第一話 青が目に染みる

 スマホで掛けた音楽に合わせて口ずさみながら、黒板いっぱいにチョークを塗り広げる。

 今回は「黒板アートにしよう」と思い立ったのは憧れからかもしれない。


 私たちの世代は黒板よりもホワイトボードの方が馴染み深いし、実際使った数は少ないはず。

 それでも、SNSに上がっていた先生方からの激励のメッセージたちに憧れを持っていた。


 理由は、それだけではないけど。

 チョークを黒板に擦るたびに、煙たい粉が舞う。

 マスクをしながらの作業は、夏に近づいてきた春には暑い。


「なんで、こっちはエアコンないんだよー!」


 一人で駄々をこねながら、イスに座る。

 イラストを描く前の旧校舎の教室の黒板には、消しきれないチョークの跡が残っていた。

 それすら、少し愛おしく感じてしまうのは、我ながら文学的すぎるだろうか。


 まだ春だというのに、暑すぎる教室のせいで汗が噴き出ていた。

 額から垂れてきた汗を雑に腕で拭ってから、窓に近づく。


 窓を開ければ、教室内よりいくらかマシな涼しい風が入ってくる。

 旧校舎からも新校舎のグラウンドは見えて、声を上げながら練習をする陸上部が目に入った。


「ちょっと、羨ましいよねぇ、仲間がいるっていうの」


 ひとりごとをぶつぶつと呟きながら、風を浴びる。


「まぁ、人と関わるのめんどいからいいんだけどさっ!」


 自分に言い聞かせるように、窓に垂れかかりながら汗を垂らす陸上部を眺めた。

 慣れてきたせいか、風は生ぬるくなってしまう。


「あーあやだやだ、ひとりごとばっか増えてく」


 自分がこんなに、ひとりごとが多い自覚はなかった。

 それでも、一人旧校舎で作業をしていると、嫌でも耳に入るのは自分の声だけだ。

 だったはず。


 パタパタとスリッパのような足音が聞こえて、慌ててスマホを引き寄せる。

 そして、窓から出していた体をできるだけ低くした。

 スマホで掛けていた音楽を消しながら、考える。


 こんな時間に、旧校舎に来るなんて、どんな用件だろうか。

 悪いことをしてるわけでもないのに、息を止めて通り過ぎていくのを待つ。

 私の願いも虚しく、教室の扉ががららっと音を立てて開いた。


 真っ青だ。

 震えるほどの、青。


「これ、書いたの、あなた?」


 ズイズイと遠慮なく近づいてくる目の前の少女の質問に、悩んでしまう。

 真っ青な髪色で、ふわりとした髪型も相まってクラゲみたいだなと関係ない考えが浮かんだ。


 答えない私に不思議に思ったのか、目の前の少女はますます顔を近づけてくる。

 くるんっと上がったまつ毛に、グレー? 水色? のカラコン。

 口角がきゅるんっとしていて、可愛らしい……


「ねぇ、違うの? そうなの? どっち〜?」


 ふわりと漂う甘ったるい香りに、むせそうになりながら頷くかどうか悩んでしまう。

 答えない限りは、解放してもらえそうにはなかった。


「だとしたら、どうなわけ?」


 ちょっと、ケンカ腰になってしまったのは申し訳ない。

 でも、私には限界だった。

 元々人付き合いが苦手なのに、ましてや、こんな派手なタイプと関わり合いにあったことはない。


 どう答えていいか悩んだ結果、勝手に口からケンカ腰の言葉が出ていた。


「めっちゃ、素敵!」


 うんうんと大きく頷いて、私の両手を握りしめる。

 手まで柔らかくて、可愛らしい。

 ぎゅうっと強く握りしめて、目の前の少女は私をまっすぐ見つめた。


「お願い! 私のMV作るの手伝って欲しいの!」

「えむ、ぶい?」


 意味がわからない。

 いや、MVの意味は厳密に言えばわかるんだけど。


「そう、MV! 私、将来国内で一番聴かれるアーティストになるんだ」


 まるで本当に決まってることのように断言して、目をキラキラさせる。

 目の前の少女の手を振り解けばいいのに、抜け出すことができない。


「だから、そのお手伝いとしてMV作って欲しいの!」


 作れないわけじゃない。

 この黒板アートだって、好きな歌手に捧げるファンアニメーションになる。

 それに、いつもは黒板ではなくパソコンで作ってるのだから。


 できなくはない。

 でも、そういう問題じゃない。

 微塵も断られると思っていない表情で、私を見つめてる。


 誰も彼も、自分に甘いと思ってるような姿に、ちょっとだけ嫌な気持ちになってしまった。

 自覚はしてるけど、私は本当に性格が悪い。


「無理、でし」


 ノドの奥が緊張で、ぎゅうっと締め付けられたせいで、噛んでしまった。


「お願いお願い! 絶対、あなたの絵がいい!」


 手を振って、ふり解く。


「むりむりむりむり、そんなの絶対むり!」

「どうしたら、やってくれるの!」


 むっと突き出した唇に、自分が可愛いとわかっていてやってるんだろうなぁと冷めた目線を送ってしまう。

 私が一番嫌いなタイプだ。


 可愛いから、自分の意見は通ると思っていて、傲慢で、自分勝手で……


「ね、お願い。なんでもするから」


 こてんっと甘えるように首を傾げるから、ちょっと揺らぎそうになる。

 可愛いから本当に、お願いが今まで通ってきてしまったんだろう。

 でも、私は、あなたのことは知らないし、絆されない、


 ふいっと顔を逸らして、見ないように少女の背中をぐるりと回転させた。


「出てって」

「いや! 作ってくれるっていうまで、出てかない!」

「あなたも旧校舎にわざわざ来たんだから、用事あるんでしょ? 私のことは放っておいて!」


 グイグイと背中を押せば、意地でも出ないように足を突っ張る。


「あなたじゃないと嫌なの!」

「は?」


 つい、口から出た言葉に取り消しは効かなかった。

 私は性格が終わってる自覚もあるし、口も悪い。

 だから、人を不快にしてクラスメイトと不仲になるのも納得してる。


 そもそも、仲良くしたいとも思ってないし。

 少数の信じられる友人がいれば、充分だし。


「は? はひどくない? なんでそんなに、頑なに聞いてくれないの? スゥイーティーマジック好きなんでしょ!」


 確かにスゥイーティーマジック、通称スイマジは私の好きなバンドだ。

 それでも、それとこれは関係ない。

 押していた手が勝手に緩んで、少女がふらりと私の方に倒れてきた。

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