第二章 カレルとエギル 四、
第二章 カレルとエギル
四、
天の守り山脈の麓に広がる、ログ湖の孤島に威容を誇っているのは、東部地方の要衝、ログ湖城塞だった。
気を失ったカレルが連れてこられたのは、第三主塔の地下にある、狭苦しい牢屋である。
カレルは薄暗い地下牢の一つで、床に敷き詰められた硬い石の上に、直接、横になって眠っていた。
石畳みからはじわじわと冷たい泥水が染み込んできて、どこかから蛙や蛇が迷い込んでくる、ひどく湿った汚らしい場所である。
カレルは帝国軍の兵士に捕まった時に、片手斧の柄で強打された後頭部がずきずきと痛んで、ひどくうなされていた。
カレルはあの時、帝国軍の兵士達にあっという間に取り押さえられ、フィルギアを守る事ができなかった。
地下牢の暗闇の中で痛みにうなされながら、自分の馬鹿さ加減を呪っていた。
——〝僕はお父さんもお母さんも、助ける事ができなかった〟。
脳裏には〝悪名高き魔狼〟に両親を惨殺された過去の光景が、何度も繰り返し、断片的に甦っていた。
——〝僕はフィルギアの事も助ける事ができなかった〟。
何から?
——あいつら帝国軍が隠れ潜んでいた事に気が付かなかった……。
帝国軍のやり口に詳しければ、他にもやりようがあったかも知れないのに。
——〝何も、知らなかった〟。
何も……
——〝何も、できなかった〟。
カレルは後頭部の痛みに呻き苦しみながら悪夢に苛まれ、底なしの闇に落ちて、目が覚める事はなかった。
フィルギアはログ湖城塞第一主塔の四階にある豪奢な客間を当てがわれ、一人っきりで途方に暮れていた。
——なぜ、こんな事になってしまったのだろう?
彼女は窓辺の椅子に項垂れて座っていた。
ふいに客間の扉が叩かれた。
彼女の前に姿を現したのは、魔術科学者らしく金糸の刺繍が美しい純白の法衣を身に纏った細身の優男、ロプトルだった。
「おはよう、ヴィンドレールのお嬢さん。昨日はよく眠れたかな」
ロプトルは機嫌がよさそうに言ったが、彼女は椅子に腰掛けたまま、視線も合わさずに、返事もしようとしない。
「私は君のよい友人として振る舞う。君も同じように振る舞ってくれればお互いにうまくいく。悪い話じゃない」
ロプトルは特に気分を害した風もなく言った。
「『友だちはお互いに武器や衣服を贈って、相手を喜ばすべきだ。自分自身の経験に照らしてみれば、一番よく判る。贈ったり、贈られたりして、友だちは一番、長続きする。うまくいきさえしたら』」
フィルギアの様子など意に介さず、よく喋った。
(……友だちの訳がない)
フィルギアは到底、ロプトルの言う事など信じる事はできなかった。
(この人は刻印魔術を使って、私の事を力尽くで連れ去ったんだから)
もし、彼らのやりたい事に協力したとしても、自分の思い通りにならなければ、きっとまた刻印魔術を使って、無理矢理、言う事をきかせるつもりだろう。
今度はそう——言葉を操る刻印魔術、「アンスル」辺りを使って?
