仁子
昼間は観光客でにぎわう道を、車で進む。
ヘッドライトで照らしても、人の気配はなかった。
「仁子ちゃんいませんね」
「画像だと、仁子を放置したのは、この先の広場を抜けた山道ですから、そこまで行きましょう」
仁子はモノではない。幼いとはいえ、生きている人間である。
動画に映っていた場所にジッとしていてくれているかは分からない。
動画が送られてきた時間から、すでに一時間以上経っていた。
ほとんど灯りの無い山道に幼い子ども。ひょっとしたら今ごろはもう、命がないかもしれない。
口にするのもはばかられる最悪の想像が頭をよぎって、高崎は頭を振る。
「とにかく、急ぎましょう。紗栄子さんは、仁子ちゃんがいないか、しっかり辺りを見ていてください」
「ええ! ええ!」
同じような最悪の想像が頭にあるのだろう。紗栄子の表情は暗い。
深海を泳ぐような息の詰まる時間が過ぎて、高崎と紗栄子の乗った車は、山頂の広場へと到着する。
「こっちです。高崎さん!」
広場の奥に続くハイキングコースへと走り出す紗栄子の後ろを、高崎も慌てて追う。
「仁子――!」
紗栄子の叫ぶ声に、返答はない。
冬の深夜、広場にもハイキングコースにも、当然、人影はない。
「仁子ちゃん――!」
高崎も誰もいない暗闇に向けて叫んでみるが、反応はなかった。
車の中に置いてあった懐中電灯で、山道を照らす。
ひっそりと静まり返った道には、何か恐ろしいものが潜んでいそうで、大人の高崎だって身震いがする。
こんな場所に置き去りにされた幼い仁子は、どんなに心細かっただろうか。
「行きましょう。この道の先、もっと下ったところが、あの動画にそっくりだった気がするんです」
紗栄子が先に山道を下り出す。
高崎も、紗栄子の後に続く。
出社した時のままの高崎の革靴は、舗装されていない山道では、油断するとすぐに滑る。高崎は、用心深く歩みを進める。だが、それは、街で歩くスニーカーを履いている紗栄子だっておなじことだ。ヒールがあるような靴よりましだが、それでも、紗栄子も高崎と同じように、時々ずるずると足を滑らせては、よろけている。
「紗栄子さん、ゆっくり」
「そんなこと、言ってられません。だって、仁子が!」
言っているそばから、紗栄子がバランスを崩す。慌てて高崎が紗栄子を支えるが、暗い山道、高崎も一緒にバランスを崩して、しりもちをつく。
「痛っ!」
しりもちをついたところに大きな石があり、高崎は尻を石で打ちつけた。
「あ、ごめんなさい」
自分が先にバランスを崩して支えてもらったのだ、紗栄子は、高崎に謝る。
「大丈夫です。でも、いいですか? 暗くて足元も整えられていない道なんですから、慎重に歩いてください。これが、尖った枝だったりしたら、大怪我になるんですよ?」
「はい……すみません」
紗栄子が素直に謝る。
高崎は、立ち上がり、ズボンについた砂を払い、今度は紗栄子よりも先に歩き出す。
高崎に叱られたことで、少し冷静になったのか、大人しく紗栄子が後ろからついてくる。
「耳をすましましょう。ひょっとしたら、泣き声とか聞こえてくるかもしれません」
暗く視界の狭い山道での探索である。どうしても、耳が頼りとなる。
じっと黙って耳を澄ませば、風の音さえ、うるさく感じる。
…… ……
「今、何か聞こえませんでしたか?」
紗栄子が、歩みを止める。
「どうでしょう。俺には、聞こえませんでしたが……」
…… ……
耳をすませば、たしかに何か、音が聞こえる。
だが、何を言っているのかは分からないし、動物や鳥の声か、人間の声かすら判別がつかない。
「仁子――!」
たまらず、紗栄子が大きな声で仁子を呼ぶ。
……ママ……
今度は、高崎と紗栄子にも、ハッキリと聞こえた。子どもの声だ。
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