新しい私
「なんでしょうか?」
「髪型はとても良いんだけど、後ろが少しバラバラになっているんだ」
「あっ、これは自分で持っていたハサミで切ってしまったので……」
「もし嫌じゃなければ、僕が整えようか?」
「えっそんな、フィデリオ様にそんなことを! とんでもないです!」
ラウラは慌てて両手を横に振った。
そういえば、リーアムさん達はフィデリオ様に髪を切ってもらってると言っていた。
でも、私には無理っ!
午前中も迷惑をかけているのに、図々しすぎる。
慌てるラウラの様子を見て、フィデリオが眉を下げて微笑んだ。
「髪を切る機会は多いんだ、腕は確かだよ」
「いえ、嫌とかじゃなくて! 恐れ多くて……」
フィデリオはうんうんと頷いて、もう一度小さく手招きをした。
その仕草からは、純粋にラウラの髪を整えたいという優しさが感じられる。
実際、今もフィデリオの視線はラウラの髪に向けられたままだ。
こんなのどうすればいいの……。
色々な思いが頭の中を駆け巡る中、ラウラの足は自然とフィデリオの方へ向かっていた。
「もちろん体には触れないから安心して。もしなんかあったら大声を出せばいい、執事が飛んでくるよ」
「そんな!」
ラウラは真っ赤になって首を横に振った。
フィデリオは少しだけ肩をあげて笑い、机の引き出しを開ける。
そして、小さな箒と美しいハサミ、飴色のべっこうの櫛を取り出した。
「さあ、座って」
ラウラは少しとまどいながらも、背を向けて椅子に腰かけた。
フィデリオの白くて長い指が、ラウラの髪を優しく梳いていく。
誰かに髪を触られるのはどれくらいぶりだろう。
髪を梳かれるたび、くすぐったくて幸せな気持ちがよみがえってくる。
家を出てから5年以上、こんな感覚を忘れてた……。
「おなかはもうすいてない?」
フィデリオの声が、後ろから響く。
耳元で聞こえるような感覚に、ラウラの心臓は小さく跳ねた。
「もちろんです」
「薬草園の仕事はどうだい?」
「皆さん良い方ばかりで。今日はいろんなことを教わりました!」
「それはよかった」
フィデリオの声が安心したようなトーンに変わる。
続けて「少し動かないでね」という言葉と、ハサミを持つ音が聞こえた。
「髪は結構長かったよね。切ってすっきりしたかい?」
「ええ、とっても!」
ラウラは明るい声で答えた。
顔は見えないが、フィデリオの声はとても優しく心地よい。
「良い返事だ」
「はい、ありがとうございます」
さらに元気よく答えるラウラに、フィデリオはくすりと笑った。
あたりには、微かにベルガモットの香りが漂っている。
「僕はね、この国で暮らす人たちに楽しく過ごしてほしいと願っているんだ」
フィデリオは髪を切りながら、静かに話し始めた。
「まだ会ったばかりだけど、君はずいぶん幼い頃から、普通の子供とは違う道を歩んできたように見える。でも、ここでは誰も過去を詮索したりはしないよ。誰にだって話したくないことはあるからね」
パチンパチンとハサミの音が響き、フィデリオの優しい声は続く。
「ここでは無理をする必要はないからね。嫌なことや困ったことがあれば、いつでも僕に話してほしい。君がここで働くと言ってくれて、本当に嬉しく思っているんだ。ありがとうラウラ」
フィデリオの言葉一つ一つが、ラウラの心に響いていく。
父や母を思い出す時とも違う、どこか不思議な感覚が胸の奥に芽生えていた。
心が揺れるたび、体がふわりと浮くような甘い気持ちが広がる。
その感情の正体が分からないまま、ラウラはなぜか全身が熱くなるのを感じていた。
「はい、終わったよ」
小さな箒が肩を優しく払う音と共に、フィデリオの声が聞こえた。
ラウラはすぐに返事をすることが出来ず、そっと椅子から立ち上がる。
立ち上がってもまだ、なかなか振り返ることが出来ない。
「お疲れ様、ラウラ」
その声に促されるように振り返ると、フィデリオが優しい表情で立っていた。
夕日の中で見るその顔は、やはりとても美しく、ラウラは小さく頷くことしかできなかった。
フィデリオはその様子を見て、さらに微笑んだ。
「うん安心していいよ、我ながらとても綺麗に切れた」
「……ありがとうございます」
「そのイヤリングとても綺麗だね、君の瞳と同じ色をしているんだね」
フィデリオはそっと身をかがめ、ラウラの瞳とイヤリングを交互に見つめた。
視線が重なった瞬間、ラウラの心臓が脈打つ。
優しいフィデリオの声と仕草に、胸が締め付けられるような感覚を覚える。
なんだか息苦しくて呼吸が上手くできない。
どうしてこんなに心が落ち着かないの?
ラウラがそんな自分の気持ちに戸惑っていると、フィデリオは手鏡を差し出した。
「どうだい?」
鏡に映る自分の姿は、綺麗に整えられた髪と初めて見る表情をしていた。
そして、部屋に差し込む夕日のせいなのか、頬が薔薇色に染まっていた。
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