第3話 全てに宿る金星3

どうやらぜんが作った「豚の肉じゃが」は金星かなぼしにかなり好評だったようだ。

あまりにもよく食べていたので、ぜんがからかうことも忘れてしまうほど。


「美味しく食べるから作った甲斐がありましたね」


食事の後にぜんがそんなことを言うと、金星かなぼしは静かに顔を赤らめた。


「ご、ごめんなさい。あの……おじさん」


ガシャン


瞬間、ティーバッグでお茶を入れていたぜんの顔にひびが入った。


(そ、そうだな……中学生にとって二十六歳はおじさんだな。うん、そうだな。アハハハ)


そんな残酷な現実にぜんが呆然とした顔を見せると、金星かなぼしは手を急いで振った。


「ご、ごめんなさい!その……名前を知らなくて……」


そういえば、お互い自己紹介をしていないことにぜんは気づいた。

自称礼儀正しい青年であるぜんは、ゆっくりとお茶を渡しながら話す。


「私の名前はやなぎぜんです。気楽にと呼べばいいんです」


何か自らおじさんであることを認めたそんな自嘲的な言葉に金星かなぼしは頭を激しく振りながら言う。


「いいえ、ちゃんとやなぎさんと呼びます」


礼儀正しい金星かなぼしの言葉にぜんの口もとが少し上がった。金星かなぼしもまたそれを感じたのかぜんに言い続ける。


「私は空上そらうえ金星かなぼしです。周りからはと呼ばれています」

「それは可愛らしい愛称ですね」


少し笑ってぜんが言うと、金星かなぼしはそれに応えるように微笑んだ。本人もその愛称が気に入ったから出てきた顔だろう。


「あ、そして私にはため口でいいんです。私はまだ中学生ですし、その方が気まずくないので」

「……それではそうしようか」


案外、そこは遠慮しないのがやなぎぜんという青年だった。

お互いお茶を飲んだ後、ぜんは圧力鍋に残っていた肉じゃがをおかず容器に入れながら言う。


「残り物は包んであげるから、明日温めて食べな」

「いいえ、大丈夫です。申し訳ないので……」

「さっきまでご飯をお代わりした人の口から出る言葉ではないが?」


その言葉に金星かなぼしが静かに口をつぐむと、ぜんは笑った。あの姿がとても面白くてもっとからかいたくなった。


(断りたいけど、おいしくて断れないあの反応が可愛いな〜)


多分いとこを揶揄うおじさんがこんな感じだろう。


(幼い頃、私と妹にご飯を食べさせてくれた隣のおばさんがこんな気持ちかな……)


そんな昔のことを思い出し、ぜんは自分が本当におじさんになった感じを受けた。


「あ、家にご飯はある?」

「そ、それくらいはありますよ!……ご飯パックだけど」

「はいはい」


笑いながらぜんはおかずを金星かなぼしに渡した。


「あ、やなぎさん。手が……」

「うん?」


金星かなぼしのその言葉にぜんは自分の手の甲を見た。

何か鋭いものによる切り傷だ。


(あれ?何に切られたんだ?さっき、料理する時に切ったことに気づかなかったのか?)


おかしい。ぜんは料理の初心者でもないし、手の甲に切られたことに気付かないなんてあり得ない。


「ううん……まあ、すぐに治るだろう」

「だ、だめです!そのままにしておくと、が血に反応して!」

「あいつら?」


ぜんが聞き返すと、金星かなぼしは古いぜんまい人形のように首を回しながら口を開く。


「……か、蚊です!」

「ああ、確かに蚊は血に反応するな。最近は夏よりは春や秋にもっと多いと言っているし……それなら絆創膏でも貼っておかないと」


それよりよく考えてみると、絆創膏を買っておかなかったという事実にぜんは気づいた。そもそも使うことがあまりなかったからだ。

面倒だけど買いに行こうと思った瞬間――


「ば、絆創膏です!」

「おお、準備がいいな?カナさん」

「いいえ、ただこのキャラ好きなんで。で――カナさん?!」

「うん、みんなカナと呼んでいるというからカナさん。もしかして気に入らないとか?」

「い、い、い、いえ……と、とにかく!その絆創膏、ちゃんと貼っておいてください!さあ!」


その言葉と共にぜんの手には絆創膏が握られた。

金星かなぼしの足についたのと同じデザインのキャラクターの絆創膏。恐竜の服を着ている猫のキャラで、数年前に子供向けアニメでぜんも通りすがりによく見た。


(中学生にしては珍しく子供みたいなのが好きなんだな?いや、最近は大人もキャラクターシールを集めるためにパンを買っているから、こういうのは偏見かな?ワタの奴も箱単位で買ってるし)


箱単位でパンを買った友人の顔を思い浮かべたのか、ぜんはそのキャラクターの絆創膏を見てにっこり笑った。


「ありがとう。うちは絆創膏がなくて、おかげで助かったよ。カナさん」

「い、いいえ!こちらこそ……おやすみなさい、やなぎさん」


その言葉とともに、金星かなぼしは二百一号室に歩いて行った。

ローファーを引く音がマンションの廊下で響き渡ったが、朝とは違ってもっと身近に感じた。


「……」


静かに鍵で自分の家のドアを開けた金星かなぼしはしばらくためらった。

何があったのか気になって首をかしげるぜんに、金星かなぼしは右手をそっと振った。


別れの挨拶としては何も言わずに堅く手を振るだけだが、ぜんもそれに合わせて何も言わずに手を振った。


キィー


「……」


隣のドアが閉まる音が聞こえると、ぜんはにっこり笑っていた顔を戻した。さっきまで嬉しそうに笑っていた人と同一人物なのか疑われるほど。


「はあ……」


それはちょっと不満そうな顔だった。当然だが、その顔はもう視野にない金星かなぼしに向けられたものではない。


(……あんないい子をな)


