最終話:誕生日の朝
――翌朝
カーテンの隙間から差し込む朝の光でラウラは目を覚ました。
ゆっくりと体を起こして大きく伸びをする。
昨日は勢いでしてしまった告白とフィデリオからの思いがけない返事が信じられず、一日中薬草の調合をして過ごした。気がつけば一日が終わっていた。
そして今日は、18歳の誕生日。
「ふぅ」
ラウラは大きなあくびをして、ベッドから起き上がった。
カーテンを開けると、抜けるような青空が見える。
部屋に備え付けてある洗面台に向かい、冷たい水で顔を洗う。
タオルで顔を拭き、鏡に映る自分の顔を見て驚いた。
18歳になったばかりの朝の顔は酷いものだった。
ここ数日の疲れのせいか、顏がパンパンに浮腫んでいる。
ラウラは棚からハーブが入ったガーゼ袋を取り出し、水に浸した。
袋を軽く絞り、椅子に腰掛けて瞼に乗せる。
カモミールとアイブライトの穏やかな香りが心地いい。
目を閉じると、フィデリオの低く優しい声が耳元でよみがえった。
――こんなことで良ければ、いつでも
その記憶に頬が熱くなり、ラウラは両手で口を覆う。
どうして私ったらあんなこと!
ぽんぽんしてだなんて、あの時の私本当にどうかしてた!
ラウラは一人で小さな悲鳴を上げると、椅子に座ったまま足をじたばたさせた。
背中にフィデリオの手の感覚がよみがえり、いたたまれない気分になる。
しばらく静かに座り、胸の鼓動が落ち着いた頃もう一度顔を洗った。
時計を見ると、朝食までまだ時間がある。
ラウラは窓を開け、空を見上げた。
優しい風が部屋に流れ込む。
昨日フィデリオに、北の塔の調査を早朝から行うと聞かされた。
国王への報告書を提出するためだという。
薬師たちが薬草を卸しに街へ出たが、街の人たちの様子に変化はなかった。
魔女に関する噂も、どこからも聞こえてこなかった。
屋敷の男性達に至っては、ロクセラーナの顔も思い出せないらしい。
魔女は本当にこの国から去ってしまったんだ、とラウラは思っていた。
あの日、フィデリオ様まで魔女に魅せられてたら、どうなってたんだろう……。
この豊かなバルウィン領がどんどん衰退していったかと思うと、想像するだに恐ろしい。
ラウラは軽く息を吐き、サイドテーブルに目をやる。
そこには師匠のランプロスから譲り受けた革張りの本と、ロクセラーナが残していった手紙が置かれていた。
本当に完璧な文字、うっとりするくらい綺麗……。
ラウラは内容よりも、その流れるような優美な筆跡に見入っていた。
フィデリオから「ラウラ宛の個人的な手紙だから持っていていいよ」と渡されたこの手紙。
おそらく他に、ロクセラーナの手掛かりになることがあるかもしれないと考えてのことだろう。
魔女の報告を国王にするつもりだとフィデリオは言っていたが、この国の魔術関連書にはロクセラーナの記録がない。そもそも本自体が少ない。
ラウラがロクセラーナを『蠱惑の魔女』だとわかったのも、師から貰った本があったからだ。
ランプロスから譲り受けた、魔術財団の貴重な本。
それほど珍しい本にしか、ロクセラーナは記述されていない。
つまり、普通の人間に遭遇する機会がない稀有な魔女ということ。
魔女の存在自体がはっきりしないこの国では、おそらく報告もそう重要視されないのではとラウラは考えていた。
あと昨晩、ランプロスからの本を読んでいて、ひとつわかったことがある。
それは、悪魔や魔女によって記された手紙や契約書の類について。
『魔族は自筆の署名や自分の体液を使われたものには嘘は書けない』
ロクセラーナからの手紙の最後のキスマーク。
あれには間違いなく体液や皮膚の組織がついているはず。
だから、彼女の書いた「もう二度と会うことがない」というのは、本当なのだろう……。
ラウラはロクセラーナからの手紙を本の中に挟み込み、戸棚の奥にしまった。
魔女のことは仕事の後に考えようと、朝の準備に気持ちを切り替えた。
クローゼットから作業用のワンピースを取り出して着替える。
髪をとかし、頭の上でくるくるっとまとめて鏡の前に立った。
鏡の中の自分の顔を見つめる。
15歳の頃、この場所に来た直後に髪を切ってしまったことをラウラは思い出していた。
あの時の大胆な行動に少し気恥ずかしくなり、くすっと吹き出す。
あの日、フィデリオ様が髪を切りそろえてくれた。
きっとおかしな子だと思われてたんだろうな……。
――ラウラのことが大好きだよ
また昨日のフィデリオの言葉を思い出す。
ラウラはその場でしゃがみ込み、小さな叫び声を上げてから立ち上がった。
鏡に映る自分の頬が、真っ赤になっているのが見えた。
駄目よラウラ、思い出すたびにこんなんじゃ!
これから一年頑張るんだから!
