5 競る

 正斗から初めてメールをもらった感激も束の間で、なかなか悪質な事件が舞い込んだ翌日。

 自分のシンパである理事長のおかげでめでたく事実上のフリーパスになった白羽高校内を、大鶴は大股に歩いていた。

 昼休みの校舎は賑わっており、大鶴という闖入者にはやはり注目が集まる。「え!? 大鶴京紫郎!?」「引っ越してきたってマジだったんだ」「また三年の奥田って人に用事なのかな?」「動画撮ろ」など多種多様な声が耳に入ってくるが、大鶴は構わず来客用のスリッパを履いた足で三年一組に向かった。

「こんにちは、お邪魔しています。奥田正斗くんはいらっしゃいますか?」

 食事時の三年一組の教室の時が驚愕で凍り付こうとも、大鶴は美しく笑みを浮かべてドアの近くにいた生徒にこう訊いた。

 次の瞬間、ばたばたと大慌てで例の正斗の友人――小堀と増岡が駆けつけて、大鶴の腕を両脇から掴む。

「ちょ、ちょ、ちょっと大鶴さん!! お忍びって言葉知らないんすか!?」

「知っていますが、一刻を争うつもりで急いだほうがいい案件でしたから」

 少しでも外堀を埋めたいという邪心もないではないし。

「あの、奥田くんは一緒じゃないんですか?」

「奥田はさっき購買行くっつって出掛けていきました!」

 あぁ、それは残念。

 あからさまにがっかりした大鶴に、増岡が淡々と、

「あなたみたいな有名人が教室にいきなり登場はダメに決まってるでしょう、大鶴さん。いったん生徒会室にでも避難するか、小堀」

「よしそれでいこう!」

 ふたりはあっという間に合意すると、大鶴を生徒会室へ連行していった。

 やはり普段から彼らはこの生徒会室をたまり場のように使っているようだ。

 無人の部屋に入るや否や、大鶴は肩を押さえられるようにしてパイプ椅子に座らされた。

 小堀と増岡は一仕事終えたと言わんばかりにふうと嘆息し、額を手の甲で拭う。

「こ、ここなら落ち着いて話ができますんで……」

「それは良かった」

 大鶴は言いながら増岡にちらりと目をやった。

 すると彼はあぁ、と意図に気づいたようで、

「寺崎先生の件なら俺も小堀から聞いて概要は知ってます。正直、奥田に対する言動を見てるとホントに大丈夫か? と思いはするんですが、大鶴さんの力を借りないとどうしようもない事件ですし、俺たちも名探偵としての大鶴さんを今は信じます」

「そうですか、では増岡くんに席を外していただく必要はないですね」

 自分の名前を大鶴に呼ばれたことに、増岡は変な味のガムでも噛んだみたいな微妙な顔をしたが、何も文句は言わなかった。

 小堀がこの後出る話題を察し、表情を緊張に強ばらせる。

 大鶴は人差し指を立てて、躊躇無く口を開いた。

「僕の伝手であの動画は非公開に、アカウントも停止させましたが、新規アカウントが同じ動画を投稿したのが今朝、確認されました。このままではいたちごっこになるでしょうが、残念ながら、犯人がVPNなどを駆使して自分の正体をひた隠していたために、仮に警察に相談したとしてもネット上の痕跡を追跡して犯人の尻尾を掴むことは難しいです」

「ぶい……ぴーえぬ……」

 と聞き慣れない単語をオウム返ししながらも、悪い報せに小堀と増岡の顔が曇る。正直、大鶴が出てきて犯人を突き止められないなんて展開は予想していなかったのだろう。VPNとは要するに、PCやスマホなどのデバイスとVPNサーバー間のデータの送受信の秘匿性を暗号化によって高める方法のことだ。IPアドレスから発信地を辿られることもなくなるため、ユーザーの追跡が困難になる。

