第三話 それでも、突き放す



「不安は付き纏うし、傷つくことばっかりだよ。でも、だからこそ色々学べたり、楽しいこともあったりするんだと思う」

「芹沢さんって不思議」

「アオイね」


 見た目で勝手に想像していた性格と、キャッキャっとした様子。

 時々、そういう人から出される答えとは到底思えない返答が出る。


「……紅羽ちゃんは、私のことただのバカだと思ってる?」

「バカとは思ってない。でも、人生楽しくていいなと思っちゃってた」

「人生は楽しいよ。でも、楽しくするために、私は考えてるよ」


 小さい声で返ってきた言葉が、本物の芹沢さんの気がしてしまう。

 見た目や明るく振る舞う姿は、ただその場限りの取り繕った姿のような。


「こうやって考える私も私だし、明るく振る舞う私も私だし、今その場で思う通りに動いてるだけ、なんだけど、変?」


 芹沢さんのは不安そうに、ちょっとだけ眉毛を下げた。

 空気の読めない発言ばかりするから、私には友だちがいない。

 わかって、いつも、反省して、じゃあもう一人でいいやと答えを出してきたのに。

 芹沢さんの悲しそうな瞳は、なぜか心にくる。


「ごめん、変とは思ってない」


 旧校舎の昇降口に辿り着けば、吹奏楽部の演奏が耳に入った。

 統率された音に圧倒されながらも、スリッパを脱ぐ。

 そして外靴に履き替えようとしゃがめば、繋がれた手のせいで芹沢さんを引っ張ってしまった。


 バランスを崩した芹沢さんが、私に倒れ込む。

 さっきもやったな、こんなやりとりと思いながら受け止めた。


「ごめん」

「ううん、わざと」


 てへっと小さく舌を出すから、これは怒っていいやつだと思う。


「危ないでしょ!」

「紅羽ちゃんが、手を繋いでるの忘れるからじゃん」

「芹沢さんが離さないからでしょ!」

「さっきから言ってるけど、碧って呼んでよ! アオちゃんとかでもいいよ?」


 諦めない姿勢に、私が折れる番だった。

 あまりの強引さに、折れてばかりな気もするけど、悪くない気分。


「碧」


 小さく呼びかければ、嬉しそうに私の背中に抱きつく。

 今日だけで、一生分のスキンシップを取った気がする。


「なーにー?」

「重い」

「重くないし! ひどいこと言わないで」


 碧は私からパッと離れて、下駄箱から靴を取り出す。

 ぽいっと投げ捨てて、スリッパを脱いだ。

 可愛い赤っぽい色のローファーに足を入れて、トントンっとつま先を蹴る。


 赤い色のローファーなんて、初めて見た。

 私がパチパチと見つめていると、碧は私の方を一回だけじろりと睨む。

 そしてもう一回、大切なことのように口にした。


「重くないから!」

「ごめんごめん」

「まぁ、いいけどさ。早く職員室寄ってカラオケいこ!」


 決まりのように、また私の右手を掴む。

 何かを言うのはもうやめた。

 私も握り返せば、隣で「えへへー」とわざとらしい笑い声が聞こえる。


 試されていたのかもしれない。

 まぁいっかと思いながら、碧と同じペースで新校舎へと足を運んだ。


 ***


 カラオケの部屋に入った途端、碧はジュースを2つ頼んだ。そして、遠慮なく私の隣にピッタリと座る。


「近くない?」

「まだ、紅羽が逃げないって安心してないから」


 鋭い眼光で私を見つめてから、カラオケのリモコンに手を伸ばす。

 小さく「どれにしよっかなぁ」と呟きながら、選曲を始める。


 部屋には、ぴっぴっと操作する音が響いた。

 カラオケは空調がしっかりと効いていて、涼しい。

 汗はいつのまにか、すっかり引いている。


「紅羽は、どれがいい?」


 差し出されたリモコンの画面には、スイマジの曲がずらりと並べられていた。

 私の前で、歌ってみせるということだろう。

 どれだってよかった。


 スイマジの曲は、ボーカルのスズハルが歌うから良いのだ。

 どれだけうまかろうと、私は認められないから。


 決めない私に痺れを切らしたのか、碧はリモコンを自分の方に引き寄せる。


「じゃあ、thinkingにする」


 ピッと操作したタイミングで、扉がノックされる。

 ジュースを店員から受け取って、テレビをぼんやりと眺めた。


 聞き慣れたギターの音が響く。

 MV映像を選択したようで、スズハルが目を閉じて歌うシーンから始まった。

 顔が好きなわけじゃない。

 でも、美しくて、まるで石膏みたいだなといつも思う。


「聞いててね、しっかり」


 碧はマイクを握りしめて、私の方を見つめながら歌い出す。

 碧の声は透き通っていて、キレイで、耳に優しく響く。

 スズハル以外が歌ったthinkingで、初めて、私は……