フィルギアは身の危険を感じ、彼らの元からなんとか逃げ出そうと考えていた。
だが、東部地方の要衝、ログ湖城塞の守りは硬い。
いかにアース神族の血筋に連なる「白き神の一族」と言えども、たった一人、ましてや少女一人の力では、そう簡単には脱出できそうになかった。
「ふむ——ここで一つ、君にいいものを見せてあげよう」
フィルギアはだんまりを決め込んでいたが、ロプトルに促されて客間を出た。
ログ湖城塞第一主塔の最下層、地下へと続く薄暗い階段に向かう。
彼女はロプトルに連れられて二人の斧兵(アクス)が出入りを警備する階段を下り、こちらも要所要所に斧兵が配置され厳重な警備が敷かれた狭い通路を行き、ようやく地下宝物庫に辿り着いた。
「君は山奥の隠れ里に引きこもっていたから知らないだろうが、ある日、天の守り山脈で雪崩が起きて麓を流れる川まで濁流が届いた。後日、通りかかった農民が岸に流れ着いた甲冑の戦士を思わせる、氷雪に塗れた白銀の異形のもの、〝氷漬けの戦士(イースヴァルター)〟を発見する」
ロプトルは地下宝物庫の分厚い鉄の扉の前に立ち、懐から鍵の束を取り出した。
「——〝氷漬けの戦士〟?」
フィルギアは訝しげな顔をした。
「〝氷漬けの戦士〟発見の報はログ湖城塞駐屯部隊の司令官、イングヴァル提督の元まで届き、皇太子派に属するイングヴァル提督は、これはもしやアース神族時代の遺産なのではないかと、すぐに〝氷漬けの戦士〟を回収、ログ湖城塞駐屯部隊から報告を受けた帝国中枢の皇太子派は魔術科学遺産研究局『フィヨルクンニグ』を現地に派遣した」
ロプトルは分厚い鉄の扉に掛けられた二重三重の鍵を、鍵の束を使って一個一個開けていく。
「——つまり、私達だな。私達は皇帝派の目を避ける為、〝氷漬けの戦士〟を首都には運び込まず、ログ湖城塞の敷地内に仮設の研究所を建てて研究を開始した」
ロプトルは分厚い鉄の扉を開け、芝居掛かった仕草でフィルギアの事を招き入れた。
「その結果、私達は〝氷漬けの戦士〟の正体を、アース神族の〝白き神〟、ヘイムダルが従えていたという『神器装甲』、〝ヘイムダルの剣〟であると結論した——そしてこれが、『神器装甲』、〝ヘイムダルの剣〟だ」
ロプトルは誇らしげに言った。
「…………」
フィルギアは疑わしげな視線を足元に向けた。
地下宝物庫の冷たい石畳みの床に仰向けに安置されていたのは、頭からつま先まで白銀の甲冑にその身を包んだ大柄な戦士だった。
まるで仰向けに倒れた神聖な彫像のようにも見える。
身長は二メートル近くあるだろう、がっしりとした全身を包んでいるのは、白銀の薄い金属を何枚も重ね合わせた薄板鎧、背中には円形の盾を背負ったままだ。
腰には細かな意匠が施された鞘が下げられ、鞘に収められた剣の束は銀で飾られていた。
更に白銀の戦士の傍らには、彼が騎馬していたのだろうか、機械仕掛けの金色の馬の、頭部と思しき残骸が置かれていた。
(——昔、おばあちゃんから聞いた事がある。アース神族の時代に作られた人型の『神器装甲』は、心臓部に内臓されたグロッティ石に『戦神(ティール)』のルーン文字が刻まれ、馬型の『神器装甲』に跨り戦場を駆ける、一騎当千の戦士だったって……)
「私はこれが〝ヘイムダルの剣〟であると判明した事で、やはりこれも伝説に聞く天の守り山脈の奥地にあるという、ヘイムダルの子孫が住む隠れ里が実在する事を確信した。ログ湖城塞の駐屯部隊を使って山脈の奥地を探索してみると、案の定、隠れ里、リーグ村を発見。そこから先は君もご存知の通り——『愚か者は、毎晩、目を覚まして、ああでもない、こうでもないと考える。朝になると、疲れ果てるが、全ては前と変わらず、惨めなままだ』——私はね、毎日を考えなしに無為に過ごしている訳じゃないんだよ?」
ロプトルは得意そうに、胸を張って言った。
「……貴方は何なんですか? 何をしようとしているんですか?」
フィルギアは目の前の細身の優男から得体の知れない何かを感じて、恐る恐る聞いた。
「かつて、〝白き神〟ヘイムダルは『ギャラルホルンの角笛』を使って、アース神族に『神々の黄昏』の始まりを知らせた。すでに『神々の黄昏』が終わりを告げ、ヘイムダルも亡き今、『ギャラルホルンの角笛』はヘイムダルの子孫である、君達、『白き神の一族』に受け継がれている」
ロプトルはフィルギアが首から下げた金色の角笛を見やる。
「君達、『白き神の一族』は、隠れ里、リーグ村に身を隠し、人間の一族の行く末を見守り、『神々の黄昏』が再び起きた時には、『ギャラルホルンの角笛』を使って、『第三の天』のどこかにあるという、『風の国』に知らせる役目を持つ」
ロプトルはフィルギアが押し黙っているのを見て、彼女の代わりとばかりに喋り続けた。
「それだけじゃない、私は知っているんだよ。『ギャラルホルンの角笛』は〝ヘイムダルの剣〟を意のままに操る制御装置の役目を果たし、『風の国』に行く時の通行証としても機能する……!」
ロプトルは静かに興奮していた。
「帝国の皇太子派は魔術科学の発展を推進し、国益とする事を目的としている——私達は君から『ギャラルホルンの角笛』の三つの秘儀を聞き出し、『第三の天』のどこかにあるという神々の地、『風の国』に行く」
ロプトルはまるで決定事項を通達するように言った。
「〝ヘイムダルの剣〟は天上世界と地上世界を行き来する時、大空を行く馬型の『神器装甲』、『金色の前髪を持つもの(グルトップ)』に跨り走らせたという。残念ながら馬型の『神器装甲』はご覧の有り様だが、帝国軍には魔術科学の粋を極めた長距離高高度軍用大型羽衣船、『ナグルファル』がある。『風の国』の場所さえ判れば、辿り着くのも夢じゃない」
ロプトルは自信満々に、うんうんと頷いた。
「私達は『ギャラルホルンの角笛』の三つの秘儀のいずれかを使って、『風の国』の所在を明らかにし、必ずや『風の国』に辿り着く! このまま放っておいて『風の国』が他の誰かに見つかるような事になれば、アース神族の遺産を悪用される事になるかも知れないし、世界の平和を守る為には私達が『風の国』をいち早く発見し、帝国が管理する必要があると、そういう訳だ!」
ロプトルは何が面白いのか、にやにやと笑っていた。
「……信じられない、そんな事」
フィルギアは思わず、そう口にしていた。
なぜかロプトルの言っている事が、どうしても信じる事ができなかった。
(——国益? 世界の平和を守る為? 帝国が管理する?)
