第一章 カレルとフィルギア 二、(2)
第一章 カレルとフィルギア
二、(2)
軍用中型機竜船の士官用の一室で、とてもではないが乗組員には見えない、金に輝く髪と雪のように白い肌をした少女は、一人っきりで静かに過ごしていた。
なぜかいやに暗い表情で、牧草地で羊の番をしている方が似合いそうな質素な衣服に身を包み、備え付けの机を前に、革張りの肘付き椅子に座っている。
だが、彼女が首から下げた金色の角笛だけは美しい光沢を見せていた。
少女が視線を落とした机の上に用意されているのは、透かし模様が施された上品な衣服だった。
今、少女が着ている衣服がひどく見窄らしいものに見えるほど仕立てがよい、士官室には不似合いなぐらい可愛らしい衣装だった。
「おやおや、ヴィンドレール家のお嬢さん、私がご用意したお召し物は気に入ってもらえませんでしたか?」
部屋に入ってきたのは、金糸の刺繍が美しい純白の法衣を身に纏った、細身の優男だった。
魔術科学遺産研究局「フィヨルクンニグ」の局長、ナルヴィ・ロプトルである。
「昨日まで山奥で暮らしていた私に、こんな服……」
ロプトルから「ヴィンドレール家のお嬢さん」と呼ばれた少女は、控えめな様子で言った。
「うーん? 昨日まで山奥で暮らしていたとしても、明日からは違うでしょう?」
ロプトルはまとわりつくように言った。
「……私、帰りたいんですが」
少女はロプトルから視線を逸らすようにして言った。
「私達はこれから、ログ湖城塞に行くんですよ。しばらくの間、ログ湖城塞で暮らす事になる」
ロプトルは何が面白いのか、にやにやと笑っていた。
(……魔術科学遺産研究局、「フィヨルクンニグ」の局長……)
少女は帝国軍の魔術科学研究機関に勤めている魔術科学者だというこの男が、いったい、何を考えているのか、全く判らなかった。
魔術科学者は、現在知られている、十六個のルーン文字からなる刻印魔術を意のままに操り、目的に応じて「魔術の書」を書き記し、魔術機械工に対して、魔術機械の作成、建造を指示する者の事だ。
どうやらロプトルの場合、勤め先が「魔術科学遺産研究局」というだけあって、アース神族時代の遺産を研究しているようだったが。
天の守り山脈の奥地にある、「鉄の森」に囲まれた隠れ里でたった一人で暮らしていたところに、彼らはある日、突然、軍用中型機竜船でやって来た。
四方を海に囲まれたイザヴェル大陸全土を治めるヴィーザル帝国は、〝魔術科学の帝国〟と呼ばれている。
まず、かつてアース神族が意のままに操ったという、二十四個のルーン文字からかなる刻印魔術がある。
刻印魔術——その名が示す通り、神通力を秘めたルーン文字を、例えば、武器、道具に刻む事で、印力を生み、制御する魔術である。
簡単なところでは刀剣ならルーン文字を刻む事で斬れ味をよくし、道具なら頑丈で壊れにくくするといった具合である。
人間の一族の時代である今は、十六個のルーン文字からなり、ルーン文字によって、それぞれ異なる神通力を秘めている。
刻印魔術は最初の手順として普通語で構成された「呪歌(ガルドゥル)」を唱える事で使用者の集中力と印力を高め、次に魔法の杖や手指を使って宙空や対象に任意のルーン文字を刻む事で、超自然現象を意のままに操る。
これを発展させ大掛かりで緻密な刻印魔術を機械に施す事を可能とした、それが魔術科学である。
人間の一族はアース神族から授かった刻印魔術を基に魔術科学を発展させ、魔術科学者が記した「魔術の書」を元に大掛かりで緻密な刻印魔術を精密機械や大型機械の発明に活かし、今日まで多くの魔術機械を開発してきた——魔術機械の最たるもの、それが機竜船である。
イザヴェル大陸は、雪と氷に包まれた山脈、鬱蒼と茂った森、穀物がよく育つ広大な平野を擁し、無数の河川が縦横に走り、大小様々な湖水が見られ、あちこちに島が浮かんでいる。
陸上の交通は不便で、交易は、峠、谷間、河川を通り、休息の為に島に寄る必要がある。
その為、人間の一族は魔術科学を駆使して、険峻な土地であっても俊足を発揮して走破する機馬、入り組んだ河川でも航行を可能とし小回りがきく機竜船など、魔術機械を次々と発明した。
それでは、いったい誰がどんな刻印魔術を施し、どうやって魔術機械を開発するのか?
