夕暮れの部屋


夕方。

ラウラは頬を両手で押さえながら、フィデリオの仕事部屋の前に立っていた。


あの後、エルノたちと温室に入ったラウラは、まず朝のことを謝罪した。

やはり「お腹がすいていた」というのは皆が知るところで、いいよいいよと笑ってくれた。

そのまま倉庫へ行き、摘み取った薬草の仕分けをエルノから教わる。

見事に整理整頓された倉庫は素晴らしく、これは王宮以上だと確信して嬉しくなった。


バルウィン薬草園アポセカリーで働く薬師は、エルノたち以外に5人いる。

昼食の時間、リーアムが自然な流れでラウラに魔力がないことを話題に出した。

皆の反応は穏やかで、ある方が珍しいよと、それ以上は追及されなかった。

リーアム同様あっさりと受け入れられ、ラウラは心の底からホッとし、昼食のスープも完食した。


午後から、オリヴァー薬師長が作った土のいくつかに、種をまいてほしいと頼まれた。

薬草の育ち方に、どのような差異や変化があるのか調べるためらしい。

薬師長とラウラが並ぶ姿を見て、「学者と聖女が揃ったね!」とエルノは喜び、さらに、ラウラの背丈が自分より小さいことにも喜んだ。

作業中、エルノが当たり前のように「聖女」ちゃんと呼びはじめる。

ラウラはやはり強く否定できず、仕事が終わる夕方には、薬師長以外の全員からそう呼ばれるようになっていた。


夕方になり、片付けを終えた皆と挨拶を交わす。

ラウラの初めての仕事が終わった。


緊張で固まっていた気持ちもすっかり解け、ラウラはまるで昔からここにいるような気分になっていた。

『聖女ちゃん』というあだ名は気になるけれど、それ以上に明日が楽しみで仕方がない。

もっと皆の役に立ちたい――そんなことを考えながら、ラウラは自分の部屋へと足を進めた。

ふと、廊下で立ち止まる。


忘れてた! フィデリオ様に朝のお礼を言わなきゃ。

来て早々に倒れたうえに、抱えられて運ばれてたなんて……

しかも、お腹が鳴ってたんでしょ……恥ずかしすぎるーー。


熱くなる頬を押さえながら、ラウラは長い廊下を抜けてフィデリオの仕事部屋に向かった。

扉の前に着き、頬から両手を下ろして立ち止まる。

そして、静かに部屋の扉をノックした。


「どうぞー」


フィデリオの低くて良く通る声が聞こえてきた。

途端に高鳴る胸を押さえ、ラウラは一呼吸置いて扉をあけた。


「失礼いたします」


中に入ると、窓から差し込む夕日が、部屋をほんのりと赤く染めている。

フィデリオは机から顔をあげ、ラウラに気づいて笑顔を見せた。


「やあラウラ。仕事はどう……って、髪を切ったのかい?」


美しい瞳を何度も瞬き、フィデリオはペンを手にしたまま席を立った。


ラウラは、自分の頬がまた熱くなっていくのがわかった。

髪のことは、薬師さんたちや昼食時に会ったグレイスも、驚かせてしまった。

午前中にお腹を空かせて倒れた女の子が、急に髪を切って現れたら驚くに決まっている。

思い立ってすぐ行動に移してしまったことを、少し後悔している。

でも、あの時はなぜだかそうせずにはいられなかった。

ラウラは恥ずかしくてたまらなくなり、フィデリオから目を逸らした。


「あの……はい、ずっと切りたかったのでつい」

「心機一転だね、似合っているよ」

「ありがとうございます」


その言葉とともにラウラが視線を上げると、フィデリオの穏やかな笑顔が目に入った。

その美しい顔に、慣れる自信がないなと思いながら、もう一度ぺこりと頭を下げる。

ゆっくり顔をあげると、フィデリオが小さく手招きをしていた。

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