始まりの朝


 現実の世界で眠りにつくと、いつの間にか夢の世界で目が覚める。三回目ともなると慣れたものだった。しかし今回は何かが違う。

「……どうして学校にいるんだ?」

 俺はいつもの桜小道ではなく学校の教室にいた。どうやら机に突っ伏すようにして眠っていたらしい。時計を見るとまだ朝の登校時間だ。三日目ともなると友人グループが出来てきたのだろう、教室内で談笑する生徒たちが多く見受けられる。

 そうして頭の整理が追い付かないうちに予鈴が鳴った。小走りで教室に入ってくる生徒たちの中に、一際猛スピードで駆け込む影が一つ……。

「あーっ! モミジくんの裏切りものーっ!」

 シオンだった。今日も長い間走ってきたのだろう。息をきらし、少し髪や衣服が乱れていた。とりあえず見知った顔に出会えたことで安堵する。

「なんだ、今日も寝坊したのか?」

「違うもん! 今日だってちゃんと起きれたもん!」

「そうか、偉いな」

「えへへ……って、そうじゃないよ! わたし、今日もずっと待ってたのに!」

 待ってたって……あの桜小道でだろうか。なるほど、俺が来るのをギリギリまで待っていたからこんなに急いで登校してきたのかもしれない。しかし……。

「お前、毎日あそこで待つつもりなのか?」

「もちろん! だってわたしたち、友達だもんっ」

「……友達、か」

 悪い気はしない。ただ、シオンは別に俺に対してのみこうな訳じゃ無い。元々人懐っこくて距離感が近いタイプなのだ、この子は。

 それに現実への影響を考えると少々複雑な気分でもある。俺がこいつの傍にいること。それ自体がそもそも本来存在するはずの無い要素なのだから。

 やっぱり原作の流れ通り、どうにかしてツツジと交流を深めさせるべきだろう。それが生徒会への入会のキッカケにもなるはずだ。

 よし。そのためにはまず、事のあらましを正直に話してみるのがいいかもしれない。

「朝の事は謝る。ただ、今後は一緒に登校することは難しいと思うぞ」

「ええっ!? どうして!?」

「実は俺、ずっと夢を見ているんだ。本当の俺は現実にいて、ここは夢の中なんだよ。必ずあの桜小道で目が覚めるとも限らないんだ。それにお前は漫画のキャラクターで……」

 言ってから気付いたが、こんな事いきなり語られても頭を心配されるんじゃないか?

「……もしかしてモミジくん、疲れてる?」

 ほら、最後まで言い終えぬうちに言葉を遮られる! もっと上手く纏めるべきだったんだ。これじゃさすがに引かれたかもしれない……。

……しかしシオンは予想外の行動に出た。彼女は両手を伸ばし俺の頭を抱え込んだかと思うと、そっと自分の胸元に抱き寄せたのだ。

「!?」

 ……あまりの衝撃に息が詰まる。ふわりと甘い桃の香りと、何か柔らかな感触が頭上に擦れた。どういうつもりか知らないがこれはダメだ。何が起きているのか完全に理解してしまったら、俺はこのまま幸福で気絶してしまう気がする……!

 ……そんな俺の気も知らず、シオンはすっかり固まってしまった俺の後頭部を優しく撫で始めた。

「よしよし。お姉ちゃんの腕の中でゆっくり休んでいいからね……」

 誰がお姉ちゃんだ。いや、しかしこのままでは本気で意識が飛びかねない。まだ何も成し遂げてないのだ。戻るには早すぎる!

「お、おまえなっ」

 身体中の力を振り絞ってシオンの抱擁から脱出する。力が強かったというより、己の欲を打ち払うのに多くの体力を使ってしまった。自分でも分かるくらい顔が熱い。

「わっ! よかったぁ、元気になったよ!」

「あのなぁ。こういうこと、簡単にするもんじゃないだろ」

「しないよ! でも、モミジくんにはそうしてあげたいって思ったの」

 ……いちいち勘違いしそうな台詞が聞こえてくるが、これは原作のツツジにもあった展開だ。読者視点では微笑ましくもドキドキするやり取りだったが、自分がやられると昇天しそうになる。

 しかし改めて考えてみても、そもそもの原因は俺がツツジのポジションを奪ってしまったことにあるのだろう。早急にどうにかしなければ。

「そうだな……。シオン、昼休みちょっと付き合ってくれないか?」

「わあ! 実はわたしも誘おうと思ってたの。お弁当作って来たんだ!」

 シオンは喜んで引き受けてくれた。夢の話は信じてくれそうもないが、この様子なら誘導は難しくないかもしれない。というか、難しくてもやるしかない。

「やっぱりわたしたち、似たもの同士だねっ」

 ……何よりこのままでは様々な彼女なりの『交流』を全て俺が経験しかねない。そうなったら目が覚めるどころか、心臓ごと止まってしまいそうだった……。


 昼休みになった。俺はシオンと共に教室を出て廊下を歩く。

「ねえモミジくん。どこに行くつもりなの?」

「ああ。まずは購買だな」

 購買といえば初日の活気を思い出す。ちょうどこの時間は争奪戦が激化しているころだろう。

「でも、わたしお弁当あるよ? ちゃんとモミジくんのぶんも作ってきたんだから!」

「それはありがたいが、目的は人探しだ」

「ひと?」

 購買に着いた。やはりすごい人の数と怒号だ。俺たちはその群れから少し離れた位置に立ってよく辺りを見回す。

 目標は……やっぱりここにいた。相変わらず小さな身体でぴょんぴょんと跳ねて必死な少女、ツツジ。しばらく眺めていると、彼女は初めて出会った時と同じように群れから弾き飛ばされ地面に転がった。俺たちはそこへ近付く。

「うぅ、痛ぁ……」

「よ。元気そうだな」

「へ? あ、あんたはっ!」

 ツツジは露骨に嫌そうな顔をした。やれやれ、嫌われたものだな……。

「シス……ツツジちゃん、大丈夫?」

「あの、あなた今シスコンって言い掛けなかった? ……えっと、確か」

「シオンだよ! モミジくんと同じクラスの」

 そう言ってシオンはツツジを助け起こした。シオンの方は相変わらずだが、人見知りするタイプのツツジはまだどこかぎこちない。

 まあいい。第一段階、運命の再会編はクリアだ。次は『一緒に食事であーん編』の達成を目指す。

「またパンか。お前、実家は洋菓子屋だろ? 弁当とか持ってこないのか?」

「う、うるさいわね。なんであんたにそんな事言われなくちゃいけないのよ」

「俺は心配なんだ。またお前がパンを買えずに飢えてしまったらどうしようって……」

「もう、余計なお世話よっ! それに二度と借りは作らないんだから――」

 その時、タイミング良くツツジのお腹が鳴った。……くうぅ、と切なそうな腹の虫がこちらにまで聞こえてくる。ツツジは顔を真っ赤にして俯いた。

「ツツジちゃん、そんなにお腹空いてるの?」

「ちが、ちがうの!」

「俺たちもこれから昼にしようと思ってたんだ。良かったら一緒にどうだ?」

「だ、誰があんたなんかと! うぅ、でもお腹が……」

「わあ! それがいいよ、ツツジちゃん! わたしいっぱいおかず作ってきたんだから!」

「おかず……!?」

 あと一押しといったところでシオンが止めを掛ける。目の前に掲げられた弁当箱を前にしてついに意地っ張りの女王様は陥落した。

「……分かったわ。どうしてもと言うなら、お言葉に甘えてあげなくてもいいけどっ?」

「分かりやすいな、お前」

 口ではああ言いつつも表情は思いっきりにやけていた。この感じ、原作では初めてシオンがツツジを食事に誘った時のものと同じ雰囲気だ。懐かしいな……。

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