愛の無い世界

六角

愛の無い世界

奇跡きせき変遷へんせん

それは神による世界の再構築とも呼ばれた。


1年前の今日、世界から『愛』が消えた。


今となっては『愛』というものがなんだったのか思い出すことはできない。


ただ言葉のみが世界に残る。



 西暦2025年8月22日、神は降臨した。神は人類に提案をした。人の感情の中から1つだけこの世から消滅させると。その提案に応えることができるのは神が選出した聖人のみであった。全人類は怒り、悲しみ、嫉妬、あらゆる負の感情を候補に挙げ、それらが消え去る事を願った。犯罪者も無神論者も神の存在の前では、ただそう祈るしかなかった。しかし、選ばれたのは誰も名を知らぬ男であった。なにが彼を聖人たらしめたのかは不明。ただ彼だけが神の提案に”正解こたえ”を出せたのは確かだ。男は神の提案に

あい。」

と答えた。何を思ってそう答えたのか今では知る由もない。男は招待された大聖堂にて自分の顳顬こめかみを拳銃で撃ち抜いた。撃ち抜かれ転がる遺体のあまりの神聖さに、人々はただ神に祈りを捧げるほかなかった。


 世界から『愛』が消えて一年。世界から戦争や犯罪が消えた。神の存在に人々が恐れたからである。その代わり、年間の自殺者数は前年の200倍を優に超えると計算された。神の存在が人々に絶望を与えたからだ。


 今では『愛』というのはヒトが自然淘汰しぜんとうたの中でつちかってきた、集団帰属しゅうだんきぞくの欲求と独占欲がもたらす複合的な感情と説明される。言葉では理解できるが、全く感じることはできない。集団帰属の欲求、独占欲は各々感じられる。しかし、それらを組み合わせた感情というものはピンと来ない。知っていたはずなのに。


 妖怪や伝説の生き物を信じれないようにこの世界では『愛』というものは都市伝説や創作物として認識されるようになった。『愛』を唄う過去の作品は全て共感性を失い、歴史的な昔話としてでしか楽しむことはできない。人間は『愛』の代替だいたいとして、『本能的かつ社会的な義務感情』を選択した。そのおかげで人類は今も存続している。




 こんな世界で私は未だに、とあるアイドルを推し続けている。天音あまねあい。きっとこの世界で唯一のアイドルだ。『愛』が消えてしまった世界では人を好きになるということができなくなった。だから、アイドルという存在はたった1年で消えていった。彼女はそれでも活動を続けている。私を含めた5人は未だに推し活をしている。それはただの惰性である。彼女だってすることも無くただ前の生活を続けているに過ぎないのだろうと思う。ただ怠惰な人間が6人いただけにすぎない。今日も1対5のライブが始まる。


「そろそろ始まりますね。」

5人のうちの1人がそういう。確かにそろそろ時間だ。

「いやあー今日も人は増えませんね。まだ我々五天王ごてんのうだけだ。」

私含めて5人は自分たちのことを五天王と呼ぶ。それはオタクじみた言葉を使うべきだと思っているからなのかもしれない。

「もっと布教しないといけないですね。愛の良さを世界に!なんつって。」

私はそう言った。愛の良さか。私ですらそれがなんなのか分からない。もちろん愛は歌が上手いし、かなり可愛いと思う。しかし、なぜ推しているのか。私も分からない。

「あれ。もう時間なのに遅いですね。」

確かにもう時間をすぎている。いつもライブの開始は時間通り始める彼女にしては珍しい。


数分遅れた後、彼女は現れた。

「お待たせー!みんなー!元気ですかー!」

「うぇーい!」

以前と変わりのないやり取り。しかし、みんな1年前の自分を真似しているだけだ。前に1回だけ彼女になぜ今も活動を続けているのか聞いたことがあるが、その時も、彼女はアイドルを演じ続けた。だから、私もアイドルオタクを続けた。私にわかるのは、これは性欲であったり、愛護心ではないということ。何かが抜けた喪失感をお互いの演技で埋めているだけ。きっとここに『愛』かあったのだろう。


