第一章 カレルとフィルギア 三、

 第一章 カレルとフィルギア

 

 三、


 カレルが朝一から炭切りを始めて、ようやく終わらせた頃、すでに薄明かりさえなくなり、守護霊区は夜の闇に沈んでいた。


 カレルは「勇者のカンテラ」を頼りに、守護霊区の外れにある自宅、古びた小屋に向かって歩いていた。


 ヴィムル川の支流を横目に、もうすぐ家に着くという時、浅瀬に何かが流れ着いた事に気がついた。


 いったい、どこから、なぜ、流れてきたのか?


 カレルが持つ「勇者のカンテラ」の灯りが真っ暗闇に浮かび上がらせたのは、まるで打ち上げられた魚のように力なく横たわった、金の髪に雪のように白い肌をした少女だった。


 彼女は気を失っているのか、身動ぎ一つしなかった。


 ただ、首から下げた金色の角笛だけが煌めいている。


 このまま放っておけば、また川に飲まれてしまうだろう。


(——こんな時、〈勇者〉ならどうする?)


 カレルは胸の内で、自分自身に問いかけた。


(今にも川に流されそうになっている、気を失った人を見捨てる訳がない!)


 カレルは迷わず、川に飛び込んだ。


 浅瀬から金色の角笛を下げた少女を引き上げ、背中におんぶして、自宅の小屋に連れていく。


(……この子、本当に〈白鳥の乙女〉なんじゃないのか?)


 カレルは背中におぶった少女を寝床に横にした後、彼女の顔や体についた汚れを手拭いで軽く拭き取り、改めて見た時にそう思った。


(——いったい、何者なんだろう?)


 彼女は身なりこそ自分と変わらない質素なものだったが、伝説に語られる〈白鳥の乙女〉のように美しい。


「…………」


 カレルは今は考えても仕方ないと、自分は床の上で眠りについた。


 朝、目が覚めてすぐに確かめてみると、少女はまだ寝台に横になっていた。


(……昨日の出会いは、夢じゃなかったんだ)


 カレルは彼女が起きるまで、いつものように父親が遺した「魔術の書」を読んで過ごす事にした。


「魔術の書」は魔術機械を開発する時に必要な刻印魔術の仕様書であり、魔術機械の設計図だった。


「魔術の書」を魔術科学者が書くとなった際、まず目的に沿った刻印魔術の基礎概念となる「呪歌(ガルドゥル)」を普通語で設計し、必要なルーン文字を選び、資材を選定して、何のルーン文字をどこに刻印すべきか書き記す。


 次に「魔術の書」を基に魔術機械工が「呪歌」を唱え、指定されたルーン文字を選定された資材の然るべき場所に、専用の刻印刀を使って刻印する。


 それが例えば、魔術機械の主機関の中枢、グロッティ石の場合なら、神通力を秘めたルーン文字から印力が生じ、機械の原動力となる訳である。


 カレルの父親は市民階級の農民出身だったが、農村を回る流しの魔術機械工と交流を深めるうちに、刻印魔術に詳しくなり、いつしか「魔術の書」を書くまでに至ったらしい。


 カレルが父親の遺した「魔術の書」をよく読んでいるのは、早くに亡くした両親がなんとなくそばにいるように感じられて落ち着く事も理由だったが、勇者官として働くにしても魔術機械や刻印魔術に詳しくなっておいて損をする事はないだろうと考えての事だった。


「——ここは?」


 少女はぱちりと目を覚ました。


「あ、おはよう」


 カレルは相手を刺激しないようににこやかに言った。


「……おはようございます」


 少女は当然の如く、警戒している様子だった。


「ここはビルスキルニルの街で、僕は勇者官見習いのカレル・ヴロスカ」


 カレルは落ち着いた声音で、自己紹介をした。


「私、助けてもらったんですね。ありがとうございます」


 少女は表情こそ硬いが、素直にお礼を言った。


「いいえ……ただ、これからどうしようかな?」


 カレルは少し困った顔をして言った。


「…………」


 少女はふと首を傾げた。


 カレルは少女の事を確かめるように見た。


 彼女、はっきり言って、素性が知れない。


 もし、彼女が乗っていた機竜船が難破したのだとしたら、辺りに機竜船の破片もなければ、他に乗っていたはずの人間の影も形もない。


 機竜船が難破した末の遭難者ではなかったとしたら、彼女の身に、何があったというのか?


