6 騒がせる

 あのあと、寺崎と話した大鶴は、言っていた通り長沼のAIイラスト集販売の件を著作権者に通報した。

 彼の強力なコネの賜物で、事態はあっという間に動いた。長沼の自宅PCは証拠として押収され、フェイク動画の証拠も芋づる式に見つかった。

 とうぜん退学処分が下された。一度長沼の両親が高校へ来て、泣きながら寺崎に土下座して詫びていたらしい。目撃者が深く考えずに拡散したのだろうその噂を耳にしたとき、正斗は舌打ちのひとつもしたくなった。

 そんなことだから、フェイク動画の件は寺崎のために細心の注意を払って内々で処理される……はずだったのに、水漏れなんか起きるのだ。

 長沼が前々から寺崎に粘着していたのは有名な話だったから、寺崎のデキ婚のニュースと一緒にフェイク動画のことも矢の飛ぶ速さで広まった。

 娯楽が少なく噂に飢えている口さがない連中が尾をつけ、ひれをつけ、長沼がどんなフェイク動画を作っていたか真相とはかけ離れた内容がまるで真実ヅラして伝わっていく。

 ……それでも大鶴の言う通り、もうすぐ去る土地での一過性の災難だと言うべきなのだろうか?

 確かに大鶴が迅速に動いたおかげで、ネットの海にはあれ以上動画は広まらず、寺崎にネットタトゥーとして残りはしなかった。だが、現実の人間社会ではこのざまじゃないか。寺崎はまんまと一躍時の人だ。

 実父が殺された、三年前の正斗と同じように。

(……分かってる、これは俺のせいでもあるんだ)

 正斗は外の社会に向けていた不満を自分の内側にも向けた。

 あの探偵には気づかれていた――正斗が長沼のスマホから、何らかの重要な情報を得たことを。

 そして、それをあえて言わなかったことも。


「玲於奈」

 正式な退職日はまだだが、寺崎がもう出勤してこなくなってから、正斗はひとり玲於奈に低く声を掛けた。

 短絡的な忌々しいつんつん頭は、本来立ち入り禁止の校舎の屋上にいた。

 授業中にもかかわらず唐突に現れた正斗を見返したその一瞬だけは、玲於奈の目が単純に嬉しそうに輝いた。しかしその光はすぐ引っ込み、親しげでありながら攻撃的な笑みが父親似の顔に浮く。

「何だよ、正斗。おまえが授業をサボって屋上に来るとか熱でも――」

「おまえだろ」正斗はこちらをバカにしきった玲於奈の言葉を遮った。

「長沼にのマニュアルを送ってやったのはおまえだろ、玲於奈」

「……」

 玲於奈の表情がすとんと抜け落ちる。悪さを悪さとも思っていない無垢な幼児のように。


 あのとき――長沼のスマホを弄っていた正斗は、とある文書ファイルの存在に気づいた。

 タイトルは無意味なランダム文字列になっていたから、普通はぱっと見てこのファイルを検分しようと思わないだろう。

 だが、正斗にはそのやり口をよく知っていた。だから即座にタップして開いた。

 内容は任意の画風を学習させた生成AIで限りなく公式に近いイラストを作って儲ける方法や、ネット上の活動で生じる自分の痕跡を隠す方法、フェイク動画で人を煽動する方法なんかが大真面目に、ご丁寧に、書き連ねられたものだった。

 作成者は玲於奈だと、正斗にはすぐ分かった。


「文体の癖がまるきり同じなんだよ。……答えろよ玲於奈。何で長沼にマニュアルを送った?」

 玲於奈と長沼はクラスメイトだ。接点はあった。

 ふん、と玲於奈が正斗の静かな怒りを拗ねたように鼻で笑い飛ばした。

「分かってるくせに訊くなよな。将来有望そうだったからに決まってんだろ? でも、俺はこういうのも世の中にはあるよってやり方を教えてやっただけ。実行したのは本人だ」

 あいつも小遣い足りなくて困ってるって聞いたからな。もちろん長沼は、マニュアルを送ったのが俺だなんて知らない。

 玲於奈は悪びれもせず、

「俺は父さんみたいな大人になりたいんだ。だから昔教わったことを実践で練習してるだけ。『個人情報を握りやすい学生時代に出来た縁は大事にしなさい』『特別な相手にするように親切にしてやって、少しばかりいけないお小遣いを稼がせて弱味を作ってやれば、大人になる頃にはちょっとした組織を作れるくらいの数が揃う。学生時代とは比べものにならないほど失うものが増えた彼らは、何でもおまえの言うことを聞く駒になる』。

