蹂躙
有理
蹂躙
「蹂躙」
恒 実弥(つね さねみ)
清田 美沙子(きよだ みさこ)
花韮 いずみ(はなにら いずみ)
間藤 恭平(まとう きょうへい)
※自殺表記がございます。苦手な方はご注意下さい。
性別不問役は恒 実弥のみです。
男性役→間藤
女性役→花韮、清田
性別不問→恒
※一人称は私としておりますが、男性が演じる場合は男性として、女性が演じる場合は女性として演じられてください。
※他作品「踏み外した天国は」と重なる表記がございます
恒「天才と秀才の違いは何だと思う。」
清田N「書斎いっぱいに並んだ本棚にはぎっしりと並ぶ背表紙。そのどれもが先生を嗤う。」
恒「あなたの前でやっと、本当のことが言えたよ。」
間藤「作家なんて仕事は誰にも理解されない。何かを創る仕事は誰かにわかってもらおうだなんて思うこと自体烏滸がましいんだ。」
花韮N「先生は、優しい人だ。だから、これからは私の名前で、先生の代わりに書いてあげようと、そう思った。」
間藤(たいとるこーる)「蹂躙」(じゅうりん)
清田「こんにちは。」
花韮「こんにちは、清田さん。」
清田「こちら、先生からです」
花韮「…はい」
清田「…今回も、ありがとうございます。あなたのおかげで先生は今日も先生でいられる。」
花韮「…」
清田「…ありがとうございます」
花韮「…先生は、今日は何を」
清田「庭のクレマチスが今朝咲きまして、朝から原稿用紙とペンを持って向かっておいででしたが…。何も、書かれてはいないようでした。」
花韮「…そうですか。」
清田「はい。」
花韮「来週、また木曜日に打ち合わせに伺います。」
清田「はい。よろしくお願いします。」
花韮「こちらこそ。」
清田「それでは。」
花韮「清田さん」
清田「はい?」
花韮「あの件は、まだ、」
清田「あ、…まだ、実現しそうにはありません。話は進めていますがなかなか。相手が相手ですので。約束、忘れているわけではありませんから。必ず、あなたの作品見てもらえるように交渉しますからね。信じてください。あ、くれぐれも先生には内密に。」
花韮「はい。すみません、急かしてしまって。」
清田「いえ。では、木曜日よろしくお願いします。」
花韮「はい。」
花韮N「テーブルには飲みかけの紅茶と分厚い茶封筒。さっきまでそこにあった伝票がいつの間にか消えていた。きっと清田さんが持っていったんだろう。」
花韮N「私花韮いずみは、作家である恒 実弥(つね さねみ)のゴーストライターだ。」
______
間藤「あれ。清田さん。」
清田「間藤先生。こんにちは。珍しいですね、資生社本社にいるなんて。」
間藤「はい。ちょっと野暮用で。」
清田「そうですか。お元気そうで、何よりです。」
間藤「清田さんも。お変わりないようで。」
清田「ええ。」
間藤「今は何の担当を?」
清田「…」
間藤「ああ、聞き方が意地悪でしたね。今も恒先生の担当編集を?」
清田「…はい。」
間藤「大変ですね。」
清田「いえ。」
間藤「はは。変わらないな、あなたは相変わらずだ。」
清田「お気付きだったんですね」
間藤「本を読むのが趣味なので。」
清田「先生、元担当編集者として一つお願いがあるのですが」
間藤「はい」
清田「今の、恒 実弥先生はどうでしょうか。」
間藤「どうと、聞かれましても」
清田「率直なご意見を」
間藤「それは、どちらの」
清田「…どちらも。」
間藤「はは。」
清田「…」
間藤「最近の新しいものはまだ読んでおりません。」
清田「そうでしたか。今、お持ちします」
間藤「結構です」
清田「…」
間藤「自分で買います」
清田「…」
間藤「そういう主義なので。」
清田「いえ、そういうわけには。すぐお持ちします。」
間藤「自信がないんですね。」
清田「そういうわけでは、」
間藤「では、お言葉に甘えて。」
清田N「文豪、間藤恭平。資生社だけでなく他の出版社からも引っ張りだこ。ベストセラー作家の1人だ。私はこの人の担当編集者にたったの一度だけついたことがある。その頃はまだ二十歳になったばかりのただの若者だと思っていた。ところがとんだ化け物だった。書くスピードが尋常ではなかったのだ。当時、校閲部が拡張され資生社内では未だ異例だったと語り継がれている。」
間藤「どうも。読んだらまた連絡します。原さんに、でもいいですか。」
清田「はい。構いません。」
間藤「話、そちらで合わせといて下さいね。」
清田「ええ、伝えておきます。」
間藤「では。」
清田「はい。失礼します。」
間藤「…あ、清田さん。」
清田「はい、」
間藤「恒先生に、よろしくお伝えください」
清田「…はい。」
間藤「それでは、また」
清田「はい。」
清田N「書いて、書いて、書いて。間藤先生は苦しい様子もなく書いている、と担当編集者の原さんは言う。あれだけの執筆量、疲弊はあれど楽しそうに書かれていると言う。気だるげな後ろ姿は昔と変わらず、切りっぱなしの毛先に猫背、踵を踏みつけたスニーカーで歩く先生はそっと応接間に消えていった。」