 何か理由があって、自分から川に飛び込んだのか?


 ——どうする?


 このまま何も聞かずにやり過ごした方が、お互いの為になるのか?


 ——どうすればいい?


 本人に一度ぐらいは何が起きたのか聞いて、お互いに身の振り方を考えるべきか?


 カレルはよくよく考え込んだ。


 ——勇者官見習いになってから、主神オーディンの言葉をいくつか新しく学んできた。


 主神オーディンは、こう言っている——


『燃え木は、燃え尽きるまで他の木によって燃え、火は火によって発火する。人も他の人と話す事によって賢くなれる。引っ込み思案では賢くなれない』


「……君、名前は?」


 カレルはまず、彼女の名前を聞いてみる事にした。


「……フィルギア・ヴィンドレール」


 フィルギアは静かに言った。


「よろしく、ヴィンドレールさん」


 カレルは殊更、笑顔で挨拶をした。


 フィルギアの笑った顔を見てみたいと思った。


「ヴロスカさん、この男の人は……?」


 カレルがさて、ここからどうやって話を膨らませようかと考えていたら、彼女の方から、壁に飾っていた木枠の写真立てに興味を示し、質問してきた。


 写真に収まっているのは、硝子と鉄材で組み立てられた機竜船か?


 まだあちこち骨組みが見えている建造途中の真っ白な小型船を背にして、男達が三人、仲よく肩を組んで笑っている。


 三人のうち、一人は四十代ぐらいの中年で、なんとなく、カレルと容姿が似ていた。


「俺の親父! ビルスキルニルで農家をやっていたんだ」


 カレルは懐かしそうに言った。


 カレルの父親と仲よく笑顔で映っているのは、こちらは兄弟だろう、二人とも好々爺のような顔貌がよく似ている。


 違うところと言えば、顎髭が長いか短いかぐらい、同じ赤い帽子を被り牛の革でできたつなぎの作業着を着た、恰幅がいい二人だった。


「お父さんは農家をやりながら、機竜船作りをしていたの?」


 フィルギアは機竜船のように見える作りかけの白い船を見て聞いた。


 特徴的な機体の形状は烏賊を思わせ、船尾から羽衣のようなものが伸びている。


「ううん。これは『羽衣船(フェザルハムル)』って言って、空を行く船なんだ。完成すれば長い空の旅にも耐える事ができるんだって」


「空を行く羽衣船?」


「うん。僕が物心ついた頃、母親は病気がちで、神話に語られている天上世界の事をまるで見てきたように話していたんだよ。たぶん、病気から解放されて、自由に過ごしたいって思っていたんだろうね」


 カレルは少し寂しげな顔をして言った。


「——『第三の天(ヴィーズブラーイン』には、黄金葺きの館(ギムレー)が太陽よりも美しく聳え立っている。そこには誠実な人々が住み、永遠に幸せな生活を送る」


 フィルギアは神話の一節を、すらすらと口にした。


「すごいね、君! お母さんも同じ事を言っていたよ!!」


 カレルは驚きを禁じ得なかった。


「僕の父親は『第三の天』のどこかにあるって言われている神々の地、『風の国』を母親に見せてあげたくて、その頃、帝国の魔術科学者の間で構想段階にあったっていう空を行く羽衣船の開発に取り組んでいたんだ——名付けて、第三の天専用・長期離高高度複座式小型羽衣船、『白鳥の乙女』! 試作品一号機だよ!」


