8月
第9話 ふたりで見つめる炎の花
――なんなのこれ。
目の前にはどこか勿体ぶった様子で手を開いた
塊はすぐに大量の煙を吐き出しながらもりもりと伸びていった。喩えるなら備長炭を魔法で召喚しているみたい。炭を召喚するって意味わかんないけど。
ある程度長く伸びると塊は急に動きを止めた。杏は眉間にしわを刻んだまま良太を見下ろした。
「……終わり?」
「えっ、うん。どう、面白いでしょ」
「面白いっていうか……」
――なんなのこれは。
腕組みをしたまま杏は足元に置かれた花火セットに目をやった。アイスを買いにいったはずの良太が、安かったよと嬉しそうに抱えて帰ってきた品だった。「せっかくだし夏らしいことしようよ!」と引っ張り出されて今に至るわけだが、これは、よくあるセットじゃない。
「ワゴンで叩き売りされてた理由がわかった気がする」
「どういうこと?」
「あたしが思ってた花火と違うってこと」
「……どういうこと?」
未だ屈んだ格好の良太がきょとんと小首を傾げる。むしろ首を傾げたいのはこっちの方だ。杏は握り拳を作ると腕を前に伸ばした。
「普通は花火って言ったらこう、手で持つやつでしょ」
「
「子ども向けのね。紙の持ち手のばっかり」
「そんなことないよ! 見て見てほら!」
さっと飛んできた良太は花火の袋を拾い上げた。杏の隣に並ぶとパッケージの右下――内容物の一覧が書いてある――を見せながら指差した。
「ええと、ヘビ花火でしょ。煙玉……あ、これはね忍者気分が味わえて面白いんだよ。それからパラシュート。えっパラシュート入ってるんだ! 杏さん、このセット当たりだよ。パラシュートは大人気なんだ。みんなで取り合いになる」
「……良太」
「わかってるって、棒の花火だよね。ええと……あ、あったあった。タコ花火! これ、火をつけるとぐるぐる回ってね、タコが踊るん――」
「普通の花火はないの? 線香花火でもいいから」
「――え、せんこうはなび?」
セットのど真ん中に収まっていたタコ花火とやらを意気揚々と取り出した良太は目を瞬かせた。棒の先にぶら下がる何本もの火薬が、彼の動きに合わせてゆらんゆらんと揺れている。
結論から言えば線香花火はセットに含まれていた。
束を解き、お互いにひとつずつ持って点火した。先からシュッと炎が噴き出したと思うと力を溜めこむようにじわじわと玉が形作られていく。パチパチとささめきながら咲く牡丹のような火花をふたりは黙って見つめた。
「……子どものときさ、商店街の端っこに小さなオモチャ屋さんがあってさ。夏になると花火をバラで売ってたんだよね。お小遣い握りしめてよく買いにいったなぁ。絶対買うのはヘビ花火とロケット花火。パラシュートは時々」
「珍しいわね、花火のバラ売りなんて」
「そうなのかな。当たり前にあったからそれが普通だと思ってた」
彼はへらりと笑う。確かにそんなものかもしれない。行動範囲の狭い子ども時代は、生活圏内でのローカルルールこそが全てだ。
杏さんの花火の思い出はと聞かれ、杏はうーんと宙を仰いだ。
「……あたしが一番覚えてるのは打ち上げ花火の方かな。人がいっぱいで迷子になっちゃって、親切な大人の人たちが何人も一緒に探してくれてね。おかげで無事に兄さんと会えたけど、あとでものすごく怒られた」
「あー……杏さんのお兄さんって怒ったらめちゃくちゃ怖そう」
「怖いわよ。もう二度と花火なんて行かないって誓ったもの」
眉尻を下げてあははと笑う良太に釣られ、杏も形だけ小さく笑みを浮かべる。
今思えば怒られるのは当然の話だ。歳が離れている兄もあの頃はまだ子どもだった。幼い妹が急にいなくなり一体どれだけ心配しただろう。
けれど当時の杏に兄の立場を慮る力はなかった。家族と合流できて気持ちがホッと緩んだところにガツンと怒られたため、わあわあ泣いてしまったのだった。
「未だにね、花火って聞くとあのときのこと思い出して気が重くなるの」
「もしかして、それから行ってないの? 一度も?」
「そう。
水を張ったバケツに花火の残骸を放りこむ。
良太が当然のように二本目の線香花火を差し出してきた。素直に受け取れば彼の目がきらりと光った気がした。
「ねえ、勝負しない? 線香花火、どっちが長くできるか。勝ったら何かひとつお願い事ができるってことでさ、俺が勝ったら今度の花火大会一緒に行こうよ」
「――はあ!? なんで? あたし、今『気が重い』って言ったよね?」
「勿体ないよ。夏といえば花火だよ。俺、杏さんと花火に行きたいなぁ」
にこにこと満面の笑みを見せる良太。上機嫌のときに咲かせる小花が彼の周りに幾つも咲いている。杏は口をぱくぱくさせていたが、告げるべき言葉が見つかる前に良太が「これは持論なんだけどね、」と口を開いた。
「花火に対してネガティブになっちゃうのはさ、昔の嫌なイメージで止めちゃってるからだって俺は思うんだよね。楽しい思い出で上書きすれば、花火は楽しいものに変わるよ」
「……そうなのかな」
「そうそうそうだよ。じゃあ、始めるよ」
二本目の線香花火に火をつけた。先からシュッと炎が噴き出し、じわじわ震えながら光の玉が形作られていく。次第にパチパチと音を立てながら炎の花を咲かせ出したが、次の瞬間良太の花火の先から玉が落ちた。あっ、と彼の声も落ちる。
「落ちちゃった……」
「……あんたって、ここぞというときに弱いよね」
「やっぱ欲を出したのがいけなかったかなぁ」
へにゃりと弱々しく目尻を下げて笑う彼に杏は呆れ顔を返すしかない。
そうこうするうちに杏の花火も寿命を終えた。今回もしっかり最後まで花びらを散らせて尽きた。
「杏さんの勝ちだね。なんでも言っていいよ」
「本当になんでもいい?」
「あ、俺にできることでお願いシマス……」
勝負は勝負だからと良太は背筋を伸ばし、両手でバケツを差し出した。
「……ゆかた」
「え?」
「浴衣。花火に行くんだったらあんたも浴衣よ。そういう、わけのわからないTシャツだけはやめて。一緒に歩くの恥ずかしいんだから」
「えっ杏さん……いいの、花火!?」
「ちゃんと聞いてた? 今着てるのはアウトなの。何が『時すでにお寿司』よ」
良太の目が輝いている。そのまま距離を詰めようとして手の中のバケツの存在を思い出したらしい。慌てたように足元に置くとあらためて杏に抱きついてきた。杏が上げた「こら、外!」という悲鳴はおそらく彼の耳には届かなかった。
まずは浴衣を調達しなくちゃと満面の笑みを見せる良太に、やれやれと口の端を少し持ち上げて返事に代える。単調だった毎日が彼によって色鮮やかに塗り替えられていくのは案外悪くない気がした。
▼イメージイラスト
https://kakuyomu.jp/users/ritka/news/16818792437661856508
私の絵柄が無理でなければ今回の挿絵はぜひご覧いただきたいです。杏の台詞の意味がわかるので、多分。(文字と絵を並べて置ければねぇ……)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます