大和撫子


「――え? 生徒会に入らない?」

 放課後。教室でシオンと今後の予定について話していると、彼女の口から衝撃の一言が放たれた。

「うん! だってわたし頭も良くないし、そういうのって難しそうで。それに、この水の街には越してきたばかりで何も知らないもん」

「お、おいおい。ちょっと待ってくれ……」

 生徒会の話を振ってみたら、なんとシオンは入らないと言い出したのだ。こんな発言もちろん原作のセリフにはない。彼女は友人となったツツジにくっついていく形でなし崩し的に生徒会へ参加し、そこから様々なエピソードが生まれていく……はずだった。それなのに、シオンが生徒会に入らないというのはそもそもタイトルの『ゆるかいっ!(ゆるい生徒会の意)』からして破綻してしまう。

「いいのか? 生徒会には毎日会議という名のお茶会があってお菓子食べ放題だし、修学旅行の視察という名目で海にバカンスへ行けたりするんだぞ!? それにツツジだったいる!」

「もう、生徒会だって遊びじゃないんだよ? ツツジちゃんのことだって、仲良くしたいとは思ってるけどまだよく知らないし……」

 必死の勧誘も流されてしまう。

「それにね? わたし、どこかの部活に入ろうと思ってるんだ! テニスがいいかな、茶道部もいいなぁ」

「部活、だと……?」

「これから見学会なんだ! 良かったらモミジくんもどう?」

「……いや。俺はいいや」

 部活動には……あまり良い思い出がない。たとえ夢の中だとしても好んで活動しようとは思わなかった。その返事を聞くとシオンは残念そうな顔を見せ、また明日ねと残して教室を去って行ってしまう。

 誰も彼もがいなくなった教室。俺は窓から茜色の空を見上げながら妙な焦燥感に駆られていた。

 これはあくまで夢の話だ。シオンが生徒会に入らなかったとしても、現実のそれに何か影響があるわけじゃない。……いや、本当にそうか? 現実世界で改変されてしまった『ゆるかいっ!』――あれに何か関係があるんじゃないか? もし……もしそうだとしたら。

 じっとしていられなくて、気付けば俺は教室を飛び出していた。やっぱりシオンを呼び止めよう。今ならまだ見学会に間に合うはずだ――


「――きゃっ!」


 ……しかし逸る気持ちから周りが見えていなかったせいか、俺は廊下からやって来ていた女生徒に気付かずぶつかってしまった。

 お互いに軽くころんでしまって、下半身が軽く痛む。同時に女生徒が持っていたであろう書類の束が辺りに散乱した。俺は慌てて謝罪する。

「わ、悪い。大丈夫か?」

「……ありがとう。こちらこそごめんなさいね」

 尻もちをついていた女生徒に手を伸ばす。彼女の手を取り姿勢を立て直したところで、俺は初めてその少女の正体に気付いた。

「あんたひょっとして……『姫松葉ボタン』なのか?」

「あらあら? 新入生の子にまで認知されているなんて嬉しいわっ」

 腰まで届く艶やかな長い黒髪、吸い込まれそうな深い緑色の瞳。華奢な体に緑色のリボンをあしらった制服を纏い、その様相は大和撫子を彷彿とさせる。

 彼女の名前は姫松葉ボタン。シオンやツツジと同じ『ゆるかいっ!』のメインキャラクターで、生徒会会長を務める二年生の女の子だ。まさかこんなところで会えるなんて……。

「ふふっ。私の顔に何か付いてるかしら?」

 言われてはっとする。どうやら俺は知っている人物に会うとまじまじと見てしまう癖があるようだ。しかし無理も無いだろう。彼女たちは皆俺の推し、憧れていた存在なのだから。

「初めまして。あなたが噂の男の子、伊呂波モミジくんね」

「……噂?」

「ええ。『たくさんの女の子を一度にストーキングする、逮捕待ったなしの男の子が学校にいる』って有名だもの」

「嘘だろ……」

 たった一日で俺の学内での評価は散々なものになっているようだった。噂の出どころはツツジとのやり取りだろうか。まさに因果応報。

 がっくり項垂れているとボタンは再び「ふふっ」と笑った。

「冗談よ。有名なのは本当だけど……。あなたは本校唯一の男子生徒だもの」

「それも嘘だろ」

「本当よ」

 マジかよ……確かに他の男を見掛けないとは思ったけどさ。というか、夢にしてもあまりに都合良すぎないか。それは今更かもしれないけど。

 とりあえず会話もほどほどに、辺りに散らばったA4サイズのプリントを拾い集める。内容はよく分からないものばかりだが生徒会に関する資料なのだろう。

「あらあら、ありがとうね」

「そもそも俺のせいだしな。……にしても、随分な量だな。何に使うんだ?」

「これは先生から頼まれたプリントなの。今から全クラスに配って回るのよ」

「……これを、一人で?」

 集まったプリントは両手でやっと抱えきれるほどの山だ。この学校は一学年三クラス用意されているため、実に九つの教室をこれを抱えて歩き回ることになる。原作ではこんな地道な作業が描写されることはなかったが、生徒会というのも大変な仕事なんだな……。

「他の役員には頼めないのか?」

「それが、みんな卒業しちゃったの。もう二年生の私しか残ってないのよ」

「ああ、そういえばそうか……」

 生徒会は物語開始時点で二年生に上がったばかりの会長のみで構成されていて、あとから入る予定のシオンとツツジを合わせて三人。原作ではそこまでの流れはスムーズだったし、いつも賑やかだったからつい忘れていた。

 今やシオンは生徒会に興味なし。ツツジはタイミングがずれたせいか、この様子だとまだ入会届を出していないらしい。……ほとんど俺のせいだろう。彼女らのことは気になるがここはひとつ、罪滅ぼしも兼ねてボタンの仕事を手伝おう。

「俺で良ければ手伝わせてくれ」

「まあ! ……まあまあまあ!」

 ボタンは嬉しそうに目を輝かせた。

「それじゃあお言葉に甘えちゃおうかしら。半分持ってもらえる?」

「いや、俺が全部運ぶから場所だけ案内してくれ。さすがに全クラスの場所までは把握してなくてさ」

「まあ! 男の子ねっ」

 彼女はよく笑う。推しのこんな笑顔を見られるのなら、このくらいどうってことないさ。

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