第6話 夏休み、懸念。
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文化祭が終わり、トントン拍子で夏休みに入った。嫌な予感なんてものも、所詮は僕の感覚なので全くあてにならず、特に変わったこともなく穏やかな日々が過ぎた。
せめて夏休み中にへーちゃんと遊びたいと思って、夏休みの始まった頃に1回だけメッセージを送った。でも、「バイトあるから」とあっさり断られてしまった。長期休暇は稼ぐチャンスだからと、週6日シフトに入れてもらったらしい。
すっかり落ち込んだ僕は、その後は例年と変わらない夏休みを過ごしている。親族以外と会うこともなく、家でゲームをして、たまに妹と遊ぶだけの日々だった。
夏休みが終わる2日前になって、長期休暇明けにあるテスト対策をしないといけないと数学の問題集を開き始めた。宿題でやった範囲だけど、全然わからなくて開始10分で眠気が襲いかかってくる。昼間なのに眠くしてくるなんて、数学は睡眠導入剤的作用が認められてもいいと思う。
「優志! ちょっと、お客さん! へーちゃん!」
「え!?」
2階の自室に引きこもっていて気付かなかったが、インターホンが鳴ったようだった。
お母さんの声に、僕はシャープペンを投げ出し慌てて玄関に向かった。玄関には、見慣れた金髪が人の良い笑顔で立っている。
「あ、えっと、へーちゃん……どうしたの?」
「少しだけ時間寄越せ」
「う、うん……僕の部屋でいい?」
「ん」
よくわからないが、何か用事があるのだろう。僕が家に上がるよう促すと、へーちゃんはお母さんに笑顔で会釈をして「お邪魔します」と言った。お母さんはすっかりキレイに育った息子の同級生に僅かに頬を赤らめた。
部屋に上げると、へーちゃんは教科書とノートが散乱している部屋を見て「きったねぇ」と呟く。僕と二人きりになると眉間にシワを寄せる。
「仕方ないでしょ? 来るって言ってくれたら僕だって片付けたよ」
「昔はよく一緒に片付けてたな。お前の家上がる度、使いっぱなしの色鉛筆とか絵描いたプリントが散らかってて」
「そ、それは……小学生だったから……」
「一人で片付けられるようになったのかよ」
「なったよ!」
「ふーん、どーだか」
へーちゃんはズカズカと人の部屋を遠慮なく歩き回って物色している。僕は彼が何を考えているのか全くわからず、立ち尽くすしかなかった。
「あのさ、へーちゃん、今日バイトは?」
「2時間後だけど」
「そ、そうなんだ……」
へーちゃんは僕の小学生の頃から使っている学習机の前に立ち止まり、僕をマジマジと見つめてきた。
「優、この机の鍵なくしてねぇか?」
「え」
突然の言葉に僕は間抜けな声を出していた。
小学生から愛用するこの学習机は、一段上の引き出しだけ鍵がついていた。僕はそこに下手くそな絵だとかお手紙だとか入れていたのだが、いつの間にか鍵をなくしてしまい開かずの引き出しにしてしまっていた。
親に怒られたくなかった僕は、誰にもそのことを言ってはいなかった。多分、へーちゃんにも言っていなかったはずだ。
「なくしたけど……」
「さて、優志くんに問題です。これは何でしょう?」
「え、それっ!」
鍵だ。
へーちゃんが手にしているのは、間違いなく僕の学習机の鍵だった。当時好きだった怪獣のキーホルダーまで変わらずについている。
「あ、俺が盗んだわけじゃないからな。ここに来た最後の日……卒業式の何日か後。お前が俺に手紙押し付けてきて、その中に入ってた」
「そ、そうなんだ……」
「やっぱりお前覚えてなかったんだな」
手紙を書いた覚えはあるが、鍵を入れた覚えはなかった。僕が変な表情でもしていたのか、へーちゃんも眉を寄せた。
「手紙、今度読んでやろーか? まだ持ってんぞ」
「え、やめて? 恥ずかしくて死んじゃう」
「あー、そう」
「というか、それが本当ならどうしてへーちゃん、引っ越し前に返してくれなかったの? 下手したらもう一生会わなかったんだよね?」
素朴な疑問をぶつけると、へーちゃんは溜め息を吐いた。そして、僕に許可を求めることなく、鍵を学習机の鍵穴に差し込んだ。
「急だったんだよ、本当に。クソ兄貴が警察に急に行って、それから……児相に行って、施設入れられて」
「え?」
まるで、何事でもないかのようにへーちゃんは淡々と引っ越しの真相を語る。ガチャリ。何年も開かなかった学習机の鍵穴から小さな音が鳴った。
「そんで、色々あったけど母親と話し合って施設出てきた」
「えっと、じゃあ、今はおばさんと2人ってこと……? お兄ちゃんは一緒じゃないの?」
「そうだな。……優、開けるぞ」
いや、もう鍵開けてるじゃん。
僕の返事をまたずに彼は勝手に引き出しを開けた。
引き出しの中には、懐かしい僕の絵がファイルにも入らず無造作に仕舞われていた。当時はまっていた漫画やゲームのキャラクターの絵が久しぶりに陽の目を浴びている。
僕は恥ずかしさに目を覆いたくなった。でも、へーちゃんが僕の黒歴史を悪びれることなく引き出しから取り出すから、それを止めなくてはいけない。僕は彼の筋肉質な腕を掴んだ。
「あのさ、へーちゃん……あんまり見られたくないんだけど」
「何でだよ、これ当時はまってたゲームのキャラだろ」
「……う、うん」
「俺にも描けってたくさん言ってたよな。あのゲーム結構楽しかったんだよなぁ」
「……あのさ、マジで何しに来たのへーちゃん」