______
恒N「君がくれた奇妙な種はあの日確かに私を絡めとったんだ。芽が出た時は何よりも嬉しかった。初版、私の言葉達が形になったことをまるで自分のことのように喜んで頁の音が耳に焼きつく程何度も何度も捲った。その音が心地よくて何度も何度もサインペンを走らせた。」
恒N「それが、ふと、ある日、たったあれくらいのことで書けなくなった。」
恒「私は、何のためにまだこんなことをしているんだ」
清田「先生。」
恒「…ああ。清田さん。」
清田「コーヒー、買ってきましたよ。淹れましょうか。それともお昼にしましょうか?」
恒「いらない」
清田「そんなこと言わないでください。今日まだ何も食べていらっしゃらないでしょう。食べやすいものお作りしますから。」
恒「…」
清田「…テーブル片付けちゃいますね」
恒「うん」
清田「今日はお外、いいお天気ですよ。大分暖かい日が多くなってきましたね。そろそろ本格的に春が近づいてきましたね。」
恒「…」
清田「この間、原さんと、あ、編集の原さんと居酒屋に行ったんですけどふきのとうの天ぷらがあって春だなーなんて思ってですね。食でも四季を感じられるなんて日本っていいなーなんて改めて思ってですね。」
恒「清田さん日本生まれ日本育ちの日本人じゃない」
清田「まあ、そうなんですけど」
恒「おかしな人」
清田「先生滅多に外出られないでしょう?四季、感じないかなー?と思って」
恒「出てるよ外」
清田「庭でしょう」
恒「外は外」
清田「そ、うですけど!もっと、外です!」
恒「四季ね。春、だね。うん。あれ咲いたし確かにもう春だね。」
清田「…今年も咲きましたね。」
恒「気付いてたんだ」
清田「はい。」
恒「はは。白紙の原稿も?」
清田「…」
恒「彼女は何て?」
清田「また来週、打ち合わせの約束をしてきました。先生の心配されてましたよ。」
恒「冗談言うな」
清田「本当ですよ」
恒「彼女の好きなクッキーと紅茶でも用意してやってくれ。来週までに。」
清田「はい。」
恒「あと、」
清田「これ。」
恒「…」
清田「ペン、新しいものご用意しております。原稿用紙もいつものところに補充してます。」
恒「…用意がいいね」
清田「これでも、先生の担当編集者ですので。」
恒「そうか」
恒「そういえば、そうだったね」
______
花韮「先生。こんにちは。」
恒「こんにちは。よく来たね。こんな雨の日に、日を変えたってよかったのに。」
花韮「木曜日ってお約束してたので」
恒「私は何曜日だってどうせ暇だと知ってるだろう」
花韮「約束は守るものですから」
恒「若いね。約束は破るためにあるんだよ。」
花韮「屁理屈ですか?」
恒「シャレのつもりだったんだけど。」
花韮「そうですか。」
恒「紅茶を淹れよう。」
花韮「あれ、清田さんは?」
恒「いないよ。」
花韮「そうなんですか?」
恒「うん。」
花韮「私淹れましょうか」
恒「いいよ。たまには、私があなたに淹れてあげたいんだから。」
花韮「では、お言葉に甘えて。」
恒「どうぞ。」
花韮N「ことり。と、テーブルに置かれたのはティーカップとクッキー缶、そして新品の青いサインペンが乗ったトレーだった。」
恒「缶のままの方が可愛らしかったから、皿に出すのはやめた。」
花韮「はい。食べるの勿体無いですね。」
恒「そうだね。」
花韮「先生。」
恒「私は、あなたに先生と呼ばれるほどのものではないけれどね。」
花韮「いいえ。先生は先生です」
恒「…」
花韮「あの庭の花、咲きましたか。」
恒「咲いたよ。」
花韮「そうですか。」
恒「書けなかった。」
花韮「…」
恒「私はもう、何一つ、なんの言葉も書けやしない。浮かばない。ペンも走らない。」
花韮「また、きっと書けますよ」
恒「…あなたは、天才と秀才の違いを知ってるかな」
花韮「言葉遊びですか?」
恒「いいや」
花韮「天才は生まれ持った才能です。秀才は努力の賜物です。」
恒「あなたはどちらかな」
花韮「私は天才ではありません。だからたくさん本も読みましたし、勉強も独学ですがしています。現に先生にも教えていただいてますし、」
恒「私はどっちにもなれなかった」
花韮「先生」
恒「花韮さん。天才が、努力をしたら、してしまったら、どうなると思う」
花韮「…」
恒「人智を超えた、人でなくなる」
花韮「…先生」
恒「私は、もう。何一つ、書いてやれないんだ。私は私を、私の名前を、私は二度と、超えられない。」
______
花韮N「昔、まだ学生だった頃。自殺しようとしたことがある。その時はほんの出来心で、思い悩んでいたとか思い詰めていたとかそんなわけでもなくて、生きていく理由も特になくて。だから手首をスパッと切ってやった。」
花韮N「呆気なく未遂に終わり、両親は大慌てで学校も慌てに慌てて友人からも気を遣われるようになった。ある意味生きやすくなった、気がする。そんな時、今まで読書なんてしたこともなかった私がたまたま手に取ったのが恒 実弥の本だった。その中の主人公の親友が言う台詞“お前が死ぬのなんかどうでもいい。いつ死んだってどんな死に方したって葬式くらい行ってやるよ。ただ、ただな。自分で死ぬって言うんならせめて、本当に、死にたくなってから死ねよ”って。」