これはあくまでぜんの直感だが、おそらくあの男は――金星かなぼしの父親はあの家に一緒に住んでいないだろう。

さっきあの家に入って家の構造をちらっと見たぜんは、あの家の空気を反芻するように再び思い出した。


(あの家、私のワンルームより広かった)


それは物理的に広いという意味ではない。あの家には家具がない。


目立つ電化製品は基本的に備え付けている小さな冷蔵庫と古い電子レンジぐらい。他に家具どころか、スクールバッグだけが転がっていた殺風景な部屋だった。



――事情も知らない部外者が他人のことに口を挟まないでください。と係わると君も面倒になるでしょう――



ふとぜんはあの男、空上そらうえが言った言葉を思い出した。

確かにぜんはあの親子の事情を些も知らない。


「あまり知りたくもないし」


基本的にぜんは他人に善を施す自称礼儀正しい青年だ。そしてやなぎぜんは施した線に、同じく線で答えてくれた人だけをする。


反面、初めから悪意を見せた人には――


「……」


スマホを取り出したぜんは、そのまますぐ誰かに電話をかける。信号音が三秒ほど経つと、死にかけている声が聞こえてきた。


[どうしだ?ぜん、お前が先に電話をして]

「ちょっと時間あるか?サイ弁」


電話に出たのは西園寺さいおんじ弁護士、通称サイ弁。あだ名に近い呼び方だが、友達同士はいつもそう呼んでいる。


普段は弁護士の仕事をしているが、たまには――


「悪いけど人を一人、調しらべてくれ」

[こりゃまた……誰をしづむつもり?]

調しらべだよ、しらべ。つまんないおやじギャグ吐かすな」

[味気ない……それで誰?]


サイ弁のその問いにぜんは率直に話す。


「知らない、でも娘は知っている。名前は空上そらうえ金星かなぼしだ」

[名前だけで調べろなんて、ひどいんじゃない?こちらは未来型の猫ロボットではないんですが?]

「私も未来型の猫ロボットだけにしがみつく小学生ではねぇよ」


そんなつまらない冗談を交わしたぜんは、夜空の星を見ながら言う。


「そしてが多分ある。そうでない場合、無駄な苦労をさせることで済まないが」

[おいおい……]


やはり無理か。と、ぜんは素直にサイ弁の小言を聞こうとした瞬間――


[お前がそんなことを言う時は、ロトの番号以外は全部当たった時だ。一ヵ月、長ければ二ヵ月前くらいに終わった離婚訴訟だね?取り敢えずあたって見る]

「ありがとう。金は後でお前の口座に――」

[お金はいい。で]


断固たるサイ弁の言葉にぜんは顔をしかめた。


「あれ?私としては金の方が……」

[何の、高校からの腐れ縁だろう?]


本当にひどい腐れ縁だとぜんは思った。


[調査は大目にかかると思う]

「はいはい。もし何も出なくても一応連絡しろ。そしてちゃんと分かったら、お前の頼み全部聞いてやる」

[ははっ、それでこそ我らの大将だ]

「うるせぇ」


電話を切ったぜんはため息をついた。


「はあ、またか……考えただけで疲れる」


これはあくまで保険だ。一応はやっておいた方がいいとぜんの感が言っていたからする保険。

実はこの感が当たらないことをぜんが一番祈っている。


「……」


ぜんは静かにキャラクターの絆創膏を見つめながら、さっき金星かなぼしとの食事を思い出した。


初めて箸を握った時、金星かなぼしの箸の使い方はお世辞でも上手ではなかった。強いて言えば変な方。


「私と同じだ」


子供の箸の使い方は普通親から習う。しかし、そうでない場合は周りの人たちを適当に真似するのが大半。例えば学校給食の時とか。


これを矯正できない場合、すでにねじれてしまった箸の使い方はほとんどそのまま定着する。


「こういうのは妙に変わらないんだな。私も直すのに苦労したし……」


そのような環境にある割には、絆創膏が子ども染みなのが不思議だが。


「ところで、これは今日の支出がキャラ絆創膏になったというのか?」


ちょっと冗談っぽい口調でぜんはつぶやいた。一々損得を考える人には損と映るだろうが、ぜんには金星かなぼしがくれたこのお返しは違うように映った。


「まったく、思ったより子供らしいところもあるな?」


そんな言葉と共にぜんはくすくす笑った。

子供らしくなく妙に大人っぽいところが――いや、早く大人になってしまったところが少し心配だったが、こんな子供らしいところにちょっと安心する。


「お返しにキャラ絆創膏か……とりあえず、メモしておこうか?後で小説の参考になるかもしれないから」


そんな言い訳をしながら手帳にこのことを記録するぜんであった。

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