方に心惹かれてしまう。
あまりにも眩い光すぎて、引っ張られてしまいそうになってる。
「カラオケだけ、だよ」
「ほんと? ありがと! 行こ! 荷物どれ? カメラは持ってくの? 黒板はこのままのほうがいいよね」
「手離して、準備するから」
「逃げない?」
しつこく確かめる芹沢さんに、大きく頷く。
逃げるくらいだったら、もうとっくの前に手を振り解いてるよ。
教えてあげないけど。
渋々と芹沢さんは手を離す。
カメラの撮影をオフにしてから、黒板に近づく。
芹沢さんは、ソワソワと私の後ろをついて歩いてきた。
生まれたてのヒナみたいでちょっと、胸がきゅうんっと締め付けられる。
消されてしまわないように、黒いシートで黒板を覆う。
「あ、私あっち貼ってあげるよ! 二人でやったほうが楽でしょ?」
「ありがと」
「いえいえ! いいとこあるでしょ?」
アピールを欠かさない姿勢に、つい笑ってしまう。
芹沢さんの表情が、ぱぁああっと明るくなった。
「紅羽ちゃん、やっと笑った!」
「別に、笑わないわけじゃないし」
パチンっと音を立てて、マグネットをシートの上から黒板に貼り付けていく。
左の頬にだけ浮かび上がるえくぼが嫌いで、あんまり笑わないようにしていた。
「はい、こっちもおっけー! じゃ、カラオケ行こう!」
ぱっぱっと両手を払ってから、私に向かって走ってくる。
そして、当たり前のように手を繋いで、教室を出ようとした。
「鍵掛けるから」
「ん? 片手繋いでてもできるでしょ」
「誰にでもそれやってんの?」
「んーん! 紅羽ちゃんと手を繋ぐの、いいなぁと思って」
よくわからないけど、変わってる子なことだけはわかった。
そして、そんなところが嫌いじゃないことも。
「そう」
カチャンと音がして、教室に鍵が掛かる。
鍵を返しに職員室に行かなきゃいけない。
けど……さすがに手を繋いだまま、新校舎内を歩きたくなかった。
真っ青な髪で目立つ芹沢さんと、地味で化粧もしていない私。
二人が手を繋いで歩いているところを見た人は、ギョッとするだろう。
「職員室寄らなきゃいけないから、昇降口で待っててよ」
「え、私も一緒いくよ?」
ぶんぶんと私と繋いだ手を振り回して、一緒に行こうとする。
見られたくない、っていう意味だったんだけど伝わっていない。
「友だちに見られたらどうすんの?」
「どういうこと?」
「こうやって手を繋いでるとことか、私と一緒にいるとことか」
何が悪いことなのか、本気でわからない顔をしてる。
不思議そうに首を傾げて、私の顔をまじまじと見つめた。
「釣り合わないとか、変な組み合わせとか、言われるよ?」
「他人からのそういうの、どうでも良くない?」
キッパリと伝えられた言葉に、やっぱり私とは全然違う人だなと思う。
あまりの堂々とした答えと、声のトーンが合わなくて、高低差に頭がキーンとなった。
「不安になったり、傷ついたことないの?」
言わなくていい事だったと思う。
のほほんとした子に向かって言われる「悩みがなさそうでいいね」は決して褒め言葉じゃない。
それに近しい言葉を発してしまったことに後悔を感じながら、様子を窺う。
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