 彼女は歌い続けた。踊り続けた。世間から、愛のない言葉、怒りや諦めを浴び続けながら、彼女はアイドルだった。


「今回は皆さんに、伝えなきゃいけないことがあります。」

神妙な面持ちでそう語り出した彼女。いつもと違う雰囲気に私含めた五天王はしてはいけない期待をした。

「このライブで、私、天音愛はアイドルを引退します。」

そう言う彼女は100点満点の笑顔を携えていた。私たちはその突然の報告にどう反応したらいいか分からなかった。本当はもっと驚いて、残念がらなければいけない。しかし、既にそんな『愛』は消えていた。ただ、ついに終わるのかという安心感が胸に広がった。

「じゃあ、最後のライブ、全力で盛り上げてください!」

そういう彼女に呼応して、私たちも全力を出した。それがきっと正しい姿だったのだろうから。


 彼女の歌い踊る姿は今まで見てきた何よりも尊かった。あの時見た、神よりも。


 彼女は泣いていた。笑顔で泣いていた。私も泣いていた。笑顔で泣いていた。

「やめないでーーー!」

誰かがそう叫んだ。私も心に従って同じく叫んだ。

「愛してるーーー!」

私たちのラブコールに彼女も呼応した。

「私もみんなのこと愛してるよー!」


『愛』の無くなった世界で私たちは『愛』を叫んだ。




 天音愛はその後アイドルを引退した。私たち五天王もそれと同時に解散した。


 その夜、私は今まで買ってきた天音愛のグッズを全て目の前に並べた。どれを見ても懐かしさは湧く。しかし、肝心の『愛』は未だに分からない。いつかのイベントで撮った天音愛とのツーショットを見ながらどうにかして『愛』を思い出さそうとしたが、全く分からない。この写真を撮って貰った時、私は『愛』を知っていたのだろうか。笑顔でどこか恥ずかしそうな写真の中の自分とただ無表情でそれを眺める自分。『愛』のないことを怒ったり悲しんだりはできない。『愛』を知らない私たちはそれを評価することはできない。私は行き場のない怒りとも悲しみとも取れない呪いのような感情を窓の外に向けて投げ飛ばした。

「愛してるーーーー!」

私の叫びは近所迷惑以外になんの効果もなかった。




 その次の日私には仕事があったが、体調不良ということで休みを取ろうとした。上司からの嫌味を耐え忍んでどうにか休みをもらった。世界からは『愛』だけが消えたはずなのに、なぜ『思いやり』『優しさ』などという感情ごと消えている上司のような人間がいるのか不思議で仕方がない。


 私は昨日見た写真の場所に向かおうと思った。『愛』を期待したからだ。しかし、その場所に行っても事実のみの記憶が湧いてくるだけで、感情が湧いてくることはなかった。いや、これが『むなしい』という感情なのかもしれない。


「えっ。なんでっ。」

女性の声が横から聞こえた。聞きなれた声だ。私が横を向くと、視線の先には天音愛がいた。帽子を深く被り、マスクもしているが、ずっと見てきた私にはすぐに彼女だと分かった。彼女がその場を立ち去ろうとした時、咄嗟とっさに手を掴んでしまった。

「あっ、すみません!」

すぐに手を離して彼女の機嫌を損ねていないか見えない顔を確認する。彼女は笑っている気がした。いや、笑っている顔しか知らないから、そう思い込んだのかもしれない。

「ごめんなさい。」

彼女はそういうと私に軽く会釈えしゃくをして立ち去ろうとした。

「あのっ!」

聞こうとする事も決まっていないのにまた呼び止めてしまった。彼女は私の呼び止めに一瞬止まろうとしたが、すぐに足を動かした。私はそれ以上、止める意味が分からなかったため、そのまま彼女の背中を見送った。彼女の姿はライブで見た姿よりも小さく見えた。私は何分かその場で思い出に浸ろうとしたが、何も感じないことに嫌気がさして家に帰ろうとした。


