第九章:Who am I ?

五階は劇場のような場所だった。紅色のカーペットが足元を誘い、壁までが情熱の色で染められている。ドアさえも赤に包まれていた。僕たちはロビーから重たい扉を押し開けて中へと入る。

そこにあったのは、観客席にまっすぐと並べられた、数百体のぬいぐるみたち。彼らの視線はただひとつ。ステージだ。

「さぁ、ショータイムですわ!!」

そのとき天井のどこかから響いたハイテンションな声。その瞬間、照明がすべて落ち、思わず動きを止めた。視界は闇に溶け、音もない。あるのは、自分の鼓動と、ぬいぐるみの無言の圧力のような視線だけ。

「真っ暗…」声が震える。

その時、眩しい光が僕に向かって照らされた。思わず目をつむるほどのキラキラした光だった。目の前には数多くの観客席と、そこに座りにこにこと、僕を見つめるぬいぐるみの姿。そうか、ここはステージか。

「あれ…」僕の隣にいたイクラがいない。どうやら先ほどの暗闇で分断されてしまったようだ。


「世界最高の劇場へようこそ!アタシは本日のショーの司会かつ5階の管理人を勤めます『ダイヤ』ですわ。以後、お見知りおきください。」隣にいたのは、ワインレッドスーツに身を包む若い女性。先ほど、『ショータイムですわ!』と話していた人物と同じ声だ。いかにも盛り上げが得意そうなオーラを醸し出しており、司会と名乗っていることに納得する自分もいた。

「本日は、六階へのエレベーター起動カードを求める少年をゲストとして迎えておりますの!」彼女はそう言った後、パチンと指を鳴らした。次の瞬間、僕の前に現れたのは、無数の小さな鏡だった。手鏡サイズのそれは、僕の喜怒哀楽、つまりは様々な表情を映し出していた。そう思うと、これは鏡ではなく液晶画面のようにも見えてくる。

「さて、大量の鏡の登場です!彼には、この数ある鏡の中から、『本当の自分』を探してもらいます。今から5分以内に探し出せば、エレベーター起動カードを差し上げますわ!!」もはやクエストではなく、ただのミッションみたいになってる…。

「『本当の自分』とは、どういうことですか?いろんな表情があるけれど、鏡に映るのはみんな同じ僕だし…」

「それは自分で考えることですわ。アタシが答えを教えちゃったら、ショーが台無しになりますわ」


「『本当の自分』か…」

例えば、ライオンやオオカミといった野生動物たちは、常に「本当の自分」として生きていると思う。彼らは自分の感情に素直であり、「嫌だ」と思えばはっきりと拒絶するし、媚びたり、遠回しに伝えたりすることは絶対にない。つまり、彼らは嘘をつかず、演じる必要のない世界に生きているのだ。その理由はただひとつ。彼らにとって「本当の自分ではない姿」で生きることには、何のメリットもないからだ。むしろ、弱さや不自然さを見せることは、弱肉強食である自然界において不利となる可能性すらある。だからこそ、彼らの行動は常に真実である。

しかし、常に「本当の自分」でいれば当然、ぶつかり合いも増える。欲しいものが重なったり、感情の摩擦が起きたりすれば、喧嘩や衝突は避けられない。それらを最小限に抑えるために、動物たちは「縄張り」というルールを進化させた。縄張りとは、自分の空間を主張し、「ここから先は来るな」と他者の接近を拒絶することだ。この明確なサインによって、動物たちは無駄な争いを減らし、それぞれが自分らしくいられる空間を守っている。つまり、「縄張り」とは、彼らなりの“自己表現と他者との共存”の手段なのだ。自己を偽らず、しかし衝突を避ける。そのための知恵が、彼らの考えの中にしっかりと根付いている。

「それに比べて、人間というものは『仮の自分』として行動することが当たり前」昔からそう思ってきた。僕たち人間は言葉を持ち、それによって感情を伝えるための複雑なコミュニケーションを取ることができる。それは他者との関係性の中で自分を調整し続けなければならないということでもある。例えば、何かを断るとき。動物であれば本能のままに拒絶すれば済む。しかし、人間は理由を添えて、相手が傷つかないように配慮して断ることが、マナーとして求められる。それが社会性であり、大人の振る舞いだ。こうして“仮の自分”を演じることが日常となった今、自分の本心よりも、相手の顔色を優先し、空気を読み、期待される言葉を選び続ける。そうやって少しずつ、“本当の自分”は奥へ奥へと押し込まれていく。気づけば僕も「本当の自分とは何か?」がわからなくなってしまった(Who am I ?)。


「できる自分をイメージしてみなよ」ふとそんな言葉が頭の中に浮かんだ。これは二階でイクラが教えてくれたこと。確か、「成功する自分をイメージすることが自信をつけること」と言っていたっけ。…待てよ。その考えを発展させると、本当の自分とは、自分自身がイメージする“なりたい姿”なのではないだろうか。そんな気がした。人間というのは極端になりがちな生き物だ。例えば「トロッコ問題」などがその象徴だと思う。レバーを引いて5人を救うか、引かずに1人を見殺しにするか…この二択に縛られてしまうことが多いが、実際その二つの選択肢だけにこだわる必要もない。レバーを中央に立たせてトロッコを脱線させるという“第三の手段”だって、理論上は存在する。同じように、「本当の自分」か「仮の自分」か、という二つの選択肢だけで考える必要もないのかもしれない。大切なのは、“出すべき場面で出すべき自分”を選ぶ柔軟さだ。自分を貫くべき場面では本音を恐れず出し、対人関係や責任ある場面では社会性をもって振る舞う。どちらかに偏るのではなく、どちらも“自分”として認めていくこと。それこそが、これからを生き抜くための大切な姿勢。


「本当の自分は、ここに映るすべての僕」それが自分なりの結論。

「正解!あんた、結構やるわね」彼女はそう言うと、僕にエレベーター起動カードを渡した。僕をじーっと見つめるぬいぐるみ達も、さっきよりさらに笑顔が増えて可愛くなっている気もした。


「あれ…?」幽霊っぽい声に目が覚める。僕は気づいたら六階に上がるエレベーターの前に座っていた。隣を見ると…今度はちゃんと隣にイクラがいた。

「イクラ…よかった…!!」地下一階での出来事から続いて一人での行動になってしまったため、もう、こりごりだと感じた。

「私、『ダイヤ』とかいういかにも怪しい人に本当の自分は誰かと聞かれて…その後どうなったんだっけ…思い出せない…」つまりは僕と同じ体験をしたということか。まあ、もう終わったことだし今はもういいか。

こうして僕たちは最上階、神様の待つ六階へ進んだ。思えば、『殺してもらう』ことを願う僕と『生き返る』ことを願う彼女。まったく違うけれど、どこか似ている気もする。僕はそんなことを思いながらカードをかざした。



















































































There's no turning back now.

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