これ以上黒歴史を掘り起こされたくなくて、僕はへーちゃんを掴む手に力を込めた。へーちゃんは、それでも僕の黒歴史を漁る。僕の力は非力で、彼にとっては抑止力にならないらしい。
そして、ようやく手を止めた。
「これを探してた」
「え……?」
へーちゃんは封の切られていない手紙を取り出した。宛名は「優志へ」と書いてあり、その綺麗な字はへーちゃんの字だった。
その手紙には覚えがある。それは、へーちゃんが僕に唯一書いてくれた手紙だった。小学6年生の卒業式から数日後、遊びに来たへーちゃんがそろそろ帰るというときに僕に押し付けるように渡してきた。
「でも、それ、大人になってから読んでって言ってたよね? だから僕、読んでないんだけど」
「知ってる。でも、もう必要なくなったから返してくれ」
何故、わざわざ返してもらいに来たというのだろうか。小学生のへーちゃんが書いた手紙の中身なんて想像もつかないけれど、それでもわざわざ自分で返却を求めてくるものだろうか。捨ててほしいと、一言伝えればいいだけではないだろうか。
「ダメだよ、それ、僕が貰ったものだから。僕のものだよ?」
「いいだろ、もう必要ないんだって」
「嫌だ!!」
「え?」
へーちゃんがポケットに手紙を入れるのを大声で制止した。へーちゃんは、僕の大きな声を初めて聞いて、動揺していた。きょとんと言う表現がぴったりなくらい目を丸くして僕を凝視する。
動きが止まったへーちゃんの持つ手紙を、僕はしっかりと掴んだ。その手紙だけは譲りたくなかった。
「それ、へーちゃんが僕にくれたものなんだよ。へーちゃんが望むなら内容は絶対読まないから。約束するから、持っていかないで」
友だちのいない僕の、大切なものだった。このまま二十歳まで引き出しが開かなければ、引き出しを壊してでも出すつもりだった。手紙自体は忘れていたわけじゃない。
そうだ。思い出した。僕はへーちゃんとの繋がりを保ちたくて彼に手紙を渡したんだった。手紙を押し付けてきたへーちゃんがさっさと帰ろうとしていて慌てて手紙を書いた。中学に行っても仲良くしてね、と伝えたかったのだ。言われてみれば、確かにキーホルダーを同封した気もする。まさか鍵をつけたやつだったとは盲点だったけど……。多分、小学生の僕としてはへーちゃんにお返しをしたくて身近にあったテキトーな物をプレゼントしたんだろう。
へーちゃんは僕の顔と、手紙を掴む僕の手を交互に見ていた。珍しいものを見たかのように、目が泳いだ。
「じゃあ、違うものやるから……この手紙と交換しろ」
「僕、別に物がほしい訳じゃ……」
「わかってる。でも、これはダメなんだよ。どうしても、俺が持ってないといけなくなったんだ。俺が捨てないといけないから……だから……」
そう言ってへーちゃんは「あ」と何かに思い付いたようで、一度僕の胸元に手紙を押しつけた。そして、彼が履いているジャージのポケットからお守りを取り出した。
紫のお守りには健康祈願と書いてあった。見覚えのあるそのお守りは、近所の神社のものだ。
「これと交換してくれ」
「でも、それお守りだよ? 大事なんじゃないの?」
ジャージのポケットにたまたまお守りが入っているなんてことはないだろう。恐らく、意図的に持ち歩いているのだ。
しかも、そのお守りは今はもう手に入らない懐かしいものだった。つまり、彼が小さな頃から持ち歩いているのだと予測される。かなり年期が入っていて、お世辞にもキレイな状態とは言えない。
……そこまでして、手紙を取り返したいのだろうか。
「……わかったよ。お守りもいらないよ。ごめん、我が儘言って」
僕は、観念して彼の手に手紙を戻す。
「いや、交換。これはお前にやるから、いらなかったら捨ててくれ」
「でも」
「お父さんが、くれたやつなんだ」
そう言ってへーちゃんは目を細めた。
彼の父親は交通事故で死んでいるが、へーちゃんの言っている「お父さん」は、事故で亡くなったその人ではないことはすぐにわかった。
彼は、明星姓を名乗る前は古積姓を名乗っていた。へーちゃんが「お父さん」と呼ぶ人はその古積姓のときの父親だ。
へーちゃんはその古積のお父さんのことがとても好きだったはずだ。僕は数回しか会ったことがないが、幼稚園のお迎えにお父さんが来るとお母さんが来たときよりも嬉しそうに笑っていたのは覚えている。
「それなら尚更へーちゃんが持ってないと」
「いや、お前に持っててほしい。我が儘だってわかってるが……別にお前だって困らねーだろ? 俺の物が欲しかったならこれで充分なはずだ」
確かに、僕は困りはしないけど……。
僕が戸惑っている間にへーちゃんは満足したようだった。お守りを勝手に机の上に置くと、「じゃあ、もう帰るわ」と言ってさっさと階段に向かっていた。
「ねぇ、へーちゃん」
慌てて彼を追いかけると、へーちゃんは振り返ることもなく靴を履いていた。どうやら用事は手紙にしかなかったようで、僕には少しも興味を示さない。
「お守り、返してほしくなったら言ってね。ちゃんと、返すから」
へーちゃんは靴を履き終わると、僕に正面から向き直った。そして肩を竦めて頷いた。
「……お前の家は、変わらないな」
「え、あ、うん。でも、心春は大きくなったよ」
「そっか。……じゃあ、学校で」
お邪魔しました。
彼は僕に小さく会釈をして、静かにドアを閉めた。
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