花韮N「そうしよう、って思った。たったその一言で。スーッと体に染み込んでいって、鳥肌が立った。誰か、知らない人の言葉がこんなに刺さることあるんだって。高校を卒業してから真っ先に資生社へ駆け込んだ。でもやっぱり相手にされるわけもなく、ありったけの知識で小説を書き殴って何度も持っていってそれでもダメで。そしたら、ある日」
……………
清田「こんにちは」
花韮「こ、んにちは」
清田「私、資生社の清田美沙子と申します」
花韮「資生社!は、花韮い、いずみです!」
清田「毎日来てくださってるって、受付の方に聞きました。ごめんなさいね。上までお通しできずに。」
花韮「いえ。こんな小娘、相手にできませんよね」
清田「そこの喫茶店でよければお話聞きますよ」
花韮「え、いいんですか?」
清田「お話だけなら」
花韮「はい!お願いします!」
清田「ええ」
花韮N「あの時清田さんが神様にみえた」
清田「小説家に。」
花韮「はい。夢なんです。大好きな作家先生がいて。最近新作出ないので寂しいんですが。私も将来絶対に自分のお話を書きたくて」
清田「そうなんですね。ちなみにどうして資生社に?他にも出版社ありますけど。もしかしてその作家先生、うちにいるんですか?」
花韮「はい!恒先生です!資生社でしか書かれてないですよね?」
清田「!」
花韮「…清田さん?」
清田「恒先生のファンでしたか」
花韮「はい!」
清田「そうですか!何の作品がお好きなんですか?」
花韮「どれも色が違って好きなんですが1番は、”思慮の雪”です!」
清田「…」
花韮N「その作品名を口にすると、清田さんはとても悲しそうに笑って私の書き殴った小説を優しく撫でて」
清田「これ、恒先生に見せてもいいですか?」
花韮「え?いいんですか?」
清田「私、恒先生の担当編集をしてるんです。」
花韮「ほ、本当ですか?!そ、そんな偶然」
清田「私もびっくりしました」
花韮「ぜひ!ぜひお願いしたいです!」
清田「じゃあ、これ。私の連絡先です。またご連絡しますね。」
花韮「はい!…!はい!!お願いします!」
花韮N「夢が叶った、そう、思った」
……………
間藤「あ、清田さん」
清田「間藤先生、お世話になっております」
間藤「電話、繋いでもらって申し訳ないです。原さんに内容伝えてもらうより直接お話しした方がいいかと思って。」
清田「あ、この間の。3冊もお渡ししたのに、もう読んで下さったんですか。」
間藤「僕読むの速いんですよ」
清田「そうでしたね」
間藤「まず本について率直に。若い女性ですかね。感情表現が細かでお上手だ。その分迫力に欠ける。リアルさにもっと重点を置けば良いところを伸ばせるかもしれないですね。ただ、あなたとあまりにも毛色が違いすぎる。切り替えの際もう少し暈した方がよかったんじゃないですか?バレますよ。」
清田「…本当に率直なご意見ありがとうございます。」
間藤「恒先生はまだ書かないんですか」
清田「…」
間藤「失敬。書けないんでしたね」
清田「間藤先生。恒先生だって、苦しんでおられるんです。」
間藤「だったら作家なんて辞められたらいいでしょう。名だけ残して誰かに書かせるなんて。それでいいんですか。たった一時のスランプだって言うならまだしも何年、何十年書かないんですか。」
清田「…」
間藤「僕、意外と執念深い男なんです。知ってました?」
清田「…」
間藤「どうして清田さんのような有能な編集者が、あの頃ペーペーだった僕について下さって、そしてどうしてたった1年で担当が変わったのか。」
清田「…」
間藤「一本。盗りましたね?恒先生の為ですか」
清田「…」
間藤「いいんですよ。あの頃の僕は書ければ良かったんですから。印税がどうとか、著作権だの、作品に愛だのなんだのない頃ですから。ただ、そういう仁義というか人道というかね。」
清田「…すみません」
間藤「あなたが謝ることじゃないです。恒先生の指示なんでしょう?きっと当時、話題のあの若手の作品を先に読んでみたいから一本抜いてきてくれないかとかその程度だったんでしょう。」
清田「…先生の指示なんかではありません。私の勝手です。」
間藤「はは。」
清田「…そんなつもりはなかったんです。」
間藤「それが、あの人の書けなくなった理由ですか」
清田「先生は、」
間藤「絵に描いたような自業自得ですね」
清田「私のせいなんです!」
清田「私が、」
………………
恒「間藤恭平?」
清田「はい!今すごく人気が出始めてる若い作家先生で、書くスピードが凄いって校閲部が嘆いてました」
恒「それは羨ましいね。私なんか締切に毎回苦しんでるのに。」
清田「でも先生の作品は凝ってますから!時間がかかるのも当然です。」
