第7話 ヒーローと、乖離。
9
あの夏休みの日以降も僕とへーちゃんの仲は特に変わることもなく、2学期が始まった。
僕はまた、へーちゃんを目で追うだけだった。ずっと見てるからへーちゃんも気付いていて、気付かないフリをしている。たまに呆れた顔で「なした?」と声を掛けてくれた。
へーちゃんは、すっかり近衛くんと加山くんと仲良しだ。2人と殆ど行動を共にしている。でも、文化祭での貢献を他のクラスメイトも高く評価しており、五木くんとか類沢さんとか、あまり関わらなそうな人たちも時折へーちゃんに話しかけていた。
凄いなぁ。
僕はそんなへーちゃんを遠目で見て、絵を描いていた。さすがに、へーちゃん自身を描くことはないけど、彼をモチーフにヒーロー風のオリジナルキャラを生み出して格好良い構図を考えていた。
「双郷ー、生きてるかー」
「……死んでる」
「よし生きてるな」
昼休み、加山くんに突かれているへーちゃんは、机に顔を突っ伏して寝る体制になっていた。夏休み明け以降、へーちゃんはこうやって休み時間に寝ることが増えていた。盗み聞きした感じ、バイトが大変でお疲れらしい。
「飯食わねぇの?」
「……いらね」
「マジ? じゃあ、俺近衛と食ってくるわ」
「おう」
加山くんはへーちゃんの返事を聞いて、お弁当を用意していた近衛くんに声を掛ける。2人はそのまま教室を出て行った。
へーちゃんはその間も顔を上げることはなかった。相当眠たいのか、微動だにしない。
話しかけたかったけど、さすがに迷惑だよね。
僕はひとりで勝手にため息を吐いて、自分の机で寂しくお弁当箱を開ける。お母さんが作ってくれた色鮮やかお弁当に感謝をして、それを口に運んだ。
しばらくひとりで食べていると、へーちゃんは突っ伏していた顔を上げ、おもむろに立ち上がった。それからポケットに手を突っ込んだまま、ズカズカと僕の目の前まで移動してくる。
「なぁ、お前、俺のことジロジロ見てただろ」
へーちゃんはわざとらしくニコリと笑うと、僕の後ろの席である五木くんの席にドカッと座った。五木くんはいつも彼の所属する漫画研究部の活動場所である理科室でお弁当を食べているらしいので、いなかった。
「お前はどんだけ俺を見れば気が済むんだ? 何か言いてぇことでもあんのかよ」
「え、えっと、そういう訳じゃないけど……」
「じゃあ何だよ。マジで見てるだけってこと?」
「えっと……その、」
モゴモゴと何を言えばいいのか考える。嫌われない言葉を必死に探すけれど、わからない。
へーちゃんは優しいから、そんな僕を待っている。鈍臭くて遠回りしかできない僕のペースに、彼はいつだって合わせてくれた。
「……話せる機会を伺ってました」
「キ」
殆ど反射的にへーちゃんの口から声が漏れる。多分、今のは「キモい」だろう。でも、彼はその言葉をグッと飲み込んだ。
へーちゃんがどれだけ僕にとって恩人で才能に溢れたヒーローでも、彼は僕と同じ高校生だ。キモいと思うことくらい普通にある。
彼は普段、なるべくそういうことを言わないように気をつけている。それでもすぐに口から「キ」が出てくるのは、相当に気持ち悪がられているということだろう。
ひ、引かれてる……。
そりゃあそうだ。いつも気にかけてもらってるから勘違いしそうになるが、僕にとってへーちゃんが特別な存在であっても、へーちゃんにとって僕はただの知り合い程度なのだ。
「……言いてぇことはねぇのに、何を話すんだよ」
嫌悪の気持ちを飲み込んだへーちゃんは、僕を睨むように見る。大きな目の下にはクッキリとクマができていた。
「大丈夫?」
「は?」
ポカンと、へーちゃんが口を開ける。そのあまりに幼稚な顔は、何だか写真で見る過去のへーちゃんのようだった。
「その、疲れてるみたいだから」
「大丈夫……?」
へーちゃんは、理解ができないと言うように、言葉を復唱した。
そして、僕の心配する気持ちを理解した途端、心配の気持ちを鼻で笑った。
「大丈夫ぅ? お前が、俺を心配してんのかぁ? あぁ?」
「へーちゃん……?」
やばい、怒らせた。それだけは直感でわかった。
彼とは幼稚園から小学生の8年くらいの付き合いがあるが、彼が僕に怒ることは殆どなかった。へーちゃんは同年代とは思えないくらい器が大きかった。自分に不利益が起こることでも他者を責めなかったし、僕のように明らかに自分より喧嘩が弱いと思う人間にわざわざ喧嘩を売る真似はしなかった。
でも、それは絶対に怒らないというわけではないのだ。
文化祭のときは笑って返事をしてくれたけど、今の彼はそういう気分ではないらしい。ギラギラした目で僕を睨みながら、早口で捲したてる。
「俺はなぁ、スゲェんだ。強ぇんだ。全部うまくいくんだ。全部俺がうまくやるんだ。大丈夫なんだよ、ふざけんな。大丈夫に決まってんだ。スゲェって、テメェが言ったんだろ? なぁ、俺はスゲェんだってテメェが決めたんじゃねぇか。なのに、なんで大丈夫かなんて聞くんだよ。ふざけんじゃねぇよ」
彼が机の上で握る拳は、震えている。まるで、殴りかかるのを我慢しているようだった。
「あのさ、へーちゃん」
「一丁前に心配なんかしてんじゃねぇよ、クソ野郎」
へーちゃんは冷たく言い放つと、五木くんの席を立って大股で教室を出て行った。
や、やってしまった……。
ただ、クマができていたから心配しただけだったけど、へーちゃんにとっては触れられたくないことだったのだろう。
いや、あの言い方だと「僕に言われたくなかった」のだろう。
俺はスゲェんだってテメェが決めたんじゃねぇか。
へーちゃんの言葉が、頭をグルグルと回る。
別に、僕は決めたつもりはない。ただ、僕から見たへーちゃんが「凄い人」だからそう言うだけだ。
多才で凄くて、心が強い人。
それが、僕の中のへーちゃんだ。
それなのに、まるで本人に否定されているようで気持ち悪い。
誰であっても、へーちゃんを否定してほしくない。
それが、へーちゃん本人であっても。
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