第二章 カレルとエギル 三、
第二章 カレルとエギル
三、
「——ブロックルの大将!?」
驚いたのは、カレルだった。
「なんとカレルか! いや、久しぶりだな!」
赤い帽子を被り長い顎髭を生やした老人は、荷物持ちの仔馬型の機馬を引き連れ、カンテラの灯りを頼りに洞窟の中を歩いてきたようである。
「農村を回る流しの魔術機械工、ブロックルの大将が、なんでまたこんなところに?」
カレルは再会を喜び、嬉しそうに聞いた。
魔術機械工は基本的に刻印魔術は身につけていないが、ルーン文字には精通しており、魔術科学者が書き記した「魔術の書」の指示に従って、指定されたルーン文字を選定された資材の然るべき場所に刻印する役目を担っている者の事である。
「わっはっは! それはこっちの台詞だよ。儂の友人、シャールヴィの忘れ形見がなんでまたこんなところに、こんなお嬢さんと一緒にいるんだね?」
ブロックルはいかにも好々爺らしく、優しげな顔をして言った。
「カレル、この方は?」
フィルギアは控えめな様子で聞いた。
「ブロックルの大将! 親父によくしてくれた流しの魔術機械工、トムテ兄弟のお兄さんで、僕も子どもの頃、可愛がってもらったんだよ」
カレルは好々爺然とした老人を紹介した。
「ブロックルの大将はこう見えて、腕利きの魔術機械工なんだよ。うちの親父は病気がちの母親を元気付けようとして、農作業の合間に暇を見つけてはトムテ兄弟と一緒に掘っ建て小屋に籠って、羽衣船の開発に取り組んでいたんだ」
カレルは子どもの頃を思い出して、自然と笑顔になる。
「そうだ、ブロックルの大将、名工エイトリィはどうしたの?」
カレルはトムテ兄弟の弟である短い顎髭を生やしたエイトリィの事をふと思い、近況を確かめた。
「ふむ、あいつも儂と同じで、流しの魔術機械工だからな。あの頃だってカレルの親父さんがやる事を面白がってたまに手伝いにくるだけだったし、最近はご無沙汰だ。いったい、どこでどうしているのやら」
ブロックルは朗らかに笑って言った。
「うんうん、懐かしいなあ、お前さんの親父は家族思いでいい奴だったよ。昔気質の儂らを毛嫌いする事もなく使ってくれてな、儂らが出入りするうちにいつの間にか刻印魔術にも詳しくなって、考える事が面白かった」
ブロックルは一人で納得するように頷いた。
「親父さんは残念だったが、儂は今でも第三の天専用・長距離高高度複座式小型羽衣船、『白鳥の乙女』の完成を諦めちゃいないぞ!」
ブロックルの年老いたその目は、しかし、真剣そのものだった。
「……え? まさか? 本当に?」
カレルは意外な告白を聞かされて、戸惑うばかりだった。
「本当だよ。何しろ、儂と親父さんは、『白鳥の乙女』を一緒に完成させると約束した仲だからな。今も洞窟を彷徨っているのは、羽衣船に必要な質のいいグロッティ石を探していたからだし——ところで、そちらのお嬢さんは?」
ブロックルは当たり前のように言った後、カレルの隣に静かに佇んだ、金色の角笛を首から下げた少女に興味を示した。
「ブロックルの大将、さっき『ギャラルホルンの角笛』がどうとかって言っていたけど、何か知っているの?」
カレルはブロックルの質問に答える前に、彼が「ギャラルホルンの角笛」についてどこまで知っているのか確認した。
「そりゃまあ、少しはな。何しろうちの家系図を遡ればアース神族から依頼を受けて数々の神器を作ってきた、地下世界に住む小人の一族に辿り着くって話だからな」
ブロックルは年甲斐もなく、得意そうに言った。
「そのお話、本当なんですか?」
フィルギアはブロックルがあまりに尤もらしく言うものだから、大きく目を見開いて聞いた。
「わっはっは、トムテの家でそんな風に言われているだけで証拠なんぞどこにもないし、調べた事もないよ。しかしうちの家系が代々、魔術機械工をやっているのは本当の事だよ。つまり、それだけ腕利きだって事さ」
ブロックルは調子がよさそうに言った。
「だが、ヴィーザルの家庭には、アース神族の時代のあれこれが未だに根付いている家も多い——失礼かも知れないが、お嬢さんのお家もそう言う家柄なんじゃないのかな」
ブロックルは何気ない顔をしてフィルギアに言った。
「その昔、アース神族の〝白き神〟と呼ばれたヘイムダルは『ギャラホルンの角笛』を使って、天上世界の神々に『神々の黄昏』が始まった事を知らせたという——まさかこんなところで、そんなご大層なものに巡り合う事になるとはね」
ブロックルはフィルギアの首元で揺れる「ギャラルホルンの角笛」をまじまじと見て、感慨深そうに言った。
「……今の話が本当だとしたら、ブロックルの大将はなんでそんなに落ち着いていられるの?」
カレルは「ギャラルホルンの角笛」に纏わるアース神族時代の話は知っていても、「白き神の一族」の事までは知らないらしいブロックルに対して、それでも「ギャラルホルンの角笛」を前にして落ち着いている理由を聞いた。
「この世に伝わるオーディンの言葉、『高き者の歌』にはこうある——『食いしん坊は分別を持たないと、食べ過ぎて、一生、体を壊す。賢い人と一緒に来ると、愚か者は腹の事で笑い種にされる事が多い』」
ブロックルはつなぎの作業服から突き出た、年季が入った太鼓腹を叩いて言った。