恒「へー。でも凄いな。若いのにそこまで書けるのは。才能だろうな。」
清田「うーん。でもそうかもしれませんね。文豪と言われる未来も近いかもしれません。」
恒「…読んでみたいな」
清田「本、お持ちしましょうか」
恒「いや、彼の中でボツになったものを読んでみたい」
清田「え?」
恒「本になったものはそりゃあ売れるだろう。今や人気もあるんだ。まともな評価もされないだろう。」
清田「まあ、付加価値もありますしね」
恒「今は誰が担当編集者に?」
清田「いえ、今は誰かが代わる代わる」
恒「あなた、少しの間なってきたら?」
清田「え?」
恒「見てきて、私にどうだったか教えてよ。」
清田「…え、でも」
恒「どうせ私の筆は遅いし、あまり売れてもいない。1ヶ月くらい掛け持ちしても支障はないだろう?」
清田「…」
恒「ボツ作品を抜いて持ってきてくれないか?」
清田「先生、いけません」
恒「ボツなんだから、いいだろう」
清田「先生」
恒「読んでみたいだけだよ。今の若い世代がどんなものを書いてどんなものをボツとするのか気になるんだ。清田さんにしか頼めないんだ。」
清田N「先生はそう言って、私の小指と先生の小指を絡ませた。」
清田N「それから先は自分でもよくやったと思う。完璧な手腕だった。怪しまれることもなくボツになった間藤先生の作品を抜いて恒先生の元へ横流しした。読むだけだと仰ったから。読んだら返せばいい、そう思っていたから。なのに、先生は」
恒「…」
清田「先生?」
恒「これが、ボツだと?」
清田「間藤先生の作品には合わなかったと判断されたようで。」
恒「誰が判断した」
清田「間藤先生、ご本人です」
恒「じゃあ誰が書いたって言うんだよ!」
清田N「フローリングに叩きつけられた原稿用紙。この時初めて先生が声を荒げたのを聞いた。」
恒「素晴らしいと、私は思う、のは、間違ってるのか?この感情は、間違ってるというのか!!」
清田「先生!」
恒「これが!!ボツ、なら!!私が書いてるものは何だ!!ゴミ以下か!何なんだ!!!」
清田「先生!あ、やだ、先生、」
恒「何が凝った純文学だ!!こんな羅列ただのお遊びじゃないか!!!!くそ!!!くそ!!!」
清田N「ドッ、ドッ、と、青いサインペンが書きかけの原稿を差し破っていく。インクが滲み出て文字がぼやけ、錯乱する机上と沸騰していく先生の顔。私のせいだ。私が、間藤先生の作品を見せたせいだ。作品の価値を分かっていなかったせいだ。わたしの、せいだ。わたしが、」
清田N「作家 恒 実弥を ころした」
………………
花韮「清田さん?」
清田「あ、ごめんなさい。」
花韮「珍しいですね。考え事ですか?」
清田「はい、少しぼーっとしてました。私としたことが、いけませんね!」
花韮「いえ。清田さん、恒先生以外にも何人も見てらっしゃるんでしょう?この間先生ぼやいてましたよ。こんなに優秀な編集者がつくなんて烏滸がましいとかなんとか。」
清田「はは。ご冗談を」
花韮「本当です」
清田「…私、優秀なんかじゃないんですよ。」
花韮「そんなこと」
清田「そんなこと、あるんです。」
花韮「え?」
清田「天才と秀才の違い、花韮さん分かりますか」
花韮「え、それ先生も同じこと、」
清田「私には、分かりません。天才と秀才の区別も分別もつきません。どちらも私とは違う次元の、私と同じただの肉塊にすぎません。私にとってはその程度の、たったそのくらいの違いです。」
花韮「…」
清田「だから私は、創作者には向かないんです。違いが分からないから。物事の大枠しか分からないから。細部まで読み取れないんです。感情まで読み取れないんです。時系列の差異とかトリック云々とかそういうのは分かります。でも感覚とか感性とかそういうのはどうも鈍くて。」
花韮「清田さん…」
清田「最低でしょ。編集者として。」
花韮「清田さん。言えなかったら、言わなくていいんですけど。恒先生のスランプって“思慮の雪”以降ずっとですか?」
清田「…」
花韮「…」
清田「どうしてですか?」
花韮「なんか、私の1番好きな本、昔も言ったと思うんですけど“思慮の雪”以降のお話ってどことなく色がバラバラなんです。でも一貫して同じ部分があって。上手にまとめられてるんです。他作品を上手に掻い摘んで書いたお話しみたいな感じで。でも、恒先生の書斎にはそんなにたくさん書籍もないし不思議だなって思ってたんです。どこか読んだことあるようなフレーズがたくさん並んでて。でもあまりにもたくさん並びすぎてて特定できないみたいな、そんな、不思議な感じで。」
清田「…」
花韮「清田さん?」
清田「…作家先生が仰るならそうかもしれませんね」
清田「私のせいなんです。恒先生が書けなくなってしまったのは。私のせいなんです。私が先生に出会ってすぐの頃、先生がデビューしてすぐの頃、こんな、こんなふうになるはずじゃなかったんです。私の、私のせいで」
………………
恒「こんにちは。」
清田「こんにちは!清田です。進捗伺いに参りました!」