 ――俺はおまえと違って父さんの授業はほとんど受けさせてもらえなかったけど、形見分けでもらった遺品も使って一生懸命勉強して、おまえに負けないくらい賢くなった!」

 嫌な声が誇らしげに胸を張る玲於奈の言葉とともに正斗の脳裏によみがえってきていた。

 やはり、長沼は父親の物真似に必死な玲於奈の毒牙に掛かっていたのだ。

 こうしたことは今までにも何度もあった。どれだけ正斗が気をつけていても、父の人生をなぞろうとする玲於奈の蛮行全ては阻止できない。

 お山の大将気分でやりやがって。

 正斗は歯噛みした。

 恥ずかしげもなく絵本でもそらんじるように自慢げに言うことじゃない。

 玲於奈がこんな猿以下の愚か者だから、彼が害を及ぼさないよう正斗が彼のクラスメイトの顔と名前なんか把握したり、あの大鶴京紫郎の目から玲於奈の関与を隠したり――いや、まず間違いなく見抜かれていたが――する羽目になっているのに。

 長沼の背後で糸を引いていたことが正斗にバレたことを知ってもまだ、正斗が大鶴たちに告げ口をしなかったおかげで命拾いしたことをちっとも理解していない。

 恩に着るどころか、逃げ果せた、またひとつ父親に近づけたと良い気になるのだ、こいつは。

「ふざけんな……おまえ本当に死にてぇのか? あのクソ親父の戯れごとを真に受けて、またこんな――」

 激高すればするほど惨めさも募る。正斗が何度言ったって玲於奈のバカは治らない。

 案の定、玲於奈はかいていたあぐらをといて立ち上がり、好みのところだけ食べて残した無数の菓子パンを踏みしだいた。

「今回は長沼が下手をうっただけだ!! おまえだって俺みたいに父さんの言ってた通りにすれば、誰より賢く生きていけるのに!! 何でそれが分かんねぇんだよ!!」

 分からず屋はそっちだ。

 奥田乃愛と同じ道を行くのなら、ああやって刺されて死ぬのが終点だ。

 死にたいんならそうすればいいが、そんな簡単なことすら分からないくせに、半端に父親の小手先を習ってイキってんじゃねぇ。

 燃えるような怒りの裏側で、そんな反論を思いつける自分に安堵もしていた。

 玲於奈が嫉妬するほど特に父親に目を掛けられていた正斗は、それを根拠に自分はまだ比較的まともだと信じられる。


 腹立たしいことに、正斗の胸ぐらを掴み上げて駄々をこねるように吠え立てる玲於奈の顔には、まだ確かに幼かった頃の面影が残っていた。

 まだスプーンとフォークを使うのも覚束ない歳の頃、あの子ども部屋で兄弟ふたり、知育玩具を解くのを競っては父親の歓心を買おうとした、人生で一番無駄にした長い長い時間。

 あの頃から玲於奈は父にべったりで、反対に正斗は、自分ばかりを熱心に教育する父を恐れていた。

 無邪気で単細胞な玲於奈という肉親の存在が、確かにあの頃は支えになっていたのだ。

 正斗がいまだに玲於奈のことを見捨てられないのは、その愛着のせいだった。閉鎖的な時間を共有した経験の積み重ね。記憶の断片がずっと脳裏にちらついて、どうしたって消えてくれない。

 自分と同じように「まとも」でいてほしい。

 父親と同じ轍を踏んで殺されるようなことには万が一にもならないでほしい。世の中にはあの殺しても死にそうにない父親を殺して逃げ果せるほどの殺人者がいるのだ。玲於奈なんかきっとひとたまりもない。