 だがむろん、大鶴はここで打ち止めのそこらのダメ探偵ではない。

 にこりと微笑み、

「ですが今回の場合、容疑者がみなさんの同級生だったことはむしろ幸いでした。あたりがついているのであれば、ここはいったん学校という環境を利用して――」


 言いさしたところで、がらっと部屋の引き戸が開いた。


「うわっ」

 と大鶴の姿を認めるなり声を漏らしてドン引きするような人物はひとりしかいない。

 正斗は後ろ手で急ぎドアを閉め、目を丸くして自分を振り返った三人のところへ気まずそうにのそのそ近づいてきた。

「ここへ来る途中騒いでる生徒を見たから予想はしてましたけど……またうちの高校を我が物顔で闊歩してたんですか、探偵さん」

「奥田くん!」

 正斗というだけでただでさえ大歓迎なのに、今の大鶴はそれに輪を掛けて激しい愉悦を覚えていた。正斗の手元にあるスマホを見たからだ。

 彼はそのスマホにずっと指先を押し当て、ひっきりなしに操作している。スリープ状態に入ることを許さぬように。

 彼がそれ以外の荷物を持っていないことに気づいた小堀たちが「購買行ったんじゃなかったのか?」と訊ね、正斗は「行ってきた」と適当に受け答えしている。


 ……またしても、この子の優秀さに予想を超えられてしまった。

 思い通りにならないことがこんなに愉しいとは!


 自分から説明する気がなさそうなので、大鶴は素知らぬ顔で訊いた。

「奥田くん、スマホのカバーを変えたんですか? 前のとずいぶん趣味が違うんですね」

 昨日、大鶴はしっかり彼のスマホの外観を記憶していた。

 昨日までは――いや、今も彼自身のスマホには衝撃耐性だけを重視した実用的なカバーが着せられているはずだ。

 手にしたスマホがつけているのは派手な紫の背景にスカルが描かれたものだし、そもそもよく見れば機種が違う。

「……な、何でそんなん覚えてるんですか、怖……」

 正斗が困ったように眉間に皺を寄せる。

 たぶん彼は、これ以上大鶴の興味を引くようなことをしたくないのだろう。もうとっくに手遅れだし無駄な努力なのに。

 だがそんな彼も、小堀と増岡に怪訝そうに見つめられて観念したらしい。

 スマホ画面に指を置いたまま、

「探偵さんがわざわざここへ来たってことは、被害はあれで終わらず、ネット上で犯人を追跡するのも無理そうだって結論が出たんでしょ?」

 その通り。大鶴はうっそりとした笑顔のみで肯定する。

「……どうせそうなるんじゃないかと思ってましたから、購買の人混みで長沼弼からスマホを、……」

 正斗はそこで少し言いよどんだが、結局続きを口にする。

「スってきました」

「「え!!?」」

 思わぬ答えに小堀と増岡が驚倒する。正斗は彼らから逃れるように顎先をそらし、

「……だからっ、これは長沼のスマホ、探偵さんの言う通り俺のじゃありません。操作直後にポケットにしまったところをかすめ取ってきたんで、スリープ状態に入ってもいないしロックもかかってない。長沼がスマホを落としたことに気づいて他のデバイスから遠隔操作とかをしてくるまでなら、中身を調べられます。

 これで証拠を掴めたら、探偵さんの名前を抑止力にするより、本人を直接詰めたほうが確実に釘を刺せるでしょ。大ごとにはしたくないっていう本人の意にも適います」

 スってきた、と簡単に言うが、一般に高校生が習熟しているスキルではない。

(……他人の持ち物をスるような子でもないし、経済的に困窮しているという情報はなかったはず。他人でなければ、家人を相手に腕を磨く必要があったと考えるべきか)

 家族の持ち物をかすめ取る必要に駆られるような環境だったか、あるいは……その家族に教え込まれたものか?