恒「そういえば清田さんは、どうして編集者に?…あー、なんてベタ、ですね。ごめんなさい。もっとセンスのいい質問にすれば良かった」
清田「いえ!私、本が好きなんです!大好きなんです。作家先生の書く言葉達がまるで魔法の言葉みたいで、誰かの座右の銘になれたら、何て。それが私の夢なんです。でも、私にはお話を書く事はできないのでせめてそれに携わりたくって。」
恒「誰だってお話を書けるんだから!私でよければ教えるから清田さんも書くといいですよ。」
清田「え?!いえ!私は先生の担当編集者ですので!」
恒「でも書いてみたいって思ったことはないんですか?」
清田「私は書きたいよりも、広めたいんです!一緒に素敵なものをたくさん世に広めてたくさんの人を救いましょうね!」
恒「ははは。そう言うと宗教に聞こえてきますね。」
清田「でも、先生、私達ってきっと誰かを救えると思うんです。何気ない一言が死んでしまいたい誰かを救えたりだとか、そんな奇跡だってありえるって。だから私編集者になったんですよ。笑えるでしょ。」
恒「うん。うん。あなたのような人がそうやってきっと、本当に誰かを掬ってしまうんでしょうね。」
清田「先生はどうして作家になられたんですか?」
恒「私は、目の見えない恋人がいて。昔。私のサインペンの書く音が好きだと言ったんです。」
清田「あ、このいつも書かれてる青いペンですね」
恒「はい。書いたら読んで、なんて。毎回恥ずかしくて堪らなかった。でもとても幸せでした。聞かせるために書いていましたから。そうすると、出版社に出してみたらどうかって話になってそしたらそのままデビューして。」
清田「わー!なんかロマンチックですね!」
恒「そうですか?ありきたりじゃないですか?」
清田「全然そんなことないです!」
恒「それから、ご存知の通り賞を頂きまして、お金も少しばかり貰いましたからバリアフリーのこの小さな家を買って。さて結婚、と目前に先立たれました。全く、せっかちなもんで。」
清田「そんな…」
恒「そこ、庭にある鉢、蔓の植物のあるでしょう。」
清田「はい。」
恒「クレマチスって言うんです。最後にくれた贈り物で。変な種でね、何これって聞くと3月に花が咲くから私だと思ってまた読み聞かせてねって。また書けって言うんです。」
清田「そうですか」
恒「ええ」
清田「じゃあ、たくさん、書かなくちゃですね」
恒「ええ。書かなくちゃ、いけませんね。」
………………
清田「先生。こちら、次作の案です。」
恒「…次は彼女の名前で出してあげないか」
清田「しかし、それでは」
恒「私は、もういいよ。」
清田「先生!」
恒「清田さん。もう、何十年も書いていない作家はとうに死んでいる。あなたがずっと繋いでくれた命だけど、あなたが1番分かっているはずだ。もう私は間藤の作品を盗んだあの日から恒 実弥は終わったと。」
清田「先生!」
恒「作家なんてものはね、ただ搾取され続ける、常に誰かの玩具。そこにゴールなんてものはないよ。私も、それに携わるあなたも。」
清田「やめてください、先生。そんなこと言わないでください。私達、一緒に頑張っていきましょうって、一緒に素敵なものをたくさん世に広めてたくさんの人を救いましょうってそう言ったじゃないですか。だから、私」
恒「清田さん、もうやめよう。」
______
花韮「清田さん?」
清田「…」
清田「花韮さん。私は、先生を。恒実弥先生を殺してしまったんです。私の配慮の欠けた行動のせいで一生書けなくなってしまいました。それだけでなく、もう書けないという先生を無理矢理その名前に縛り付けてあなたを利用してまで恒実弥として生かし続けて、苦しめ続けてきました。私は、人として最低です。花韮さん。死なないでください。殺されないでください。才能は、とても脆くて儚いです。壊されないでください。この世界には天才と呼ばれる化け物たちが沢山います。私のような凡人には全く見当もつきませんが、天才というものは努力を重ねた秀才たちの築き上げたそれを呆気なく踏みにじるのです。蹂躙するのです。だから、負けないでください。あなたを利用していた私が言ってもどうしようもないかもしれませんが。どうか。」
花韮「どうしたんですか、清田さん。」
清田「先生は、先生を辞められるおつもりです。」
花韮「え」
清田「これから、たくさん。大変なことが起こります。きっと。でも、いつかよかったなって思えると思います。だから、だから。負けないでくださいね。花韮さん。」
花韮「待って、待ってください!」
清田「あのお約束。ようやく守れそうです。間藤先生。花韮さんの作品、必ず見させますから。」
花韮「…清田さん、」
_______
間藤「もしもし。」
清田「こんばんは。夜分に恐れ入ります。資生社の清田です。」
間藤「ああ、どうも。」
清田「先日は、取り乱してしまい大変失礼致しました。」
間藤「いえ。」
清田「謝罪と、退職のご報告を。」
間藤「退職、されるんですか。」
清田「…はい。」