 だからひとりで勝手なことをして、自分の前からいなくならないでほしい……。


(バカだよなぁ、兄弟そろって)


 正斗は胸ぐらを掴まれたままかすかに笑った。

 こんなバカを捕まえて賢いとか信じるとか言いだすんだから、あの探偵さんはやっぱり宇宙人なのかもな。

 さすがにこれで目が覚めるだろうけど。


 正斗への興味を失って東京へ帰っていく大鶴を想像すると、心がささくれ立ってひどく渇き、暴力的な苛立ちを呼び込む。

 衝動的にはなっていない。ここへ来た最初から拳を握る用意はできていたのだ。

 玲於奈の関与に気づいていながら大鶴たちに言わなかったのは正斗だ。

 言ったところで未来がどの程度変わったのか分からないが、いずれにせよ、他の全てを差し置いて玲於奈の無事を優先したことに変わりはない。

 だからせめて、少しは償いをしなくては。


 小堀たちのいない今、正斗の行動を抑止するものは何もない。

 毎度のように、ふたりはやりたいだけ互いを殴ったり蹴ったりすることになった。



 正斗が本橋玲於奈という同級生と殴り合いの喧嘩をし、謹慎処分を受けたという情報はすぐに大鶴のもとにも届けられた。

 玲於奈は理系クラスである三年四組の生徒で、正斗の異母兄であるという事実はすでに調べがついている。

 正斗と玲於奈は折り合いが悪く、以前から何度も同じような衝突を繰り返しているようだ。父親が何者かに殺され、異母兄弟のふたりは母親どうしのそれを踏襲するように険悪な関係にある。とくれば、この小さな田舎町で腫れ物扱いされるのは避け得ない流れだっただろう。

(にしてもあの利口な奥田くんが、そんな因縁だけで暴力なんて発散法を選ぶものかな……)

 この日、大鶴は朝から東京の事務所スタッフとリモート会議だったのだが、その間も正斗の不可解な行動のことを考え続けていた。

 彼が家庭内に問題を抱えているのは明白だ。殺された父親は職業不詳だったようだし、母親どうしが不仲な異母兄は同じ高校で不良グループのようなものを形成していて、彼自身スリの技術なんぞが磨かれるような生育環境におそらくあった。これで何の問題もなくすっかり健全に育ったと考えるほうが難しい。

(……僕は彼に、がっかりしているんだろうか)

 大鶴という探偵が身近に現れた今でも、正斗が玲於奈と短絡的な暴力沙汰を起こしたと聞いて、落胆に襲われなかったといえば嘘になる。

 その情動は、たぶん一般に幻滅と呼ばれるものに近かったのだろう。

 大鶴はこれまでの人生で他人にそんな感情にさせられたことはなかったが、いざ味わうと想像以上に苦い感情だった。

 やっと見つけたと思った世界にただひとつの宝石が一瞬で石ころに変じたら、こんな気持ちになるような気がする。

 結局のところ大鶴は生来、圧倒的に「持てる者」であり、根っこが傲慢だった。

 正斗に驚かされたい、追い詰めて知恵の限りを振り絞らせたい、やれるというなら騙されてみたい、そういう一切合切を自分の一番そばで起こしてほしい、だって面白いから――考えてみればそんな感情、遊園地の新アトラクションに夢中になっているのとそう変わらない。

 ならば正斗を助手にと望む気持ちも、帰りの時刻が近づくように刻一刻と、彼というアトラクションで遊ぶだけ遊んで満足したら自然としぼんでしまうのか。


 芦原が言うような、「まるで運命の恋に落ちるように唯一無二の助手と出会う」なんて経験は、やはり大鶴には体験不可能なのかもしれない。


 家具家電がそろい、ずいぶん生活空間らしくなった部屋で溜め息をついたときだ。

 ぴんぽーん、とチャイムが鳴り、マンションのエントランスに客が来ていることを報せた。

 インターホンのモニター画面を確認すると、改まった格好をした寺崎友梨香の姿が映っていた。


「少し急いでいたもので、アポも取らずに来てしまって申し訳ありません。引っ越す前に一度きちんとお礼をと思って……大鶴さん、先日は本当にありがとうございました」

 万が一仕事の資料を見られてはいけないとエントランスに下りてきた大鶴を見るや否や、これ、心ばかりですが、と茶封筒を差し出してくるので、大鶴は立てた手のひらでそれを断った。