「儂も老い先短いし、あれも食べたい、これも食べたいなどと言っていては、何もできん。自分が本当は、いったい、何をやりたいのか、果たして、何をすべきなのか……儂は魔術機械工として、カレルの親父さんと昔、交わした約束を守るよ。いつか必ず、『白鳥の乙女』を完成させる。儂にとってそれ以外の事は栄養が過ぎる。食べ過ぎの元だな」
ブロックルは我ながら面白いとでも言うように、わっはっは、と笑った。
そして、
「ところでカレル、お前さんは今、何をしているんだ?」
ふと、カレルに問いかけてきた。
「僕?」
カレルは思いがけない質問に、にわかには答える事ができなかった。
ブロックルは真剣な眼差しで、黙って頷いた。
「僕は親父が亡くなってから勇者官のアサソールさんに拾ってもらって、それからずっと勇者官見習いとして働いているよ?」
カレルはなんとなく緊張した面持ちで答えた。
「それで勇者官見習いのカレルはこのお嬢さんと一緒にどこに行くつもりで、こんな洞窟の中を歩いていたんだ?」
ブロックルはまるで何か見定めようとしているかのように、再び真摯に問いかけてきた。
「フィルギアの生まれ故郷——僕はフィルギアの事を生まれ故郷まで送り届けるつもりなんだ。フィルギアが住んでいる場所はちょっと寒さが厳しいけど、いいところなんだって」
カレルはフィルギアを見て安心させるように言った。
「そう、か」
ブロックルはほっと一息ついたように言った。
「いったいなんだって言うのさ、ブロックルの大将?」
カレルは奥歯にものが詰まったようなブロックルに疑問を呈した。
「いやあ、何、『愚か者は財産か女の愛を手に入れると鼻高々となり増長するが、分別は増しはしない』、と言うだろう?」
ブロックルはオーディンの言葉を引き合いに出した。
「魔術機械工を長い間やっていると、出来のいい魔術機械を手に入れた依頼主が愚かな末路を辿るのを見る事もあるんでね。お前さんがアース神族の神器を目の前にしてお嬢ちゃんから騙し取り、金目のものに変えようとか悪巧みをしていないみたいなんで、安心したのさ」
「そんな! 俺はそんな事、絶対、しないよ!」
カレルは当のフィルギアの手前、顔を真っ赤にして抗議した。
「はっはっは、すまんすまん! 何たって帝国で皇太子派を名乗る市民階級の連中も、最初のうちは既得権益を貪る貴族階級に対抗する為に魔術科学の研究を推進していたみたいだが、いざ最新の魔術機械が手に入ると力に溺れちまって、現皇帝に取って代わろうって、色々と悪い噂を聞くからな」
ブロックルは一頻り笑うと、昨今の帝国の情勢を語った。
「——出口は判るか? 判らなければ送って行ってやろう」
カレルとフィルギアはブロックルからカンテラまで譲ってもらい、洞窟の出口まで送ってもらった。
二人はブロックルに手を振り別れを告げると、カンテラ片手に、天の守り山脈に向かって夜道を歩いていく。
「フィルギア、頑張ろう! 僕、ブロックルの大将と話していたら、なんだか元気が出てきたよ! まさか、ブロックルの大将が親父との約束を果たそうとして今でも頑張っているなんて、思いもしなかったし!」
カレルは三日月が輝く夜、カンテラを翳して鬱蒼と茂った森の中を歩きながら、感心したように言った。
「うん、私も!」
フィルギアも深く頷いた。
「フィルギアも? なんだってまた?」
カレルは思わず、聞いていた。
「私も食いしん坊で食べ過ぎて一生体を壊すぐらいなら、自分が何がやりたいのか何をすべきなのか、考えてみたの。そしたら、なんとなく見えてきたわ」
フィルギアは暗闇の向こうを見つめて言った。
「すごいね! どんな事を考えたの?」
カレルはまるで自分の事のようにわくわくしていた。
「……カレル、私ね、最初はただリーグ村に帰りたいって思っていただけだった。だって私にはもう、何もないから」
フィルギアは俯きがちに悲しげに言った。
「お父さんもお母さんも、優しかったおばあちゃんもいなくなっちゃったから……でも、カレルやブロックルさんと出会って、二人のお話を聞いているうちに、私もおばあちゃんと交わした約束を守りたいって、『白き神の一族』のお役目を守らなきゃって思ったの」
フィルギアは真摯な顔つきをして言った。
「だから私、これから生まれ故郷のリーグ村に帰ったら——」
フィルギアが首から下げた金色の角笛に視線を落とし、何か言いかけた時だった。
いきなり何の前触れもなく、カレル達の周囲の木々の合間から、大勢の人影が姿を現した。
「この野郎! どこから現れやがった!?」
カレルとフィルギアの事を取り囲むように突如として姿を現したのは、ログ湖城塞駐屯部隊の、片手斧に円形の盾、布鎧で武装した兵士達だった。
まるで狐のように狡賢く、蛇のようにしつこい。
「いや、放して!」
フィルギアは悲鳴を上げて抵抗したが、多勢に無勢、あっという間に囚われの身となる。
「放せ! フィルギアに近づくな!!」
カレルも格闘技グリマで応戦しようとして、力の限り暴れ回った。
だが、いくらなんでも屈強な兵士達に数人掛かりで取り押さえられては手も足も出なかった。
「フィルギアに触るな!」
カレルは地面に顔を押し付けられながらも、なんとかフィルギアの事を守ろうとして、じたばたと足掻いた。
しかし、後ろから近づいてきた帝国軍の兵士に片手斧の柄で後頭部を強打され、うっと短く呻いて、気を失った。
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