実際はそれほど単純な話ではないが、簡単に言えば、魔術科学者が記した「魔法の書」の指示に従って魔術機械工が、機竜船なら水を表すルーン文字、「ラグ」、機馬なら馬を表すルーン文字、「エイワズ」を、心臓部のグロッティ石に刻印する事で、ルーン文字から印力が発生し、魔術機械の原動力となる。
天の守り山脈の奥地で人知れず暮らしている少女は知る由もないが、帝国の中枢にいる人々の噂によれば、最近、帝国軍は魔術科学の粋を集め、数年前まで構想段階に止まっていた、刻印魔術によって強化した硝子と鉄材で設計した空を行く船、「羽衣船(フェザルハムル)」の開発に成功したという。
だが、人間の一族の時代となった今に至るもアース神族の時代に人々を苦しめた怪物の一部は生き残っていて、彼らは今日、「死霊」と呼ばれ、かつてと同じく昼なお暗い「鉄の森」に巣食っていた。
「死霊」の代表格である魔狼が跳梁跋扈する「鉄の森」を越えて隠れ里に人間がやって来るなど、少女にとっては生まれて初めての事だった。
(——実は私もお世話になった人達が魔狼の被害を受けて亡くなってましてね、他人事とは思えません。何かしら、ご縁を感じるぐらいですよ)
(なぜ、私達がここまでやって来たかと言えば、貴方にはこれから帝国の為になる立派なお仕事の手伝いをしてもらいたいんですよ)
(まずはログ湖城塞に行って、自分達に協力してくれるのなら、衣食住は保証させて頂きます)
(今後は是非、こちらになんでも言って下さい。詳しい事は機竜船の中でお話ししましょう)
彼女はほとんど、誘拐同然に連れて来られた。
「……あの、帝国の為になる立派なお仕事の手伝いって、何なんですか?」
少女は眉を顰めて聞いた。
「それは軍事機密なんでね、いくら君が相手でも簡単に話す事はできないんだよ」
ロプトルは困ったような顔をして言ったが、少女には白々しいとしか感じられなかった。
「ログ湖城塞に着いてからゆっくり話そうか。ただ、これだけははっきり言っておくよ——私は君の味方だ」
ロプトルは少女の顔を見て安心させるように言った。
「……私はリーグ村に帰りたいんです。もうすぐ春が来るから。春が来れば雪が溶けて森が活き活きとしてきて、あちこちに花が咲きます。朝になれば鳥の囀りが聞こえてくるし、夜には虹の光(ビフレスト)が見えるんです」
少女はロプトルの良心に訴えかけるように言ったが、彼は鼻で笑った。
「確かに毎年、春が来れば、花は同じように咲く。だが、人は違う。人は来年も同じだという保証はどこにもないし、この世にいないという事もある。きっと君も心変わりする」
ロプトルは確信を持っているように言った。
「……私が好きだった花はもう二度と咲く事はないけどね」
ロプトルは一瞬、俯きがちに、自嘲気味に呟いた後、
「しかし、虹の光ですか。ああ、実に『白き神の一族』らしい発想だ!」
と、せせら笑った。
「…………」
フィルギアは下唇を噛み、身を固くした。
——私の味方? 私の敵って何? この人はいったい、何と戦うの?
少女は言葉を失い、士官室に静寂が訪れた。
次の瞬間、静寂を破ったのは、敵襲を伝える鐘の音だった。
「——何だ!? 奴ら、なぜ、この船を狙い撃ちしてきた!?」
ロプトルが眉を顰めて丸窓の向こうを見やり、船体の周囲に怪鳥のようにまとわりつく飛行物体を確認し、驚きの声を上げた。
「ちぃっ、竜賊か!? 間抜けな貴公子様が、城塞と無駄にやり取りをして、刻印通信を盗視されたのか!?」
ロプトルはイングヴァル提督の落ち度には気づいたが、背後で虫も殺さないような顔をした少女が革張りの肘付き椅子の足を掴んで、隣の丸窓に振り上げようとしている事にはまだ気がついていなかった。
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