第4話 全てに宿る金星4

翌朝、空上そらうえ金星かなぼしは固い床で目を覚ました。


(朝……?)


カーテンもない自分の部屋の窓を眺めながら、金星かなぼしは目をこすった。床から起き上がり、昨日覆った毛布を畳んだ後、黙々と食事を準備した。

朝ごはんには、昨日からもらった肉じゃがとご飯パックを電子レンジに一緒に入れて温める。


「うっ!」


ボタンがうまく押せなかったので、ぎゅっと押す。すると、電子レンジから光が出始めた。


「ふぅ……ボタンをうまく押せないが、仕方がないね」


そんなことをつぶやきながら、金星かなぼしは古い電子レンジをなでた。引っ越してきて間もなく誰かが捨てていった物だが、まだ作動するので金星かなぼしが使っている。

しかし、電子レンジを載せる台のようなものはなかったので、当然ながら床に置くしかなかった。


「……」


床の上にぽつんとある古い電子レンジの電子音に青い瞳は静かに動いた。


チーン!


「……いただきます」


段ボール箱を食卓に、コンビニの割り箸を持った金星かなぼしは静かに朝食を始めた。


やなぎさん、か……」


少し楽しい声で金星かなぼしはお隣の人の名前を繰り返した。肉じゃがをおかずにご飯パックを食べたら、昨日の食事の時の記憶が浮かんだようだ。


やなぎぜん、不思議な人だ。


助けても何の得もないのに金星かなぼしをおんぶして救急車まで送ってくれて、父親も出してくれなかった病院代を支払い、それに食事まで。


(確かに親切な人だ。やなぎさんのもやんちゃだけどいい子たちだったし……)


おかずをもぐもぐしていた金星かなぼしはふとぜんの手の甲の傷を思い出した。


(まさか、肩に乗っていて落ちないように捕まえようとして、やなぎさんの手の甲を掻くとは……いくら猫だとしても、そんな幽霊は初めて見た)


今思い出しても本当に不思議な光景だったと金星かなぼしは思う。

猫の幽霊二匹がぜんの肩に乗ってゴロゴロしたり、二匹でふざけたりする姿。気持ちとしてはカメラに収めたかったが、そうしたら心霊写真になるはずだから、金星かなぼしはやめた。


(なるべく見ないようにしたが、妙に目が行ってやなぎさんと目が合ったね)


