ある文筆家の綴り

八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子)

あるぶんぴつかのつづり

 お話、或いは、物語を紡ぎ出す人間という奴は、オブラートに包むとしたら変わり者、包み紙を破り捨てしまえは狂人とも言えよう。

 夢想した事柄を書き記すなどと言う行為は、大変に素晴らしく、大変に危険なことであろう。

 それで人の心を、泣かせもするし、奮い立たせる。

 それで人の心を、煽動するし、洗脳もする。

 南国の国の堕落者しかり、貴族の国の淑女しかり、ちょび髭の独裁者しかり、氷結の国の同志しかり、それを書き記した。

 文字には人を動かす力がある。

 誰かを癒すこともできるし、誰かを慰めることもできる、誰かを傷つけることもできるし、誰かを死に追いやることもできる。

 善と悪が表裏一体になるのが醍醐味とも言えようか。

 

 さて、一つ質問したい。アクマデモ、仮定の話だ。


 発想の源が人間個々のものであるとして、そのエネルギーは何処からやってくるのだろうか。個々それぞれの話が他者との共感を呼び覚ます際に、果たして感情だけなのだろうか?さらに奥底、底の底、無意識のイドの何処かで繋がっている可能性はないだろうか?


 無意識の真っさらなノートに意識が紡ぐものと考えるとしっくりといくのではないだろうか?ただのノートではない、紡がれたものでノートが染まる時、無意識の未知なる力がそれに干渉し、因果を作り、伝播してゆく。


 染まりの色が強ければ強いほど、因果は硬く強くなり、伝播も素早く浸透するのだろう。


 私はふとそれを試してみたくなった。


 喜怒哀楽をさまざまな形で記しては、世にそこはかとなく紡いでみた。三文作家にも満たぬ拙い文章であったが、そこはかとなく読み手の方々の共感を得ることができたことは、喜ばしいことだが、私はあることに気がついたのだ。


 恐怖を何処に押し込めればよいのだろうか?


 喜ばしい恐怖、怒りの恐怖、哀しき恐怖、楽しみの恐怖、どれもがしっくりと来ない。


 無意識の恐怖とはどのようなものであろう。私は怪談から恐話までの幾千に輝く綺羅星の作品を拝読させて頂き、気でも狂ったように答えのようなもの、或いはヒントを探し求めた。そして悟りを得たのは我が身や作品の境界線が世間と随分にズレが生じたときのことだ。


 私は生きているのか、死んでいるのか、判断がつかなくなってしまったのだ。

 生者には見えにくいが、死を間近に感じるものにはよく見えるようになっていた。宵闇に立てば立派な黒影になり、日の光の元では存在を失ったものの如く消えてしまう。そんなあやふやな生活を続けているある日のこと、私はソレに気がつきそして成った。


 覚えておてほしい、もし、君がこちら側の世界に来るのなら、この手段が手っ取り早い。そう、そして、そのためのヒントを書き記して添えておく。


 なにより昔からそれは口遊まれていた。そう、それは流行歌に混ぜ込まれているのだ。


 まずは過去を見つめる必要がある。

 過去を見つめるを想像するに何が必要か、想像できるもので代用できるものは合わせ鏡だ。その鏡には自らが映る。置く際にはその2つの角度は寸分の狂いなく合わされなければならない。


 次に自らの体をその合わせ鏡の真ん中に置く。

 寸分の狂いなく、真ん中に立ち、自らの姿が自らの姿で隠れていることを確かめるのだ。忘れてはならない、自らの姿が自らの姿で隠れていることが重要だ。


 そしてひたすら、その自らの姿と背景を見続けるのだ。

 鏡の奥をただ只管に視線を向けて見つめ続けていると、ふと夜明けのような明るさの一枚を見つけるだろう、そしてその次は暗転したように薄暗い一枚があることに気がつくだろう。


 それを見つけた瞬間に視線をすぐに自らの戻すのだ。

 それを捉えたなら今目の前に写っている自らに視線を合わせるのだ、そこで目眩のような違和感を感じることになる、そうするとどうだろうか、自分の次元がずれている事に気がつくだろう。


 その次元に落ち込んだ時、周りは薄明るい闇夜だ。月明かりがありそうなのに、月明かりはない、世界全体がぼんやりと薄く光っていると言っても良いだろう。この闇色は何色も容易に塗りつぶしてしまうのである。


 この闇の世界で私は過ごして行くとある法則性を発見した。

 長い時間とは陳腐な言い回しではあるが、人の何倍もの時間を過ごすことのできここでは、徐々に徐々に自我を失ってゆく、そして体はゆっくりと闇に溶けるように消えてゆき、最後は完全に溶け切ってしまう。つまりこの闇すべてが何者かであったものの死骸が溶けたものなのだ。大きな海の中に住んでいると想像してもらえれば良いだろう。


 そして闇の世界に書物やその他の要因で一時的に迷い込む人がいるのだ。に次元へと干渉する。脱出はよほど自我を保っている人間でなければ不可能であり、私たちのようなプロセスを経ていない者たちの末路は決まって哀れだ。ほとんどが戻る機会を失い、すぐに闇に呑まれて、不慣れな自我は、溶け落ちる。


 そしてその光景を目の当たりにして、この闇自体が、無意識のイドであることを悟ったのだ。だから、人間は本質的に闇を恐れるのだろう。この闇に溶けてしまうのが怖いのだ。


 そしてこちらの闇はそちらの闇と時より同化もする。

 私が散策を楽しんでいる合間にそちら側の世界へと迷い出た。ことでこれを発見したのだが、私が山の廃村でその奇妙な発見を調べていると、若者たちが行く人もやってきては村のあちこちで肝試しを始めた。そして、数人が闇にのまれて行くのを見た。