 カレルは父親の思い出を語りながら写真の中の白い船、羽衣船『白鳥の乙女』を見やる。

「すごいわ」


 フィルギアは目を丸くした。


「うん……でもお父さんもお母さんも、魔狼に襲われて死んじゃった」


 カレルは途端に元気をなくし、ぽつりと呟くように言った。


「……その頃、僕はまだ何も知らなかったんだ。勇者官の働きぶりはそばで見ていたけど、〝悪名高き魔狼〟が季節に関わらず人を襲うんだっていう事は……だから僕はこれから色んな事を学んで、いつか一人前の勇者官になって死霊を退治してやるんだ!」


 カレルはフィルギアの傷ましそうな表情に気づき、明るい調子で話を結んだ。


「カレルは、〈勇者〉に……ううん、勇者官になりたいの?」


 フィルギアはふと真剣な顔をして聞いてきた。


「うん! 昔、勇者官のアサソールさんから聞いた事があるんだ! 〈勇者〉は、主神オーディンに仕える〈白鳥の乙女〉から、地上世界の人間の一族が最後まで勇気を失わず勇敢に戦い抜いたと認められた時、与えられる称号だって——『勇者官』の〝勇者〟も、そこから取られているんだって! 僕も早く勇者官になって、死霊を退治するんだ!」


 カレルはもう一度、鼻息も荒く言った。


「そう……」


 フィルギアはどこか陰のある顔で返事をした。


「どうしたの? フィルギア?」


 カレルは彼女の表情に翳りが差したのを見て聞いた。


「ううん、何でもないの。ごめんなさい、気にしないで」


 フィルギアは苦笑いを浮かべて言った。


「——そろそろ、朝ご飯にしようか?」


 カレルはフィルギアの言う通り、それ以上は聞かずに話題を変えた。


「どうぞお召し上がり下さい」


 カレルは二人分の麦の粥、硬いパンを用意し、更に奮発して、主菜には干し魚、付け合わせにえんどう豆を出した。


「おいしそう!」


 フィルギアが喜んだ様子を見て、例えそれがお世辞だったとしても、カレルも嬉しくて笑顔になる。


 カレルとフィルギアは朝食を食べ終わった後、小屋の前で草むらに座り込んで寛いだ。


「勇者官見習いのお仕事は大変なの?」


 フィルギアは目の前を穏やかに流れるヴィムル川の支流を眺めて質問した。


「鍛治仕事って見た事ある?」


 カレルが聞くと、彼女はこくりと頷いた。


「勇者官見習いの最初の仕事は、みんな鍛治仕事から始めるんだよ。僕も今はまだ炭切りの仕事ばかりだけど、そのうち槌を振り下ろしたり、ふいごを使わせてもらうようになると思うんだよね。そういう仕事を通して、死霊狩りに使う武器や道具の勉強をするんだよ」


 カレルはこれからが楽しみで仕方がないという風だ。


「頑張ってるのね」


 フィルギアは笑顔で頷いた。


「うん! 鍛治仕事は槌の持ち方、振り方が悪ければ、鉄が吹き飛んできて、大怪我をする事もあるんだよ」


 カレルは恐ろしげに言った。


「実際、火傷は日常茶飯事だし、鉄が当たって怪我をしたり、刺さって死ぬ事も珍しくない。だからアサソールさんにはいつも厳しく言われるんだけど、悪い人じゃないよ。僕の事を拾ってくれた恩人だし、仕事場が騒音だらけで大きな声で注意しないと聞こえないんだ。それに死霊狩りに出た時は命の危険度は鍛治仕事以上だしね。見習いの仕事ぐらいで挫けている訳にはいかないよなあ」