間藤「えらく、急ですね。」
清田「はい。実家に帰ろうかと思いまして。」
間藤「へえ」
清田「間藤先生には大変お世話になりまして」
間藤「清田さん。」
清田「はい」
間藤「僕、分かるんです。こういうの。」
清田「え?」
間藤「今、家族が同じ部屋にいるものですから直接的な言葉は濁しますがやろうとしてますね。」
清田「…考えすぎですよ」
間藤「僕、そういう清田さんが苦手な間とか、感覚とか感情とか?拘るのでとても。」
清田「やっぱり、先生のような方を所謂天才というんでしょうね。」
間藤「恒先生が?」
清田「はい。天才が努力をしたら人でなくなるとよく仰っていました。」
間藤「はは。僕は天才ではないと思いますけど。」
清田「怒られます。そんなこと言うと。」
間藤「僕はもっと凄い化け物を知ってますから。」
清田「ご自身より?」
間藤「戸瀬知代子」
清田「戸瀬先生ですか」
間藤「はい」
清田「なるほど」
間藤「納得できました?」
清田「私にとってはどちらも、同じです。」
間藤「そうですか。」
清田「恒先生を、よろしくお願いします。」
間藤「追いますよ。あの人はあなたを」
清田「…いいえ。先生にはあの庭がありますから」
間藤「庭?」
清田「忘形見が庭で待ってるんです。3月に咲く、クレマチスの花。きっと今年も咲きますよ。」
間藤「咲かなかったら?」
清田「これまでだって毎年咲いてるんですから。」
間藤「清田さん、そうしなくったって書かなくったって恒先生は生きていけますしあなただって生きていけますよ。」
清田「そうですよね、きっと。」
間藤「だから、」
清田「天国って、自殺するといけないって知ってますか?」
間藤「都市伝説か何かですか?」
清田「私、地獄に行かなくっちゃいけないので」
間藤「…」
清田「間藤先生。さいごに、会っていただきたい子がいるんです。どうかお願いします。」
______
間藤「どうも。はじめまして」
花韮「は、じめ、まして」
間藤「花韮いずみさん。清田美沙子さんからお噂は予々」
花韮「いつも作品拝読してます」
間藤「それはありがとう」
花韮「あの、“恍惚”好きです」
間藤「それは、ありがとう。それで、作品見てほしいんだっけ」
花韮「はい!ありがとうございます!」
間藤「あれ、万年筆?」
花韮「ああ、そうなんです。高校の頃友人がくれて、いつか、私のお話を書くときに使おうって決めてて。なかなか渋って使えてなかったから。」
間藤「じゃあいつもは青のサインペンなんだ。」
花韮「え、」
間藤「ああ、気付いてないと思ってた?」
花韮「…」
間藤「流石に癖で分かるよ。」
花韮「…」
間藤「君たちは揃いも揃って不器用だね。言葉を扱う仕事をしているのに会話をしないのかな。話すのが苦手ならどうして書かないんだ。恒先生も、君も、清田さんも。せっかく書くことができるのに。書く術を持っているのに。」
花韮「清田さんも、ですか?」
間藤「器用なくせに不器用で。文章に良く出てる。気付かなかった?」
花韮「…。」
間藤「…気付いていても、僕には救えなかった」
花韮「間藤先生?」
間藤「作家なんて仕事は誰にも理解されない。何かを創る仕事は誰かにわかってもらおうだなんて思うこと自体烏滸がましいんだ。僕は少なくともそう思ってる。だから、僕の書くものを僕の家族に必ず読んで欲しいとも思っていないし必ず理解されたいとも思わない。もちろん僕自身のことも。それでいいと思ってる。それが当たり前だと思ってる。でもそれって普通、ではないのかな。普通は理解されたいと思うものなのかな。誰かに読んで欲しいと、思うものなのかな。」
花韮「…間藤先生は有名になりたかったわけではないということですか?」
間藤「書ければよかったから。とりあえず、書けて読めてれば満足だったから。あとはどうでもよかったんだ。」
花韮「…」
間藤「そのうち、運命の出会いをしなければ。僕は死にたいなと思ったらふと、なんの迷いもなくその日に死ぬようなそんな人生を生きてきたから」
花韮「あ、」
間藤「花韮さん、天国ってあると思いますか?」
花韮「…え?」
間藤「どう思いますか?」
花韮「…あると、思います」
間藤「生きましょうね。天国。僕らは、踏み外さずに。」
______
清田「手配しました。」
恒「やけに早かったね」
清田「…」
恒「さては、前から間藤と連絡取ってたね?」
清田「原稿の件、少し前にバレてしまいまして。」
恒「彼は何て?」
清田「特には」
恒「はは、全てにおいて、私は三下なわけか。」
清田「…」
恒「花韮さんの作家デビューは別の出版社で進めておいて。名前は変えなきゃいけないけど了承してくれるかな。こんなことなら、ゴーストなんか頼まなきゃ良かった。彼女に度胸があればそのまま売名行為でも何でもいいから私の名前をそのまま使ってもいい。どちらでもいけるように手配頼める?」
清田「はい。可能です。」
恒「ありがとう。」
清田「先生。」
恒「ん?」
清田「本当にいいんですか?」
恒「うん。所詮、消耗品なんだ私達は。消費していただかなくてはならない。搾取される側だよ、虚しいな。」
清田「私、救えたでしょうか。誰か、1人でも。」
恒「どうだろうね。創作なんか、誰も救いやしないんだ。その一瞬、誰かを掬ったとて何になる。生きていくのは掬うより難しい。」
清田「そう、ですね。」
清田「たくさん、たくさん。書いてくれるかな。」
恒「書いてくれるよ。彼女は私よりもっと才能があるんだから。」
清田「どうかたくさん、書いてほしい。」
恒「さて、あとは専ら嫌われ役に徹しなければならないね」
清田「私がなりますよ。本来私の方が酷いことをしていたんですから」
恒「清田さん、半分バラしてしまったじゃないか」
清田「…」
恒「いいよ。嫌われるのは慣れてるからね」
………………
花韮「先生。」
恒「私は、あなたに先生と呼ばれるほどのものではないけれどね。」
花韮「いいえ。先生は先生です」
恒「…」
花韮「クレマチス、咲きましたか。」
恒「咲いたよ。」
花韮「そうですか。」
恒「書けなかった。」
花韮「…」
恒「私はもう、何一つ、なんの言葉も書けやしない。浮かばない。ペンも走らない。」
花韮「また、きっと書けますよ」
恒「…あなたは、天才と秀才の違いを知ってるかな」
花韮「言葉遊びですか?」
恒「いいや」
花韮「天才は生まれ持った才能です。秀才は努力の賜物です。」
恒「あなたはどちらかな」
花韮「私は天才ではありません。だからたくさん本も読みましたし、勉強も独学ですがしてます。先生にも教えていただいてますし、」
恒「私はどっちにもなれなかった」
花韮「先生」
恒「花韮さん。天才が、努力をしたら、してしまったら、どうなると思う」
花韮「…」
恒「人智を超えた、人でなくなる」
花韮「…先生」
恒「私は、もう。何一つ、書いてやれないんだ。私は私を、私の名前を、私は二度と、超えられない。」
花韮「先生の名前を?」
恒「“思慮の雪”」
花韮「先生の作品ですね!」
恒「あれを私は超えられない」
花韮「私もあのお話が1番好きです」
恒「…そうか」
花韮「私、昔一度だけ死にたいなーって思ったことがあって。その時、あの中の言葉に救われたんです。“死にたくなってから死ね”っていう!そうだ、そうしようって思って。あの本がきっかけで作家になりたいって思ったし、何より今生きてるんです私」
恒「…そうか。そうか。」
花韮「先生?」
恒「いや、なんでもない。」
………………
花韮N「あの時の、先生の顔が脳裏に焼き付いて仕方がなかった。驚いたような、安心したような、落胆したような。」
花韮N「先生は、優しい人だ。そんな先生が書けなくなった理由、天才と秀才の違い。清田さんの言う才能の脆さ。何もかも私には分からなかった。今の私にできることといえば先生の代わりに書くことくらいしかない。だから、これからは私の名前で、先生の代わりに書いてあげようと、そう思った。」
花韮N「これまで通り先生のところに通いながら、先生に習いながら。先生は私の先生を続けてくれたらいい。恒実弥じゃなくてもいい。私の先生に変わりはない。先生がそれでよければ。私の名前じゃなきゃいけない、先生の名前では書けないお話を書きたいと、そうしようと、思った。」
______
恒「うん。今月もこれでなんとか出せそうだよ。」
花韮「先生、もうやめませんか?」
恒「何?」
花韮「私、自分のお話を書きたいんです」
恒「無理だよ。売れない。」
花韮「売れなくてもいいから」
恒「無名の作家なんて本にすらできないんだよ。いいじゃない、ただ作者名が私なだけ。あなたの好きなお話を好きなだけ書けて、それをたくさんの人が読んでくれる。素晴らしいじゃない。私は私で得をするしあなたはあなたで文字を書ける。Win-Win、そう契約したでしょう」
花韮「私の名前じゃなきゃ、いけない話を書きたいんです」
恒「…」
花韮「お願いします」
恒「…」
恒「だったら、仕方がないね。」
______
花韮N「今朝、寝ぼけたままネットニュースを見て飛び起きた。私の名前が載っている。恒実弥の隣に並んでいる。ゴーストライターの文言と一緒に。すぐに清田さんに電話をかけると先生が家で待っていると言う。さぞ先生も驚いていることと思っていたら思いのほか落ち着いていて、すぐ先生が裏切ったのだと察した。」
花韮「先生、どうして」
恒「ああ。あなたが契約を破棄したから。」
花韮「私の名前、出したんですか。」
恒「そうだよ。あなたはもう本なんか書けない。私も同じだけど。洗いざらい、今までの作品全てを捨ててやった。」
花韮「ぁ、…ああ」
恒「読者は騙された気分だってご立腹だ。ゴーストライター花韮いずみ。ゴーストは世に名が知れたら死ぬんだよ。」
花韮「ひどい。」
恒「ひどいのはどっち?都合のいい関係を勝手にやめたあなたよ。」
花韮「私はあんたの、あんたのために今まで生きて書いてきたのに」
恒「私だってあなたのために、今まで生きて名前を貸してたのに」