 ぐすっと私の鼻を啜る音だけが、部屋にこだまする。

 歌い終わった碧は何も言わずに、ただ私の背中をさすった。


 泣くとは思ってもみなかった。

 スイマジの音楽を聞くたびに、私は涙を堪えきれなくはなる。

 でも、それは、スズハルの優しい声と、聞いてる人一人一人を見つめてるように錯覚させる歌い方のせいだと思ってた。


 だって、誰かのカバーでは私は泣けない。

 私は、スズハルの声でだけ。

 歌だけが、響くのだ。

 そうじゃなきゃ、おかしい。

 だって、私は、スイマジを、スズハルを愛してる。


「どうだった? って聞くまでも、ないよね」


 私の背中を撫でる手を止めずに、碧は少し照れくさそうに笑う。

 碧の声は、あまりにも美しすぎた。

 耳元で囁かれているような錯覚を起こしそうな、静かで、力強い歌声。


「じゃあ、紅羽にお願いが一個あるの」


 カラオケに来るまでに、どんな話をしたかも覚えていない。

 スイマジのアレが好きとか、スズハルのメイクの話とか、そんなのばっか。

 それなのに、碧の私の呼び方は、ちゃんが消え去っている。


 親しくなった気になりやがって。

 そう思うのに、否定する気が起きないのは、絆されてるからかもしれない。

 失礼な物言いにも、性格の悪い私の返しにも、碧は怯まなかった。

 むしろ、面白がってさえいた。


「私のオリジナル曲を聞いてほしい」


 スマホを操作し始めたかと思えば、メロディが流れ出す。

 スイマジっぽいけど、スイマジよりテクノチックだ。

 正直、音楽は詳しくない。

 弱い人に寄り添うスイマジが好きなだけで、音楽が好きなわけではなかったから。

 それでも……

 碧の歌は、私を頷かせるには充分なほど、優しくて、あたたかくて、幸せに溢れていた。


 誰よりも、聞いてる人の幸せを希う歌詞。

 報われてほしい。

 幸せになってほしい。

 不幸は絶対に来るけど、負けないでほしい。


 そんな願いが込められていて、スイマジの送るメッセージに近いものを感じる。

 それでも、スイマジの二番煎じではなかった。

 スイマジのメッセージが「自分自身で立ち上がれ」と送っているとしたら、碧は「私の手を掴んで」と言ってる気がする。


 ささやかな言葉の違いなのか、歌い方の違いなのか。

 判断は付かないけど。

 私のとめどなく流れていった涙は、ぴたりと止まる。

 そして、碧を見つめて、口が勝手に承諾の言葉を発そうとした。


「私の歌、どうだった?」


 すごく、よかった。

 碧は間違いなく、有名になる。

 多くの人に歌を届けて、愛されるアーティストになる。

 一曲でそう思わせてしまうほどの、熱と実力があった。

 それでも、私は、碧のMVは作れない。

 違う、だからこそ、作れない。


「とても良かったよ。本当に上手だと思う。でも」


 でもの続きを口にできなくて、ジュースをずずっと吸い込む。

 碧は私の言葉を待つように、じっと固まってる。


 飲み込んで、碧を見つめて気づいた。

 違う。

 私の言葉を待って、固まってるんじゃない。

 不安でたまらないんだ。

 瞳には、うっすら雫が溜まっているし、微かに手が震えている。


 怖いんだ。

 私に、評価されることが。

 断られることが。

 どうして?

 碧の歌声と、歌詞なら、私みたいな人間以外に、MVを作らせてほしいという人間がごまんといるだろうに。


 不安そうにしてる碧を傷つけるのは、すごく、嫌だった。

 でも、私は私の方が大切だ。

 だから、MVは作れない。

 碧の作品を汚してしまったら、私はきっと自己嫌悪で苦しむ。


 きっと、スイマジくらい碧のことを愛せてしまう。

 ビジュアルも、声も、歌も、歌詞も、全部。

 それでも、スイマジは遠い雲の上の人で、碧は生きてる世界が違うとはいえ、顔を何度も合わせる可能性のある同級生だ。

 だから……


「ごめんなさい」


 頭を下げて、碧から視線を逸らす。

 強がったような声で碧は、言葉をゆっくり吐き出した。


「そっか! でも、諦めないからね!」


 最後の方は揺れていて、碧の動揺が伝わってきてしまう。

 不安と闘いながらも、私が良いって言ってくれたこと。

 嬉しかったはずなのに、心臓が痛い。

 私は、誰にどう見られるか気にしてしまうから。


 碧と共に、夢を追う人間にはなれない。

 碧みたいに、怖くても、立ち向かえる人間には、なろうとも思えなかった。

 私は、自分が大切だから、人を遠ざけて生きる。

 これからも、それは、変えられそうになかった。

 

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