 気にはなるが、ここで訊くべきことではない。

 大鶴は正斗に警戒心を抱かれる前に思考を切り上げ、

「なるほど、なるほど。別にネットから犯人にたどり着かなくてはいけないなんて決まりはない。すでに有力な容疑者が浮上していて、しかも彼が同じ学校で生活しているのなら、隙を見てその端末を盗みだし、証拠の有無を確認すればいいことですからね」

 さすが奥田くんです、としたり顔で褒めそやすと、ますます彼は気まずそうに唇をとがらせ、

「……よく言いますね、同じようなこと指示するつもりでここへ来たくせに」

「そう、僕と同じことに思い至っているきみが、やっぱり素晴らしいということです! ぜひ僕の助手として……」

「イヤです」

 にべもない。若さゆえの反射神経の良さがそのまま大鶴への悲しみの到達速度の速さだ。が、そのさなかも正斗はスマホを操作し続けている。

 達成感とはほど遠い苦い顔で、

「……とはいえ、今のところこのスマホ内にあの動画データは見当たりませんし、フェイク動画作成・投稿の証拠と言えるようなものは……」

「嘘だろ、そんな……スマホを直接調べてもダメなのか?」

「犯人は長沼じゃないのかもしれないぞ」

 呆気にとられていた小堀と増岡も、雲行きの怪しさに焦っている。

 俺にも見せてと小堀に乞われ、険しい表情で応じようとした正斗が――次に画面へ指を滑らせたその一瞬、何かを見つけて目を瞠った。大鶴はそれを確かに見た。

「……ん、後でまとめて指紋拭くから」

「お、おう」

 小堀はおっかなびっくりスマホを受け取り、食い入るように操作し始める。増岡もその背後から画面を覗き込んでいる。

(証拠になり得る何かに気づいた。……でも、言わない)

 大鶴はうつむき加減で口をつぐんでしまった正斗を眺め、形の良い顎に手を添える。

 必要なことだったとはいえ他人のスマホをスったことを友人たちに知られ、その反応を恐れていたがゆえの気まずさとはまた別種の何かに、彼はとつぜん苛まれ始めているようだ。

 いま彼は重要な何かに気づいた。証拠と呼べるかもしれない何かだ。だが言わない、というより、すぐさまそれを公表することを迷った。言い出せないのは理由があるからだ。公表することで何らかの利益が損なわれるから。それは正斗の弱点であり、秘密に他ならない。

(そんなの、知りたくなって当然だ)

 うずうずとにわかに気持ちが沸き立ってくるのを自覚し、自分のたちの悪さに苦笑する。好感度を稼ぎたいはずなのに、そんな相手でさえも翳の部分に好奇心をかき立てられる。いやむしろ、正斗の秘密だからこんなにも気になるのか。

 まあでも、仕方ない。こういう性質だからこそ大鶴は探偵なのだ。


 証拠探しに苦戦している小堀たちに手を差し伸べ、

「僕にも見せてもらえますか?」

「あ、はい! どうぞ」

 小堀は素直に長沼のスマホを渡してくれた。

「……長沼弼くんが多少人より用心深くても、スキルを持った人間というのはそれをお小遣い稼ぎに活かしたいと考える、それが世の常です。だいいち機材を揃えるのには相応のコストがかかる。動画データがないのなら、辿るべきはお金の流れでしょう」

 不安げな三対の視線が注がれる中、大鶴はさくさくと目的の情報を確認した。

 うむと泰然とした笑みとともに頷き、

「さぁ、取り引き履歴がありましたよ。絵柄を学習させたAIを使って生成したアニメやマンガのイラスト集を、ネットで販売して収入を得ていたようですね。それも、著作権者に通報すれば法的措置を取られる規模ですから、そうなれば自宅PCを証拠として押収することも可能です」

「――待ってください」

 朗報なのか凶報なのかの判断がとっさにつかず、長沼はそんなことしていたのかとただ驚いている小堀と増岡の隣で、正斗だけが即座に難色を示した。

「最終的に証拠が入っているであろうPCを押収することが肝なんでしょうが、その罪状は、フェイク動画の件とは別件です。それに大ごとになりますよ。できるだけ犯人を刺激せず内々に解決したいっていう本人の希望に反します。警察じゃなくて探偵さんに出てきてもらった意味がなくなります」