嘘だ。
(絶対、嘘だ)
「ほら、よく見なさい」
ロプトルは石畳みの床に横たわる〝ヘイムダルの剣〟に歩み寄った。
「ここ、この胸の辺り——『ギャラルホルンの角笛』を模った紋章が施され、紋章はヘイムダル系のルーン文字によって囲まれている。これこそ、『白き神の一族』と〝ヘイムダルの剣〟の繋がりを示す証拠だ。くっくっく、『神器装甲』、〝ヘイムダルの剣〟と、ヴィンドレール家に代々、受け継がれてきた『ギャラルホルンの角笛』は、私が『風の国』に行く為に、今、ここにあるのだ!」
ロプトルは自信満々に続ける。
「さ、ヴィンドレールのお嬢さん、これで、こちらがどんな協力を望んでいるのか、お判り頂けたでしょう? 『ギャラルホルンの角笛』の三つの秘儀を教えてもらいたい、そして私を、『風の国』に案内してもらいたいんだよ?」
ロプトルはいよいよ、詰め寄ってきた。
「……おばあちゃんが、『ギャラルホルンの角笛』の三つの秘儀は誰にも教えちゃいけないって……渡しちゃいけないって……」
フィルギアはなんだか怖くなってきて、今にも泣き出しそうだった。
「君は、アース神族の血族——〝半神〟とは言え、神様だ」
ロプトルはにやりと笑い、呟いた——
〝フィルギア・グリンタンニ・ハリンスキージ・リーグル〟
と。
「…………」
フィルギアは驚きに目を見張った。
(——なぜ、この人が、私の秘密の名前を?)
そう、ロプトルがたった今、口にしたのは、フィルギアの亡くなった両親と祖母しか知らないはずの特別な名前、彼女に授けられた秘密の名前だった。
「……神様にお願いをするには、お供え物が必要だ。そこで一つ、提案がある。君と一緒にいたあの少年、あの少年の釈放と引き換えというのはどうかな?」
ロプトルはフィルギアに対して理解を示すように、取り引きを持ちかけて来た。
「君が『ギャラルホルンの角笛』の三つの秘儀を洗いざらい話して、私を『風の国』に案内するというのなら、あの少年を釈放しよう。でなければ、あの少年はヴィーザル帝国に対する反逆罪に問われる事になる」
ロプトルはフィルギアの出方を窺うように言った。
「そうなれば未来ある勇者官見習いの少年は、ひどい拷問に掛けられた上に、死刑だな」
ロプトルは実に楽しそうだった。
「!?」
(カレルが、死刑?)
フィルギアはすでに両親を失って久しい。
(あの親切な勇者官見習いの少年が、ひどい拷問に掛けられた上に、死刑にされる……)
彼女の祖母が亡くなってから一年が経つ。
(……私、カレルまでなくしたら、本当に独りぼっちになっちゃう)
フィルギアは実に楽しげなロプトルとは逆に、顔から血の気を失っていた。
いや——
(……ううん、私の事なんかどうだっていい! ああ、おばあちゃんとの約束を守らなきゃ! でも、カレルがこの世から消えちゃうなんて……!!)
フィルギアは苦渋に満ちた顔をしていた。
果たして、どれほどの時が経ったろうか、ほんの一瞬のようにも、永劫の時間のようにも感じられたが——
彼女はまるで、何か観念したように頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます