第2話

 目が覚めると、壁掛けに置いたはずの上着の姿はなくて、よく見ると、いつもの素っ気ない部屋に居るわけでもなかった。


 殺風景な場所であるのは間違いないけれど、窓に置かれた一輪挿しの赤い花が、それを少し緩和させていたし、照明はアルコールランプの灯りしかなく、温かみも感じられた。


「目が覚めましたか?」


「先生……? 私……」


 自分の言葉で、目覚める前に記憶を呼び起こす……。

 両手で背中を弄り、そこにあるはずの傷を確かめた。


 ……——傷が無い……?


 納得のいかない体に驚いていると、先生は私の体に異常が無いかと観察しつつ、これまでの経緯をざっと話してくれた——。


 ……まず、課外講義に出席していた召喚の儀を済ませていない訓練生五十名は、全員無事に訓練所へと帰還する事ができていた。あの時、私だけが遠くに吹き飛ばされていたらしく、見つかるまで私の姿を見た人はいなかったと言う。そして、発見された時には既に倒れていた、と。しかも制服まで無事だっただなんて、私の記憶とは確実にずれが生じていた。


 怪我すら無かった私は、それでも意識を失ったまま、今目が覚めるまでに二日間を要したらしい。その間先生はずっと、自室で様子を診ていてくれたみたいだった。


 普段、先生と個別で話すことさえ無かった私は、この場の状況に少しずつ理解が追い付いてきて、眠り続けた無防備な時間に、何とも言えない気持ちで落ち着かなくなってきていた。


 この時点で、どこまでが真実なのか私だって確信がないのに……明日の講義前、あの日の件を報告するという形で、訓練所の最高責任者を交えて話すことになった。


 どこを探しても私の体に傷は無いし、あの少女ももはや夢の住人だったんじゃないかと思ってしまう。

 

 窓の外はもう夜を迎えていて、とにかく自室へ戻ろうとした私は、先生に不調が無いことを伝え、そそくさとベットから起き上がった。二日間も寝たきりだと、体が思うように動かせないのかと思ったら、思いの外、体調は万全だった。全身の関節が動かしやすいというか軽い。むしろ前より調子が良いような。記憶と現実が繋がらなくて疑しいではあるけれど、なんだか頭も冴えている気がする。多分。


 未だ心配気な先生にお礼を伝え、私は自分の体をひとつずつ確認しながら先生の部屋を後にした——。



 自室に戻った私は、いつもの素っ気ない部屋に安堵する。

 いつもなら特徴の無いこの部屋に、何かを感じる事なんてないけれど。


「あの時……絶対背中切られたはずなんだけどな……」


 独り言にしては大きい声に、自分でも驚いた。

 

「だねーっ けっこーバッサリ切られちゃってたもんっ」


 …………え?


 独り言に返された声のするほうへ、恐る恐る目を向けると……


 開けられたままの窓に座って、脚を交互に揺らした少女が、にっこりとこちらを見ていた。

 

「————うわぁっ!!」

 

 あの襲撃でも出なかった叫びが、今はしっかりと口から飛び出した。

 

 顎下まで伸びた、ローズクォーツ色の寝癖のような癖っ毛に、ちょっと長めの前髪から、大きくて丸い目が覗いている。……良く言えばカールボブという髪型になるんだろうか。あの時に見たラフすぎる格好に、今日は年季の入ったローブをだらしなく被っていた。ちゃんとしている所なんて、茶色のショートブーツぐらい……?


 目の前の少女から『自然児』の三文字が思い浮かんだ。


「……なまえはーっ?」


 こちらの反応にお構いなしの少女は

 私の名前を聞いてくるけど……


 これって、不法侵入になるのでは……?

 っていうか、襲撃の時のあの子だよね?

 まずどうしてこんな所に……?


 ……頭の中で膨らんでいく疑問を一刀両断するように、少女は私に話を続けた。


「また明日くるんだけどーっ なまえだけ聞きにきたんだーっ」


 ……明日……?

 ちょっともう理解が追いつかなくて、私が呆気に取られていると……


「わたしはイマリっ 明日からよろしくねーっ」


「えっ? ……あっ、私はスクナです。よろしくお願いします」 


 名前を知って満足気なイマリの笑顔が、私の脳裏に鮮烈に焼き付いた。

 感情表現が豊かというか……

 リアクションが過ぎるというか……。


 とにかく眩し過ぎるその笑顔は、イマリという人を象徴するものになった。

 

「寝るこは育つらしーから、たくさん眠ってねーっ それじゃースクナ、おやすみーっ」


 そう言ってイマリは窓の外へ身を仰け反り、白さ際立つ綺麗な脚は、美しい弧を描いて落ちていった——。


 ——!?


 ハッとなった私は、窓から身を乗り出し

 暗闇の地面にイマリの姿を探した——。


 すぐに見付けられたイマリは、私の心配をよそにこちらに大きく手を振って、何処かへ走り去っていく。ぎりぎり目で追えるぐらいの超人的な速さで。


 ……寝る子は育つって…………。

 私の何を見てそんな事を言ってきたのかは分からないけど……確かに、イマリは胸元の発育が良い気がした。


 それに比べ私は…………

 ってそんなことはどうでもいい。

 

 静寂を取り戻した部屋の窓を閉じ、そのままイマリの事を考えた。一体何者なんだろうっていう疑問より、今は彼女が無事だったことにほっとして、溜まった緊張が解れたのか、体の重さを感じるほどに全身の力が抜けていった。


 ここで起きた出来事も明日報告するべきなのか、それとも、恐らく不法侵入の扱いになるイマリの事は伏せておくべきなのか……迷いに迷っても答えは出ないまま、ベッドにこの身を沈めていった。


 二日間も眠っていたわりにすぐに襲ってきた睡魔が、この瞬間もここが現実なのかどうかを怪しくさせた。そのまま睡魔に身を委ねていると……夢現に、イマリの声が聞こえるような気がする。かなり遠くのほうで何かを言っているこの感じは、あの日、背中に傷を負った時よりも不確かで、言葉の意味は分からなかったけど。

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