「きみは案外、当人の意志を重視するタイプなんですね」

 ちょっとつつくと、正斗が言葉に詰まった。

 彼のこの立て板に水とばかりの鋭い反論は、寺崎への純粋な配慮だけではなく焦りと後ろめたさを含んでいる。

 正斗の抱えている秘密が、さっき彼だけが気づいた何らかの情報が、そうさせているのだ。


(……いじめたいわけではない、と思うんだが……彼が本気で僕を丸め込もうとするところが見たいのかな、僕は)

 この案件を解決に導こうという真剣な探偵の顔をしながら、大鶴は腹の底では初めて遊園地に来ているかのようにわくわくしていた。

 正斗に好かれたい、だけど同時に、追い詰めて困らせて焦らせて、窮鼠の一撃を食らわせようと知恵を絞る彼を見たい。何回かに一度、法則性もなにもない予想外の反撃を食らわされて、心の底からびっくりしたい。つばぜり合いで散る火花の美しさに見入るような心地で。

 何も指示などしていないのに、長沼のスマホを携えてここへ現れた正斗を見た瞬間に、彼はまたひとつ大鶴の人生を塗り替えたのだ。

 大鶴が尊敬する人物はこの世に少ないが、正斗はそのひとりになる予感がしている。


 だから、大鶴は期待に前のめりになる自分を抑えながらさらに追撃した。

「大ごとにしたくない、ですか? 奥田くんの言うことも分かりますが、当事者がいつでも正しい道を選んでいるとは限りません。ネットの中では、情報は現実の数倍の速度で伝わっていきます。犯人は自分がBANされたと見るや、今朝新しいアカウントでさっそく動画の再投稿を行っています。それなりに経験を積んだ探偵として言わせてもらうと、今を逃せば、寺崎先生の傷の根治はどんどん困難になっていくんです。今回の動画がネットタトゥー化するよりは、遠からず引っ越す土地で少々立つ鳥跡を濁すほうがずっとマシじゃないですか?」

 実際、こういった「実害」という確かなものを当の被害者ですら自信を持って主張しづらいケースでは、周りに打ち明けてもそこまで深刻に受け取ってもらえないことも多いし、混乱が勝ってひとまず静観、日常の実生活を変わりなく送りつつ様子見することを優先しがちだ。

 だからこそ、本人がそう言うならとお茶を濁さず、早いところこちらが否を突きつけるべきだと大鶴は思う。さもなくば明確な解決が遠ざかってしまう。

「……」

 正斗はぐっと唇を噛み、

「……じゃあ、長沼が動画の犯人じゃなかったら?」

「はは、それを考慮する必要はありませんよ」

「どうして!」

「だってさっきから、きみは長沼くんがやったんだと確信していますよね?」

「……!」

 正斗が今度こそ完全に面食らった。

 大鶴は悠然と微笑み、

「まあ、別に理由を言わなくても構いません。きみがそう思ったのなら、相応の根拠があるということ。僕はきみの判断を信じることができます」

 助手にと望んでいるくせに、あいにく優しいだけではいてあげられないが、それだって大鶴の本心だった。

 正斗はたじろぎ、それを隠すように視線を下方へさまよませ、最終的にろうそくの火がふっと絶えるように押し黙った。

 あらら、と大鶴も少し落胆する。もう降参してしまうのか。半分本心、半分建前として振りかざしていた寺崎の意向のことは、諦めたのか。……そうしなさいと説いておいて、大鶴は勝手なことを考える。

(……今ので、嫌われては……ないよな……?)

 言いすぎただろうか。黙り込んだ正斗のつむじを見ながら、今さらちょっと後悔までこみ上げてきた。

 やがて固唾を呑んでふたりのやりとりを見守っていた小堀が「一回先生に相談しよう」と言い出したのが、区切りになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る