 元々、行き来のできる私は朝の日の出まで、廃村の陰に潜みながら若者たちを観察した。そして、確かに数人が失踪しており、行けなかった者たちが騒ぎだし、やがては消防団や警察などが山探しに入る事態になるまでを観察して闇へと返った。

 失踪扱いになった若者たちは、不穏な闇の世界で不安に駆られて、それぞれバラバラの行動を取っていた。これは大変に危なく、この闇が起こす特有の分離現象である。自我を保つためには相互に相手を自覚する必要があるのだが、それは相手がいなければ成立しない、そして、この闇は自らに吸収するためにそれをできるだけ起こさせまいとする。だから、仲違いをさせて別けると言うわけだ。


 私は自らが闇夜に作った小屋の近くでその人影を見かけた。

 うら若い女性であった。闇の中を必死に歩き回ったのだろう、疲れ果てて黒墨と名付けた葉も幹も真っ黒な巨木のしたで座り込んでいた。


「こんばんは」

「!」


 極度の緊張を催すと声が出ないのは確かなようで、彼女は私の声に驚きのあまり全身を引き攣るような驚きようであった。


「おじさん、ここのひと?」


 この面白い訪ね方で変化する様を観察しようと考えていた私は、それを諦めることにして、彼女を小屋へと連れ帰った。あちら側の世界に戻りたいと口にするかと考えていたのだが、どうやらその気はないらしく、私がいることも気にせずに小屋で寝泊まりをするようになった。


「戻りたくはないのか?」

「いい、戻ってもいいことないから」

「ふむ、名前は?」

「香奈枝、苗字いる?」

「いい、僕は能代、じゃぁ、香奈枝と呼ぶね」

「勝手にして」

「ああ」


 彼女の生い立ちを知ってしまうと、まぁ、同情をせざるをえない部分も多々あったことにより、私は香奈枝を小屋へと住まわせて観察を行うこととした。

 私が香奈枝を認識していることにより自我は保たれているが、それがどのように失われて行くのかの仕組みを知るためでもあった訳だが、事のほか頭の良い子であったので、無闇に外に出歩いたりせず、私が持ち込んだ本を読んでは、時より私と闇へ散策に出て、そして、廃村や繋がった田舎町で買い物などをして時を過ごして行く。

 だが、やはり寂しさはあったのだろう。

 香奈枝が私を求めて私の残っていた人間性が同じように求めた。幾度となく逢瀬を重ねてゆくうちに、やがて香奈枝は身籠り、私達は子供を授かった。受精という行為がこの闇の中でも行えることにも驚き、順調に育まれてゆく様は驚きを隠せなかった。

 私達は闇でない世界で婚姻を済ませて夫婦となり、そして、子供を育み始めることにした。

 小さなマンションで親子3人で暮らしながら、まぁ、3世代と勘違いされることもあるが、居をかまえて日々を暮らしている。闇では社会システムの概念がない、妻となった香奈枝はできるだけ普通の環境で育ててあげたいと切に願い、私もそれに賛成したという訳だ。そしてマンションの一室をカーテンで囲い、光の一切入らぬ空間を作り上げると、小屋の近くと行き来できるようにした。私は闇の住人でずっとはマンションに住んではいられない。半染まり妻や子供も時より闇に戻らないと体調が悪くなるらしく闇で過ごすこともあったのが懐かしい。

 そんな息子も大学を卒業するまでになった。

 自らの存在に苛まれたこともあったようだが、それを乗り越えて今は親が言うのもなんだが、立派な人間となっているのが嬉しい。息子には同じマンションに住む幼馴染の光希さんが彼女としてずっと傍にいる。

 かなり家庭に問題のある子で、幼い頃には交流があったのは我が家だけであり、地域からも学校からも揉め事になった際にはお力になりますと囁かれるほどであった。私は俄然面白くなって、酒浸りで暴力ばかりの父親を闇へと誘い、母親を香奈枝と共に闇へ誘った、前者はすぐに闇に溶け、後者は闇に順応した。長年の家庭内暴力で疲弊していた母親は闇で自らを癒すうちに元へと戻ったのだろう、今では昔が嘘のように元気よく暮らし、そして私の小屋の隣に小さな家を建てては同じように行き来している。

 そして今日、光希さんを闇へ正しい手段で連れていくための儀式をする。息子と抱き合って人目も憚らずに口付けを交わす様は、父としてどうかと思うが、2人の母親は微笑ましく見つめているので口を挟むことはしない。


 この日のために用意した合わせ鏡の姿見を両側に立て、その真ん中に光希さんが立った。そして、歌を口ずさんでゆく。


「過去目、過去目、過去の中の囚はいついつでやる。夜明けの晩に釣瓶が落ちる。うしろの正面だぁれ?」


 私達は言葉か途切れた瞬間を見計らって部屋の電気を落とす。目張りされた室内は闇となり、すべてが闇へと成った。


「父さん、光希、無事に来れたよ」

「そうか」


 私達は闇にいた、小屋があり家があり、その前に仲良く立っている息子と光希さんを見つけた。彼女もまた闇の住人になったのだ。


まだ、暫くは綴ることになるだろう。


その先の未来を。





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ある文筆家の綴り 八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子) @suzunokisuzunoki

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