それが恥ずかしくてあたふたとご飯のおかわりしたのはおまけだ。


「あの子たちの傷も、絆創膏をお渡ししたから、すぐ治る……はず」


おかず容器を洗いながら、金星かなぼしはつぶやいた。

後でおかず容器を返す時、傷をちゃんと確認しなければならないと金星かなぼしは思った。同時におかずをもらったら申し訳ないので遠慮する準備も。


「ほんとう……いい人だよ」


おそらく倒れたのが自分でなくても助けてくれる、そんな優しい人であることを金星かなぼしは感じた。基本的に他人に善意を施すことが身についた感じだからだ。


「それに彼女さんもいるようだし」


一人暮らしの男性が食器も二人分で、決まりはPCデスクにある額縁の写真。ぜんと仲良さそうな女と撮った写真を金星かなぼしは思い出した。


白髪のぜんと対比される長い黒髪に白いカチューシャをつけた二十代前半ぐらいに見える女性とぴったりくっついて撮った写真。それは誰が見ても彼女だろう。


やなぎさんは格好いいし、親切だし、それに料理も上手だから、彼女さんがいてもおかしくない」


素敵な大人だ。大きくなったらあんな大人になりたいと思うほど。

それが昨日、空上そらうえ金星かなぼしが感じたやなぎぜんという青年だった。


「何か……私がお返しすることはないかな?」


ずっともらってばかりは嫌だ。

同情される気がするというよりはということを金星かなぼしは誰よりよくわかってるからだ。


いや――


他人ではなく、家族に与える善意も当然のことではない。


「そういえば財布に残ったお金が……」


制服に着替えた金星かなぼしは静かに財布の中のお金を数えてみた。

現在残っているお金、一万三百円。これは金星かなぼしの父親がとして送ってくれたお金だ。


ここに引っ越してきた三週前までは十万円だったが、家賃六万円を払って、食費と交通費、学用品費と洗濯費などで少しずつ抜けてこの程度残った。


この家には洗濯機もないので、コインランドリーで制服を洗濯し、学用品もシャープよりは鉛筆を使い、交通費もできるだけ早く起きて歩いて登校するにも足りない。


故に金星かなぼしは食費も削った。その結果はご存知の通り、昨日栄養失調で倒れて運ばれてしまった。


「今日はやなぎさんからもらった肉じゃがで、何とか朝と晩の食事はできるので。今月はあと……」


金星かなぼしはスマートホンのカレンダーを確認した。


「あと九日。うん、これで持てる……」


おにぎりやカップラーメンだけで済ませた結果、病院に運ばれた。というわけで、明日からはもう少しお金を使ってコンビニ弁当で食事を済ませようと金星かなぼしは思った。


「安いコンビニ弁当が四百から五百円ぐらいだから……」


一日弁当一つで九日なら四千円ぐらい。その食費を除けば残るお金は六千三百円。念のため一千三百円を残しておけば五千円ほど残せるだろう。


「この五千円でやなぎさんにどうやって恩返しをすればいいの?」


震える手で五千円を握る金星かなぼしは静かにつぶやく。


「私は悪い子だから、善意を当たり前に思ってはいけない」


金星かなぼしの父親が、パパが言った言葉だ。


「そういえば今日もバイト先……早く探さないと」


父親が初めてこの家に連れてきたときに言った。「生活費は自分で稼げ」と。しかし、中学生の金星かなぼしを受け入れてくれるところはない。

残りの九日間、早くアルバイト先を見つけられなければ、来月の家賃を払うことも難しい。そう思った刹那――


「……ヒトねえに会いたい」


瞬間、瞳から玉のような涙が落ちた。びっくりした金星かなぼしはその涙を拭いた。

甘えてはいけない。


「泣くな。私のせいで、みんなバラバラになったんだから」


父親が言った。お前が原因だ、と。

母親が言った。あなたのせいでバラバラになるのよ、と。


「私が、一人で頑張らないと。迷惑……かけてはいけないから」


そうだ。迷惑をかけてはいけない。

善意に甘えてはいけない。


「また迷惑かけたらパパにも捨てられる」




☆☆☆




空上そらうえ金星かなぼしとの出会いからおよそ三日ほどの時間が過ぎた。


それからお隣、二百一号室に特に動きはない。そのことがあって、翌日の夕方頃におかず容器をきれいに洗って届けてくれたことぐらい。



――こちらおかず容器です!それでは、これで!――



そんな風にさっさと行ってしまったのをぜんは思い出した。

また食事でも用意しようかと思ってまた勧めたが、「お腹いっぱいで大丈夫です!」という言葉と共にきっぱりと断られた。


「やっぱりおじさんが作ったのは嫌だろうな〜うん。昨日はただお腹がすいて仕方なかっただけだろうしな〜」


そんな感じで三日が過ぎた。


それでも妙に気になったので、ぜんは夕食を作る時、普段より多めに作る癖ができた。


「もしやコンビニで済ませなければいいんだが……」


ふとそんな気がしたからだ。

しかし、現実は不安なほど何事もない。これに対しぜんは「あの日のことは実は夢じゃないかな?」という考えをするようになった。


(当人が快く思わない親切は有り難迷惑になってしまうからな……)


