皆がおかしい


ほんの五分くらい前、グレイスが厨房でお茶の用意をしていた時のこと。

料理長のネヴィルがカップを床に落とし、そのまま踏みつけたかと思うと、入り口を飛び出して行ったという。

不思議に思って追いかけたグレイスだが、ネヴィルは振り返りもせず裏口の方へと姿を消してしまった。

他の料理人たちも次々と厨房を飛び出し、屋敷内に残っていた使用人たち全員が、同じようにどんどん裏口へと駆けて行く。


裏口に何が? 


と思った瞬間、グレイスは突然胸のムカつきを覚えて喉が渇いてたまらなくなった。

水を飲みに厨房へ戻ると、他の侍女達も気分の悪さを訴えて倒れ込んでいる。

グレイスは、自分と他の侍女たちの為にグラスに水を汲んでいたが、なぜか無性にラウラがこの屋敷にいることに不快感がこみあげてたまらくなってしまった。

自分に起こった突然の感情に不可解さを感じていたが、その衝動が押さえきれず『ラウラをここから追い出さなくてはいけない』という思いに抗えないまま、気づけばこの部屋の扉をノックしていたという……。


「わけわかんなくてごめんね、ラウラ……」

「ううん、大丈夫。ねえグレイス、裏口に行ったのって男の人ばっかじゃなかった?」

「そう言われればそうだわ……この屋敷で一番小さいフットマンの男の子まで走ってた」

「やっぱり……」


ぽそりと呟くラウラに、グレイスは不思議そうな顔で首を傾げた。

その表情からは、不安と困惑が読み取れる。

ラウラはそんなグレイスの両手を持ち、持っていた万能薬の瓶をしっかりと握らせた。


「聞いてグレイス。この瓶の蓋一杯分を、倒れている人達に飲ませてあげて。全員が動けるようになったら、当分この屋敷から離れるように伝えてほしいの」

「え、どういうこと?」

「温室に……」


ここまで言って、ラウラはぐっと言葉を飲み込んだ。

『魔女がいる』なんて言ってしまったら混乱が起きてしまう。

それに、きちんと調べないと、ロクセラーナ本当の正体はわからない。

一体どうすれば……。


その時だった。


―― ドンドンドン! ドンドンドンドン!


ラウラの部屋の扉を叩く音が鳴り響いた。

その音は、あきらかに一人のものとは思えない。大勢の強い力が込められているのがわかる。


「なんなのこれ!」


ソファから立ち上がったグレイスを、ラウラは引き留めた。

ロクセラーナの言うがままになっていた薬師たちが、この部屋まで来てしまったのかもしれない。

それだけじゃない。

さっき、他の使用人たちも温室へ向かったとグレイスが言っていた。

だとすれば、全員が薬師たちと同じ状態になっている可能性が高い。


「ねえラウラ……この扉を叩いているのは何?」

「多分、私を追い出そうとしてる人達ね。なぜかはわからないんだけど」

「えっ、さっきのわたしと同じ……」


グレイスは困ったように眉を寄せ、手に持っている万能薬をじっと見た。

そして、何かに気づいた表情を見せた。


「じゃあこれを皆に飲ませれば!」

「ううん、多分無理なの。まだ確信は持てないけど、男の人達には効かないと思う」

「そんなあ……」


さっきより更に眉を寄せ、グレイスは今にも泣きそうな顔になっている。


―― ドンドンドン!! ドンドンドンドン!!


扉がぎしぎしと音を立て、これはただ事ではすまされないという雰囲気になってきた。

しかも、あの甘い香りが扉の隙間から漂ってくる。

薬師たちは、私をこの場所から追い出すことだけに必死になっていた。

ここに乗り込まれたとしても、きっとグレイスには何もしない……はず!


そう考えたラウラは、急いで戸棚の引き出しを開けると、淡いベージュのハンカチを取り出した。


「グレイス、このハンカチは薬草で染色しているの。傷の手当にも使えるし、少しの状態異常なら防げるわ」

「えっ、どういうこと?」

「早く口を覆って!」


__ ドンッ!


壁が壊れるような音とともに、部屋の扉が開いた。

むせ返る甘い香りが、あっという間に室内に充満する。

その香りとともに、バルウィン家で働く男たちが一気になだれ込んできた。

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