青紫色の首飾り


ラウラは少し緊張しながら、フィデリオの書斎の扉をノックした。

静かな廊下に小さな音が響く。

間もなく、「どうぞー」とフィデリオの声が聞こえてきた。

その声が耳に届いた瞬間、ラウラの胸はドキドキと高鳴り始めた。


「失礼いたします」


扉を開けると、フィデリオがすぐそこに立っていた。

思いがけない近さにラウラが思わず一歩下がると、フィデリオは優しく微笑む。

その胸元には、ラウラの作った首飾りが揺れている。


「あのっ、料理長のネヴィルさんがたくさん作ってくれたので、持ってきました」


ラウラは照れ隠しに、手に持っていたベニエの入った籠を差し出した。

フィデリオはかけられている布をそうっと捲り、香ばしい匂いに目を細める。


「うん最高だね。さあ座って、お茶を淹れるよ」

「私、お手伝いします」

「セルジュが用意してくれたから、僕は注ぐだけでいいんだ。気にしないで、座って」

「ありがとうございます」


ラウラは、促されるまま椅子に腰掛けた。

テーブルの中央にベニエの籠を置くと、目の前に爽やかな香りのお茶が出された。


「どうぞ。リンデンとラベンダーを合わせてみたんだ。あっ、そうだ」


フィデリオは、何かを思い出したような表情で壁面の棚へ向かった。

引き出しを開け、ガラスの瓶を取り出すと子供のような笑顔で戻ってきた。


「ラウラ、シナモンは好きかい?」

「大好きです!」

「よかった。これをかけるとベニエがもっと美味しくなる」

「わー最高です!」


シナモンは暖かい地域でしか育たないため、ラウラの故郷では手に入りづらい貴重な香辛料だった。

嬉しそうなラウラを見て、フィデリオは満足そうな表情でシナモンの小瓶をテーブルに置いた。

そして、自分用の紅茶を手際よく用意して席に座る。


「さてと……」


フィデリオは紅茶を目の前にして、口元に手を当てた。

何から話していいのか、悩んでいるように見える。


「フィデリオ様、私から質問してもいいですか?」

「もちろんだよ。だって君は一番の被害者なんだから」

「あの魔女……」


そこまで言って、ラウラは言葉を詰まらせた。


フィデリオ様が魔女の髪を切ったというのは、間違いない。

なぜ子供になってしまったのか? なんて聞いても、フィデリオ様がわかるわけない。

じゃあ彼女の目的は……って、これもわかんないか。

なぜここに? うーん、これも駄目だ。

ラウラは自分から質問すると言い出したものの、何を聞けばいいのかわからなくなっていた。

あっ、そうだ!


「あの魔女は、いまどこにいるんですか?」

「とりあえず地下牢にいるよ」

「えっ、地下牢?」

「うん。屋敷の北側にある細い塔は知ってるよね」

「はい」


バルウィン家の北側にある小さな庭。

普段は屋敷内で修理するものを置いている場所で、その隅に細い塔が建っている。

この塔は、屋敷が建てられた何百年も前、まだ戦争があった時代に見張り台として使われていたと聞いていた。


「あの塔の地下にあるんだよ」

「知りませんでした」

「うん、もう何百年も使われていない。いや、使ってなかった」

「何百年も……」

「まさか僕も、自分が使うなんて思ってもみなかったよ」


フィデリオは長い睫毛を伏せて微笑んだ。

紅茶を一口飲み、小さく頷く。


「あの塔は、魔法が制限されているから簡単には出られない。というより、あの魔女は今、魔力がないんじゃないかな」

「なぜそんなことに……」

「僕があの魔女の髪を切ったせいだと思う」


やっぱり切ったんだ!

皆が気づいた時には、フィデリオが髪と短剣を持っているのを見ただけで、その瞬間を目撃した者はいない。

ラウラは、胸の鼓動が速くなるのを感じた。


「どうしてロクセラーナの髪を切ったんですか?」

「部屋に入った瞬間、間違いなく魔女だとわかったからね」

「間違いなく……」

「うん、魔女の特徴は小さい頃から教えられてきたんだ。それに、あの炭みたいな髪から不快な匂いが煙のように立ち昇っていくのも見えたよ」

「見えたんですか!」


そうだ、何かおかしいと思ってたのはこれだわ。

フィデリオ様は、なぜロクセラーナに惑わされなかったの?

髪から魔力が見えたなんてすごい。

最初から、魔女の本当の姿が見えてたってこと?


「薬師の皆は、魔女が入ってきた時にはすぐ惑わされていて」

「怖かっただろうね」

「はい。私はすぐに逃げたんですけど……」


ラウラは考え込んだ。


そういえば、自分もロクセラーナの魔力には惑わされなかった。

女だからだと思ってたけど、グレイスたちは歩くのもやっとな感じだった。

薬草を食べたから? 

でも、それだけじゃない気がする……。


ラウラは考え込んだ。

目の前では、フィデリオがベニエにシナモンをかけている。


「フィデリオ様には、魔女がどのような姿に見えていたんですか?」

「炭みたいな鈍色の髪に真っ赤な瞳。血管の浮いた青白い肌。あとは、耳の奥から聞こえてくるような嫌な声だったよ」


フィデリオは身震いするように身体を大袈裟にさすった。

今聞いた外見は、ラウラが実際に見たロクセラーナの姿と同じだ。


なぜフィデリオ様には、美しい姿に見えなかったんだろう?


ラウラが首を傾げていると、フィデリオは何かを察したような表情を浮かべた。


「どうして僕が、あの魔女に惑わされなかったのか? って思ってる?」

「そうです! それがずっと気になっていて」

「僕はね、君が渡してくれたこの首飾りのおかげだと思っているんだ」

「首飾り?」

「そうだ。君のイヤリングとペアになっている、この美しい青紫色の石だよ」


身を乗り出すラウラに、フィデリオは首飾りを外して手のひらに載せた。


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