そんなことを考えながら今日の夕食を準備する頃にピンポン〜!というチャイム音が聞こえてきた。

その音にぜんは素早く玄関のドアを開けた。


「やっほ〜!三日ぶりだね、クさん!」


そこにはぜんと同年代の二十代の女性が立っていた。


黒髪の間にはピンクのハイライトを入れ、それをツインテールにして派手だ。白髪のぜんも派手なものは引けを取らないが。


そこに派手なものは髪の毛に止まらない。右目は青色に左目は黒いオッドアイ。身なりは下からストッキングとスカート、最後にブラウスも喪服のような黒さだ。


しかし、基本的にフリルをつけたせいが、黒い喪服のような厳粛さとは程遠い。


かつて流行りの『地雷系』というファッションだと、ぜんは目の前の当事者から聞いた情報を思い出し、失望混じりの声でその名前を呼ぶ。


「何だ、ワタか?」

「その反応は何だよ〜!三日ぶりに会う友人であり、業界の先輩に冷たすぎるのでは?」


名前はやしろ海実わたみ通称、ワタ。ぜんと同い年で、職業は小説家。ぜんに小説の世界を教え、この業界に足を踏み入れるきっかけになった友人であり、先輩作家だ。一応は、


「この前、キャンプ場でも朝起きたらいないし!ぱっとコンテンツでネタにしちゃおうかな!」

「やめとけ、何をしてもお前が致命傷だ。またファンたちに怒鳴られると思うよ?」


おまけで五十万のVTuber。海実わたみの話によると、そちらは副業らしい。


「それより何の用で来た?ワタ」

「あ、そうそう。どれどれ〜」


そんな言葉とともに、海実わたみはかばんから一つの寝袋を取り出した。キャンプで海実わたみに略奪されたぜんの寝袋だ。


「これを返しに来た!私、優しいでしょ?クさん」

「優しい?そもそも私がトイレに行った間にお前が奪ったものだろう?」


それでも一応直接持ってきてくれたので、ぜんはこれ以上文句を言うのはやめた。


「じゃあな」


その言葉と共にぜんはドアを閉めてしまった。


ドン!ドン!!ドン!!!


突然聞こえてきたドアを叩く音にぜんはため息をつきながら再びドアを開けた。


「何だ?用事は全部済ませたんだろう?では帰れ。しっ、しっ」

「ひどくない?わざわざ寝袋を返そうと思って来たのに、コーヒーもないし!私はクさんをそんな子に育てたことがないのに!」

「私もお前に育てられた覚えがないが?」


そんなぜんの反論に海実わたみはそっと頬を膨らませた。

あんなのが同い年だなんて、ぜんは内心ため息が出た。


「うん?それより何かおいしそうな匂いがするね?この匂いは……」


その言葉とともに、海実わたみはくんくんする。それが何のにおいなのか気づいたのか、微笑ましい表情で話す。


「これはトッポッキを作る匂いだね?」

「……」

「何の風の吹?今どきの子供が好きそうなものを作って」

「……」

「私が作ってと言った時は、と言ったくせに」


じっと見つめる海実わたみのその視線をぜんは避けた。そのままゆっくりと再びそのドアを閉めようとすると、海実わたみがそのドアにしがみついて止めた。


「こら!私の言葉を無視するな!わかった、理由は聞かないから一緒に食べよう?ちょうど私もたくさん歩いてお腹すいたし!」

「うるさいから帰れ。そもそもお前の分はない」

「ひどい〜!私との関係は遊びだったの?!キャンプ場でお互いの温もりを感じた熱〜い一晩を楽しんだくせに!」

「またざれ言を……それより何がお互いの温もりが!?お前が私の寝袋を奪っただけなの――」


ドン!


一瞬、何かが落ちる音に、ぜん海実わたみもその方向に視線を向けた。

お弁当袋、中高生が登校する時に弁当を入れる袋、それが落ちる音だった。


「……」


そのお弁当袋の主人は、やや驚いた表情を見せた。いや、実は前髪でよく目は見えないが、あの反応を見てぜんがそうだと推測するだけだった。


「ああ!お弁当袋!久しぶりに見る〜今どきの子供たちもお弁当袋をちゃんと使うんだね!」


そんな気の利かない海実わたみの言葉にマンション廊下の時間が流れ始めた。


「あ……ううん!」


目を覚ました金星かなぼしは慌ててお弁当袋を拾い上げ、さっさと歩いて行った。


ダダダダッ!


あわただしいローファーの音にぜんは反応することができず、金星かなぼしが通り過ぎる頃になってやっと顔をそむけたが――


キィー


もう隣のドアは堅く閉ざされてしまった。


「はあ……」


そんなため息と共にぜんは静かに額に触れた。


「ふむふむ、あの制服を見ると近くの中学校かな?生徒だった時には私もあんな可愛い制服着たかったのに〜今着てもコスプレになるけど、後で一度着てみようか?どう思う、クさん?」

「……」

「クさん?」

「……あ、うん。まあ、いいんじゃない?」

「私の話聞いてないんだね?」


微妙なぜんの反応に海実わたみが慎重な口調で尋ねる。


「もしかして……あの隣の中学生と何かあったの?」

「……いいから、トッポッキでも食べるが?」


そのまま黙っていたらだめかな?――という言葉を最大限遠回しに言ったぜんの意図を知っているのか知らないのか、海実わたみは目を輝かせながらうなずいた。

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