 カレルは両親を亡くして以来、勇者官見習いとして、ひたむきに努力している日々を語った。


「カレル、本当に頑張っているのね!」


 フィルギアは感心したように言った。


「フィルギアは何かやりたい事はあるの?」


 カレルは自分の事ばかりではなく、今度は彼女の事を聞きたいと思った。


「……私?」


 フィルギアははっとしたように言った。


「うん!」


 カレルはフィルギアの事をもっと知りたいと思い、満面の笑みで頷いた。


「——そう、ね。私はカレルみたいにちゃんとした目標は何も持ってないわ……今はただ、自分の家に、生まれ故郷に帰りたいだけ」


 フィルギアは伏し目がちに言った。


「フィルギアはどこで生まれ育ったの?」


 カレルは素直にフィルギアの生まれ育った場所を聞いた。


「私は……」


 フィルギアが少し迷ったような顔をした後、何か言おうとした時——、


 いつの間にか川の向こう岸に、機馬に乗った一団が姿を現していた。


 カレルには偶然通りかかった、ただの旅人に見えた。


 だが、フィルギアの顔つきが変わった。


 機馬に跨った旅人の中に、禿頭の巨漢がいた。


「あの人達……」


 フィルギアは絶句した。


 間違いない——あの夜、軍用中型機竜船を襲撃してきた竜賊である。


 竜賊もこちらに気づいているようで、機馬を走らせ、橋を渡って向かってくる。


「フィルギア、どうしたの?」


 カレルはフィルギアの顔を見て、心配そうに聞いた。


「……あの人達、私が乗っていた軍用機竜船を襲って、私の事を探していたの」


 フィルギアは不安そうな顔をした。


「人攫いって事?」


 カレルも同じく、不安そうな顔になる。


「…………」


 フィルギアは黙って頷いた。


「逃げよう」


 カレルは一旦、小屋に引っ込むと、なけなしのお金や保存食を肩下げ鞄に適当に入れて、また戻ってきた。


 フィルギアに男物の帽子を被せて、彼女にも何かの役に立つだろうと肩下げ鞄を渡した。


 するとフィルギアは、カレルが何も言っていないのに、首から金色の角笛をさっと外して、肩下げ鞄の中に隠した。


 カレルはその時、フィルギアにとってそれは、よほど大事なものなのだろうと思った。


「よう、少年、この辺に金髪の女の子が来なかったか? 金色の角笛を首から下げた女の子なんだが?」


 カレルがフィルギアを連れて足早に歩き始めた時、禿頭の巨漢が機馬から下りて、気さくに話しかけてきた。


 禿頭の巨漢と一緒にやって来た、熊のように大きな男と、巌のように筋骨隆々とした男は、カレル達の行く手を塞ぐように、機馬の足を止めた。


「……いいえ」


 カレルは素っ気なく返事をした。


「それなら最近、何か変わった事はあったかな? 何か気づいた事があれば教えてもらえるとありがたい」


 禿頭の巨漢は意外に物腰が柔らかかった。


「本当に知らないよ」


 カレルは目深に男物の帽子を被ったフィルギアの手を引き、先に行こうとした。


「そちらは?」


 禿頭の巨漢は男装したフィルギアに言った。


「…………」


 フィルギアは首を横に振った。


「つれないなあ。帽子ぐらい取って、ちょっと顔を見せてくれないか?」


 禿頭の巨漢は疑わしげな目を向けて言った。


「走れ!」


 カレルは限界だと感じてフィルギアの背中を押した。


「アリンビョルン! ソルステイン! 逃すな!」


 禿頭の巨漢は二人に呼びかけ、自分も機馬に乗って追いかけようとした。


 だが、カレルはその隙をついて禿頭の巨漢に組み付き、出足払いをかけ、思いっきり、地面に投げ捨てた。


 次いで禿頭の巨漢が乗ろうとしていた機馬を追い立て、アリンビョルンとソルステインの行く手を阻んだ。


 勇者官見習いとしてアサソールから格闘技グリマを習っているのは伊達ではなかった。


 カレルは、見事、エギル達を足止めして、フィルギアの後を追いかけた。

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