第3話
朝の日差しとドアをノックする音で
新しい一日が始まった。
いつもの鐘の音が、目覚まし代わりになっていたことで、いつもより数時間早く起きなきゃいけない朝に、寝坊を懸念した先生がわざわざ迎えに来てくれていた。いつまでも先生を待たせるわけにはいかず、急いで身を整えた。
さっと準備を済ませた私は『明日からよろしくね』の言葉をふと思い出して、一瞬窓に目を向けてみるけれど、そこにあの癖っ毛の姿は、やはり見当たらなかった。
二日間眠りっぱなしで、昨日のイマリも夢の中の話だったとか……?
体は至って健康そのものなのに、頭のほうがどうにかなってしまったのか。
出せない答えが増えていく……。
記憶の中のイマリに思い巡らせながら、ドアノブに手を掛けゆっくりと扉を開ける。お待たせした先生に軽く会釈して、私は先生の後ろをついて歩いた。
訓練所の内部をこんな奥まで歩いたことはなくて、まさか渡り廊下まであって建物がいくつか並んでいた事に、訓練所の広さを思い知らされた。政府が管理している場所なんだから、これくらい当然の事なのかもしれないけど。
「こちら側の学舎は、召喚の儀を終えた者達が暮らす場所です。ここの訓練生達は政府から要請を受けて、比較的襲撃の少ない西側の警備を担っています。あなたのお姉さん、ヴェルナも今はここにいますよ」
「そう……なんですね」
私が含んだように返事をしたせいか、先生はそれ以上何かを口にする事はなかった。『戦場の女神』と称されている姉さん達は、姉妹とはいえ雲の上の人達だった。
二人には、もう随分と会っていない。避けられていた気もするし、私が何かと理由を付けて、この訓練所に来ることを先延ばしにしていたのもあるけれど……。
「着きましたよ」
先生の一言に、私のこんがらがった思考は一瞬にして停止した——。
既に開かれていた扉から、真っ直ぐに見えている寝癖みたいな癖っ毛に、私は見覚えがあり過ぎたからだった。
「ん? あーっ! スクナーっ! おっはよーっ」
その言葉と一緒に、とびきりの笑顔でイマリが飛んで来て、二本の細くて長い彼女の腕が、私の身体に巻きついた。腕の中で香る彼女の匂いは、森の中で漂う天然のアロマのようだった。
「やっぱスクナって春みたーいっ」
……春?
というかこれはイマリに抱きしめられている……?
イマリのマイペースさに、こちらの調子が狂わされる。っていうか、ちゃんと実在したんだイマリって。
「こら、離れなさいよ。初対面で失礼でしょ」
「えーっ? スクナにあったの三回目だしっ っていうかこれ、わたしの特権ーっ」
笑顔で威張るイマリのすぐ隣に、長身で長髪の男性が立っていた。
そもそも……男性……なのかな?
全身に手入れが行き届いていて、切長の目に、一本に結ばれた重みのあるサファイア色の髪と、その同色の瞳がとても印象的だった。まさに美男という感じ。ただ、服装に関してはイマリ同様、質素な感じを思わせる。麻と綿を使って織られている半袖の白シャツと九分丈の生成りパンツ、腰まわりにはショールのようなものを巻いていた。
二人は、南国では見かけることのない服装で、特にこの訓練所には馴染まない。それは私にとって少し好印象に感じさせる事だった。
——ぐふぇっ。
……イマリの抱き締められる力が増してきて、苦しくなった私の口から勝手に変な声が漏れてしまった。……だけど、私よりも十センチほど背の高いイマリにしっかり包み込まれるのは、小さい頃に貰っていた安心感とよく似ていて、なんだか落ち着く気もする。
「皆、立ち話は辞めて、そろそろ中へ入ってくれないか?」
執務室の奥から、小さな溜息と渋い声が聞こえた。
姿が見えたわけでもないのに、私の身体に緊張が走る。
きっと、この声の主が訓練所の最高責任者だ。
私は、イマリと美男と一緒に言われた通りおずおずと執務室へと入って行った。
真正面にある大きな机に、男性が絶対的な存在感を放って座っている。
その男性を囲うように、机には様々な資料が積み重ねられていて、紙で作った要塞みたいだ。両手で握り合う拳が、口元を塞いでいて目元しか分からないままだけど、この人がさっきの声の主である最高責任者だと、初めて会う私でもすぐに理解することができた。いぶし銀を醸すのに、どこか風格ある人だったからだ。
いぶし銀の責任者と先生と、イマリと美男と私……。
この五名で、あの日の話が始まった。
まずは私の記憶から話すように言われたので
包み隠さずあの日の事を、振り返りながら話していく——。
『背中を切られた辺りの記憶がない』
……そこまで話し終えた時
待ってましたと言わんばかりに、元気よくイマリの口が開いた。
「えー……つまりっ! スクナがわたしを守ったことで、ひんし状態となりましたーっ! 『死にたくないよねっ?』ってスクナに聞いたら指がうごいてたので、わたしは『真実の契約』をすることにしたわけですっ!」
————痛ッ
言い終わった途端、美男からイマリの頭に豪快な鉄拳が下されて相当痛かったのか、イマリは高速で瞬きをしながら頭を両手で押さえていた。
「取り返しの付かない事になっちゃってごめんなさい。コイツほんっ……とバカなの」
言ってる話が理解できなくて、困惑する私を見たいぶし銀の責任者が、分かりやすく解説してくれた。
要するに……
『仮初の契約(召喚獣からの加護なし)』もなく、私は順番を飛び越えて、召喚士であり召喚獣のイマリと『真実の契約(召喚獣からの加護あり)』をしてしまったらしい——。
真実の契約によって『再生』の加護を与えられた私は、あの時の傷も制服もすっかり元通り。……という状態になったんだそう。
人の魔力と引き換えに召喚は果たされる。
そもそも私の魔力じゃ召喚する事さえまず不可能なんだけど……。イマリ自身が膨大な魔力を持っていて、今の段階で私の魔力用途はないらしい。
……とりあえず、さっぱり分からないけど。
イマリが召喚獣でもある理由は複雑で、禁忌を犯した数名が幼かったイマリの身体に『形なき魔』を召喚してしまったらしい。それが原因で本人そのものが召喚獣としても存在していて、召喚士と契約することも出来るみたいだった。
そしてあの日……死にかけた私を救うため、イマリから契約を交わした。
真実の契約を果たすには、召喚獣が気に入った人間で、且つ召喚獣が望むものを、召喚士は捧げなければならない。
そしてイマリが私に要求したものは『いつでもどこでも抱きしめられる特権』だった。それを聞いた大人達三名は、暫く黙ったまま放心状態となっていた。
興味のない私ですら、真実の契約がどれほどに危険で難関で、今も限られた人間にしか手にすることの出来ない高みだと知っていた。
私の生活は、頼んでもないのに目まぐるしく変化をし続けている。
いつか来るはずだった召喚の儀は、通り過ぎるようにその時を迎えたのだった。
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