「いやいや、正式なご依頼をいただいたわけでもなく、僕が出しゃばっただけですから、お気持ちだけで」

「で、ですが、あんなに助けていただきましたし……」

「本当にお気になさらず。それに僕は、寺崎さんのご意向に沿う形での解決を導くことはできませんでしたから」

 寺崎本人は最後まで生徒である長沼の将来を慮り、どうにか穏便にと望んでいたのを説得したのは大鶴だ。これから家庭を持つ身の彼女は最後には納得してくれたが、長沼が退学になり、余罪の捜査が進むにつれどこかで情報の水漏れが起きてしまったらしい。おかげで彼女は、この町を出て行くその日までは人の耳目に引き続き煩わされるだろう。

 謝礼なんていただけない。引っ越し先の新天地でまでつきまとい得るネットタトゥーが残らなかったことがせめてもの救いだ。

 これ以上食い下がられないよう、大鶴はにこやかに話題を変える。

「引っ越し準備でお忙しいんでしょう?」

 すると、寺崎は不思議なリアクションを見せた。

 意外なことを言われたように目をぱちりと一度瞬き、それから悔いるように、しかしどこかほんのり嬉しそうに苦笑した。

「いえ、大鶴さんのところに急ぎうかがったのは引っ越し準備に追われたからじゃなくて、奥田が本橋玲於奈という同級生と喧嘩してまた謹慎になったと聞いたからです」

「……? どういうことでしょう?」

 寺崎はここにいる大鶴ではない別の人物へ向けた困ったような笑みのまま、「たぶんわざとやったんだと思うんです」と言う。

「今回の派手な喧嘩で噂の的が奥田と本橋に移って、私は多少楽になってしまいました。それこそきっと奥田の狙い通りで……誤解されがちだけど、周りに見えないところですごく気を回してる子なんですよ、あの子。何でもよく気づくけれど、感受性と共感能力が高すぎるからか、自分もガンガンすり減っていってしまうんです。

 教師なのに助けられてばかりの私が言えたことじゃないかもしれませんが、もし本当に奥田が大鶴さんの助手になる日が来たら、どうか、大事にしてあげてください」


「…………」


 寺崎に頭を下げられながら、大鶴は柄にもなく固まったように立ち尽くしていた。

 教師として少々交流があったからといって、いち生徒のことを買いかぶりすぎではないか、そんなくだらない動機で謹慎処分を下されるほどの騒動を起こす子なんかいないと、普通なら笑い飛ばすところだ。

 だが大鶴には、寺崎の示唆した可能性が天啓のように突き刺さって抜けなかった。

 出会ってからすでに何度もひっくり返されている正斗へ抱く印象が、またひっくり返された。

 同時につい五分前まで囚われていた思考の無価値さが分かって、声を上げて笑い出したくなった。

「――ええ、もちろんです。僕は……」

 読めない行動。読めない動機。とてもとても面白い。だとしても、彼が大鶴を飽きさせない人間びっくり箱だからそばに置きたいわけじゃなかった。

 ただ彼の全てが好ましい。尊敬に値するとさえ感じる。大鶴にとって有益な存在でいてくれなくても構わない。

 焦点を絞り、自分の思考を徐々にクリアにしていくと、なぜかものすごく緊張してきた。自分の感情を明快な言葉で表現するのに緊張する。

「僕は、彼のことをとても好きですから」


(……助手って、こんな風に想わされるようなものだったか?)

 微笑みながら口にしたとたん、ふとよぎった疑問。急に手のひらが汗ばんできた理由が自分でもまだ分からなかった。

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