熱くなった頬をぺちぺちと叩き、ラウラは机の上のトレーから片方だけのイヤリングを手に取った。
自分の瞳と同じ青紫色の石が、きらきらと揺れている。
この石のこと、フィデリオ様が綺麗だって……
ああっ!
もう、また!
私、ちょっと昨日のことで浮かれすぎているかもしれない。
落ち着かなきゃ……。
ラウラは手に取ったイヤリングを見つめ、ふぅーっと息を吐いた。
「あっそうだ!」
イヤリングを握りしめたラウラはチェストに向かい、引き出しから細い銀のチェーンを取り出した。
チェーンにイヤリングを通し、ネックレスを作る。
イヤリングを片方だけにつけると、もう片方の耳が心もとない気がしていた。
革紐にするとフィデリオとお揃いになってしまうので、さすがにそれは恥ずかしすぎると思いやめておいた。
王宮にいた15歳まで、この精霊の石はネックレスだった。
鏡に映る今の姿と、15歳の頃の自分を重ねる。
今より背が小さくて、いつも暗い目をしていた私……。
細いチェーンに揺れる青紫の石に、なんだか胸がいっぱいになってしまう。
この国に来てからの三年間で、私の人生は大きく変わった。
グレイスという親友ができ、薬師として認められるようになり、本当の居場所を見つけた。
そして何より、家族以外で心から愛する人ができた……。
「頑張ろ……」
ラウラは鏡の前で前髪を直し、部屋を出た。
廊下はまだ、朝の静けさが広がっている。
窓から差し込む光が、床に長い影を作っていた。
厨房へ向かおうとした時、廊下の奥からグレイスが歩いてくるのが見えた。
グレイスはラウラに気付き、大きく手を振る。
「ラウラおはよう!」
「おはようグレイス」
今日もグレイスは、綺麗な赤い髪をきっちりとまとめている。
ラウラに近づくなり、大きな瞳をぱちりと瞬かせた。
「ねえ、何その髪! 今日の主役がそんなのじゃ駄目よ」
「えー主役なんて……」
「ううん、せっかくなんだからもっと可愛くしなきゃ! そうだ、仕事が終わったらわたしの部屋に来て、絶対よ!」
「うん、わかった」
「じゃあ夕方ね」
「うん」
グレイスは満足そうに笑顔で手を振り、ランドリー室の方へ駆けて行った。
彼女の朝はとても忙しい。
それでも、元気な姿と声を聞けてラウラはとても嬉しい気持ちになった。
厨房に行く前、ラウラは薬草のことが気になった。
ここ二日間、ほとんど手入れができていない。
裏口の扉を開け、薬草園へと向かった。
小道の草には朝露が輝き、温室のガラスは朝日を反射している。
薬草の香りに包まれ、ラウラは深く息を吸い込んだ。
その瞬間、温室の入り口からエルノが顔を覗かせた。
「あれ、聖女ちゃん」
「エルノさん! おはようございます」
ラウラが答えると、その声に続いてリーアムも出てきた。
リーアムは少し驚いた顔をしたあと、にっこりと微笑んだ。
「おはよう聖女ちゃん、誕生日おめでとう」
「ありがとうございますリーアムさん」
「ずるいよリーアム! 聖女ちゃんおめでとう!」
エルノはぴょんと飛び出して、リーアムの前に立った。
「ありがとうエルノさん」
ラウラは兄弟のいつも通りの姿を見て、普通の毎日が続いていることに嬉しくなる。
なにより『聖女ちゃん』と呼ばれることが、いつもよりくすぐったく感じた。
温室の様子もいつもと変わらない。
美しく整頓された薬品棚、生い茂った薬草に新しい苗や土。
こんな素敵な場所に自分がいたなんてと、あらためて幸せを感じていた。
ぐるるるー
突然、ラウラのお腹が大きな音を立てた。
「ああっもう!」
ラウラは思わず両手でお腹を押さえる。
「聖女ちゃん、まだ朝食食べてないの?」
「ちょっと薬草が気になっちゃって」
「僕たちもまだだよ」
リーアムが優しく言った。
「一緒に厨房に行かない?」
「行こう行こう!」
エルノは楽しそうにぴょんっと跳ね、ラウラの前に移動した。
「今日は聖女ちゃんの誕生日でしょ、だからちょっと見られたくないものがあるんだ」
「見られたくないもの?」
「エルノ! 言っちゃダメなのに!」
リーアムが兄エルノの腕を引っ張り、ラウラは思わず吹き出した。
「ありがと、楽しみにしておくね」
「楽しみにしてて!」
「もうエルノ、朝食たべにいくよ!」
温室の小道を、エルノが跳ねるように先頭を歩き、リーアムが後ろをついていく。
厨房から甘い香りが漂ってきて、ラウラは思わず頬を押さえた。
今日は18歳の誕生日。
ラウラの胸元で精霊の石が静かに揺れている。
フィデリオへの想いとともに、ラウラの新しい一年が始まろうとしていた。
第一部 完
お読みいただきありがとうございました。
明日、ラウラの誕生日のお話があります。
もう少しお付き合いいただけると嬉しいです。
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