崖下

 かすかに聞こえる声を頼りに探せば、弱い声が崖下から聞こえてくることに気づく。


「仁子!」

「ダメです紗栄子さん」


 崖下に降りようとする紗栄子を高崎は引き止める。

 

「なんでですか! この下に仁子がいるのに!」

「降りたら、登れなくなります!」

「でも! でも!」


 高崎にだって紗栄子の気持ちは分かる。

 仁子は幼い子どもだ。

 だが、ダメだ。ズルズルと滑る足元、考えなしに崖を降りれば、二度と登れない。

 高崎は、振り払って降りようとする紗栄子を、必死に押さえ込む。


「ままぁ……どこ……」


 小さな仁子の涙まじりで呼ぶ声に、紗栄子が耐えられるわけがなかった。

 高崎を突き飛ばして、紗栄子は声のする崖下へと降りて行ってしまった。


「高崎さんは! 車へ戻って、何か道具がないか探して来てください!」


 暗闇の中、そう叫ぶ紗栄子の声が聞こえた。


「この闇の中を登って……また、降りてくる……」


 行かざるをえない高崎は、這うようにして山道を登って行った。

 一人、山道に足を取られながら歩けば、高崎は、不思議な心地になってくる。

 仁子を大切に思う紗栄子に引きずられ、こんな真っ暗な道を苦労して登っているが、なぜこんなことをしているのか分からなくなる。

 以前の高崎だったら考えられないことだった。

 仁子が助かったかどうかで高崎の生活が何か変わるかと聞かれれば、何も変わらないであろう。

 だが、頭ではそう思っていても、なぜか自然と手足が動き、仁子を助けたくなる。


「マジでらしくない」


 いくららしくはなくとも、このまま紗栄子と仁子を置いて逃亡……なんてことは、高崎には出来そうになかった。


「やっと着いた」


 高崎は、泥だらけのズボンを払い、車の鍵を開ける。

 何か、ロープのような物がないかと車内を探るが、見つからない。

 

「クソッ。さっき、使ってしまったんだよな……」


 水族館で見つけたロープは、教会へ、意識の無い男を運ぶのに使ってしまった。あのロープがここにあれば、仁子を助けるのに使えただろうが、今は、それを後悔しても仕方がない。


「さて……どうしようか……」


 トランクを開ければ、車を整備するための道具が押し込められた大きめのダンボールがある。

 スパナ、発煙筒、三角表示板。カチャカチャと中を探って、雪道を走るためのチェーンを発見する。

 古いチェーンが、何本も出てくる。


「多いだろ。全く」


 長く使われている社用車である。

 誰かが、自分の車でいらなくなったものをここに押し込んだのだろう。この車に必要と思われる本数よりも明らかに多い。

 見れば、チェーンだけではない。色々なモノが、ごちゃごちゃと詰め込まれている。

 

「粗大ごみ置き場かよ」


 文句を言いながら、ふと、思いつく。


「そうだ。これをつなげれば、使えるんじゃないか?」


 高崎は、仁子と紗栄子を引っ張るあげるために、作業を始めた。

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