「あの。やっぱり、付いてきて貰えますか。」

今度は後ろから声がした。彼女はうつむいて立っていた。私は何が起きているのか分からず、とりあえず了承した。彼女の言うがままついて行くと、そこには取り壊し中のビルがあった。

「私、ここでオーディション受けたんです。」

彼女はそう言い始め、彼女の人生を語り出した。小学生の時にアイドルに憧れて、高校生の時オーディション受けて、落ちて、2回目のオーディションで運良く受かったけれど、全く活躍できず悩んでいたら、世界から『愛』が消えて、アイドルは廃れていった。

「おかしいですよね。愛なんて名前しといて、愛が無くなった世界で、今唯一のアイドルとして活動してるの私くらいですよ。」

彼女がどんな表情をしているのか見えない。しかし、言葉に絶妙な間が空いていて、無理に落ち着こうとしているように見える。私は何か言わなければと思う程、何も言えない自分が不甲斐ない。

「いつの日か、なんでアイドル続けてるんですかって聞いてくれましたよね。逆に聞きたいんですけど、じゃあ、なんで私を推しつづけてくれたんですか。」

まさか自分が聞かれるなんて思っていなかった。ただ惰性と義務感で続けていただけだ。でもそんなこと本人の前で言えるわけがない。

「えっ、それは、ラ、アイ、君の歌と踊りが見てて応援したいって思ったから、かな。」

「そんな、無理しなくて、いいですよ。」

そう言われて、何も言い返せない。無理なんてしてないなんて、私には言えなかった。

「あーあ。なんか、なんでしょうね。『愛』って。世界から『愛』が消えたのと同時に、アイドルしての天音愛も消えちゃったんですかね。」

彼女は笑った。私は彼女の笑った様子しか知らなかったから、彼女の笑いの中に途方もない慨嘆がいたんが含まれている事に気づいた。

「なんか言ってくださいよ。いつもみたいに。」

「...てる。」

「え?」

「愛してるーーーー!!!」

彼女は心底驚いていた。

「ちょっ、ちょっとやめっ、」

「僕は君をずっと愛してる!そう、言った。1年前、ツーショット撮った時。君に言ったんだ。」

彼女と横並びになった時、急に思い出した。1年前のイベントでツーショットを撮ってもらった時、ずっと推しつづけると愛してると誓ったこと。我ながらそう言う自分に鳥肌はたつものの。確かに本気でそう言ったんだ。

「え、だから、なんだっていうのよ。そんな、昔、」

「だから、ずっと愛してるんだ!」

私は存在しない愛を叫んだ。彼女に届くように。自分に届くように。

「昨日のラストライブのときも、僕は心から、叫んだんだ!」

「それって、」

「『愛』だよ。君が創り出したんだ。」

「そんなはずない。神様が、消したんだよ。だって。」

「違う。確かに消えたかもしれない。けど、『愛』ってのはそんな単純じゃないんだよ。もっとこう。分からないけど。なんていうか。叫びたくなるような。」

私のあたふたした姿を見て彼女は笑った。

「え?何それ。ふふっ、絶対それ『愛』じゃないよ。」

「いいや、愛を見て思ったから、これが『愛』なんだ!神様でも消せない『愛』なんだ!」

「ははっ、意味わかんないよ、それ、あははっ」


 彼女の笑顔はマスク越しでも伝わるくらい大きな笑顔で溢れていた。アイドルとしては60点くらいの崩れた笑顔。でも、私はそれで良いと思った。それが”愛”なんだと思った。




 それ以降彼女は私の前に姿を現さなかった。どこでどう生きているのかはわからない。これで本当にこの世界からアイドルというものも消えてしまったのかもしれない。『愛』は不滅なんて言葉があったが、あれは神様が保証してくれていたにすぎなかった。あの時感じた”愛”はもう感じない。アイドル天音愛はもういないのだから。それでも私は『愛』を求め続ける。なぜなら、”愛”は創り出せるものだから。天音愛が私にとっての1つの”愛”だったように。

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愛の無い世界 六角 @Benz_mushi

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