第十話 化け物の定義
かなえさんは近くの画面に触れ、何かのデータを読み込んでいるようだった。
「酒井様は高校時代、高橋ラボでの治験を受けてらっしゃいますよね? 推察するに、その件について坊ちゃんからひどく反対された。違いますか?」
高橋とは同じ高校に進んだ。確かにその頃、治験バイトの報酬に目がくらみ、新薬の開発と称した実験に参加したことがある。
いや、何かがおかしい……?
ふと脳裏をかすめた違和感を呑み込んで、俺は治験の記憶を手繰り寄せる。
初めに渡された薬を飲み、また2週間後に同じような薬を飲む。
その後、数か月に渡り経過観察をするのが主だった気がするが……。
「酒井様はね、その治験で唯一反応が見られた人間なんです」
確かにあの時、高橋は狼狽えていた。
金なら他でも稼げる、とのたまい、当時はその裕福さに余程反発心が生まれたものだった。
つまり、これは俺が”選ばれた”というよりも、俺になにかしらの適正があった——?
「俺はどうなるんですか……。そもそもこんな事態が予測できてたなら、何故あなた方は止めなかったんですか!」
「勿論止めようとしました! 一介のメイドであるわたくしが何故、こんな世界で酒井様に嘆願をしているとお思いですか!」
まさか、かなえも?
それは火を見るよりも明らかだ。かなえは”人間”なのだ。
俺と同じ、いや、それ以上の何らかの処置を施されている事は明白だろう。
「ここで酒井様に土下座でもして許しを請うのもやぶさかでは無いのですが、時間がないのです。酒井様なら、このキュアを使って世界を救えます」
「俺が……世界を……?」
自分でも声が掠れているのが分かった。
「酒井様はゾンビ化を計る世界計画に於いて、邪魔者なのです。……勿論、わたくしも」
随分と勝手な物言いに、正直面食らった。
これではまるで、ゾンビになった人間こそが正しく、俺たちは失敗作とでも言わんばかりだ。
「なり損ない、って訳ですか。はっ、馬鹿馬鹿しい! 大体、仮に俺やあなたが世界を救えるとして、そんな注射1本で何が出来ます!? お得意のアヘンで文字通り廃人にするのがお望みですか!?」
かなえの鋭い目つきが、一瞬、悲しそうに伏せられた。
「……注射の効果については……分かりません」
「……は?」
「この注射の正体も明かしましょう。なんの事はない、これはステロイドです。解毒剤にもなり得ると言ったのは、当時の治験のデータからです。あの時酒井様は、何度かゾンビ化を発症しかけました」
「……」
驚きで声が出せない。
高校時代、何を犠牲に対価を得ていたのか、今更ながらに恐怖が襲った。
「その時に発症を止めたのがこのステロイドです。いいですか、酒井様はゾンビ化を無効化することにすでに成功しているのです。世界に選ばれたと言っても過言ではない! 今またその力を以て、あなたは完全なる身体を手に入れるのです」
また、これだ。
俺はまさかの展開に衝撃を受けてはいたが、キッカケを作っておいて、俺を実験動物の様にしか見てないかなえの態度に、段々と言い知れぬ怒りを覚えていた。
世界にはもっと生きたかった人も沢山居ただろう。そのそれぞれに、大事な人達がいて、それを考えると俺は潰れてしまいそうだった。
まだ、ゾンビに囲まれながらも、何も知らずにコンビニを漁っていた頃の方が救いがあった気さえした。
「酒井様? わたくしの話を聞いてください。ここが奴らに見つかるのも時間の問題なのです」
考えられない、考えたくない。
高橋や、家族、知り合いのゾンビに喰われるなら、いっその事それも本望に感じる。
そもそも、この女はなんだ。
ゾンビパウダーを作ったと言い、責任を持って世界を救うと言いながら、全部、俺任せではないか!
「酒井様、な、なにを——」
今度は俺がかなえに向かって仁王立ちになる。
相手はたかが女だ。
しかもゾンビですらない。
「酒井様、どうか聞いてください! このステロイドは完全ではありません! わたくし達は酒井様の自由意思の元——……!」
五月蝿い。
今この女は、俺に命乞いをしようとしているのか?
先程まで、実験動物のように扱っていた俺に。
「そんなに世界が救いたいなら、お前が救ってみせろ! かなえ!」
注射器は、小柄なかなえの首筋にぶすりと突き立てられた。
それから俺は、脱兎の如く、ラボラトリーから逃げ出した。
ゾンビ達の待つ、あの街並みへと。
たった一人の同胞を、手にかけて。
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