花韮「許さない」
恒「何を?」
花韮「あんたを許さない」
恒「許してもらわなくて結構。脅されて名前を貸していたって今日の週刊誌は謳うでしょうし、死ぬのはあなたとあなたの作品だけ。書けなくなっても私は死なない。ああ、そうだ。新しいゴーストでも探してみようかな。ね?知り合いいない?」
花韮N「これが、あの時清田さんが言っていたこれから大変なことが起こるということにどうしても結びつかなかった。私は先生を責め立てて部屋を飛び出して間藤先生へ連絡した。」
______
清田「先生。」
清田N「書斎いっぱいに並んだ本棚にはぎっしりと並ぶ背表紙。そのどれもが先生を嗤う。」
清田「先生。」
清田N「ずっと先生でいて欲しかった。私があんな事をしなければ先生は先生でいられたのに。」
清田「先生」
清田N「私は天才どころか秀才ですらないと言う先生がどこか羨ましかったです。私は努力の仕方も分からないくらい誰かを真似するくらいしか脳のないただの鏡でしかなかったのですから。」
清田「先生」
清田N「今年は読み聞かせはできなくなってしまったかもしれないけれど、どうか素敵な春を」
清田「先生」
______
間藤「急に連絡されて会いたいと言われても困るんだけど。」
花韮「すみません。」
間藤「まあ、大変だね。恒先生も大胆なことするもんだ。」
花韮「はい。」
間藤「今日、清田さんは、いた?」
花韮「いえ。いませんでした。」
間藤「連絡は?」
花韮「朝話しました。」
間藤「そのあとは?」
花韮「えらく、気にされるんですね」
間藤「彼女、死にたそうだったから。」
花韮「え?」
間藤「君を引き受けたのも、あまりにも切羽詰まった様子でいうものだから断れなかったんだ。嘘下手だし。」
花韮「…」
間藤「正直な文章を書く方でしょ?」
花韮「清田さんは作家さんではないですよ?」
間藤「あれ?恒先生の作品、全部読んでるんじゃなかったっけ?」
花韮「はい。」
間藤「1番好きなものは?」
花韮「”思慮の雪”です」
間藤「はは。それは、また」
花韮「え?」
間藤「いや。それ以降、あなたが書くまでのものは全部彼女が書いたものだよ。」
花韮「…嘘ですよね」
間藤「気付かないものだね。」
花韮「…」
間藤「恒先生はもう随分前から書けないんだよ。コラムなんて一本も書いてない。さすがの清田さんもそれには手を出してなかったみたいだね。」
花韮「ショックです」
間藤「本人も反省してたみたいだし。」
花韮「清田さんが自ら書いていたってことですか。無理矢理先生を縛り付けてたって前言われてました。…あ、その時、これから大変なことが起こるって確か。」
間藤「じゃあ、二人で組んで、君を作家に戻してあげようって魂胆だったのかもね」
花韮「そんな…」
間藤「連絡、してみたら?清田さんに」
花韮「はい!」
花韮「…出ないです。」
間藤「…そうか。」
花韮「いつもはすぐ出てくれるのに。」
間藤「そういえば、預かってた作品。読ませてもらったよ。参考になるかはわからないけど添削、しておいたから帰って時間があったら見てください。」
花韮「え、もうですか?」
間藤「はい。僕読むの速いので」
花韮「ありがとうございます!添削まで、嬉しいです」
間藤「そんな大したこと書いてないですよ。メモ書き程度ですのであまり期待しないで下さい。」
花韮「ありがとうございます。」
間藤「それでは、お気をつけて。」
花韮「はい。失礼します!」
______
恒「そう、何度も呼ぶものじゃないよ。」
清田「せん、せ」
恒「死にたいなら、4月にしなさい。そしたら私も一緒に括ってあげよう。君を縛った罰だ、私も地獄に付き合おう。」
清田「先生」
恒「何度も呼ぶんじゃない。私はもう先生じゃない。」
______
花韮N「間藤先生は、私の万年筆の上に重ならないように赤い鉛筆で丁寧に添削してくれていた。表現の仕方とか、てにをはとか。そういうのは、やはり流石だなと思った。」
花韮N「1番最後、最後のページ。空白の多いそこには物語のあらすじのような、帯のような一言が添えられていた。」
花韮「こぽり、こぽり。口から漏れ出る泡(あぶく)。命の終わる音がする。肺を満たすのは最期くらいあなたがいい。」
花韮「骨を通り抜けた先、タバコも吸わない私の肺はきっと綺麗な色だろう。何度も世界を書いたこの万年筆で染めて、満たして、生きを、したい。」
花韮N「ゾッと、した。背筋が凍った。私の書いた物語の全てが息をやめた気がした。もう、間藤恭平のものになった。終わってしまった。書き変わってしまった。私のものでなくなってしまった。ようやく書けた私のお話、私だけのお話が、息をするのをいとも簡単にやめた。死にたくなった。そうだ、死にたくなった。今、私は死にたくなった。」
花韮「死にたくなってから、死ね。そうしよう。」
______
恒「倩と、命を削って書いた私の文字達は喰われ弄ばれ今やゴミ捨て場の片隅。あなたが好きだと言ってくれた、私の文字達はもうどこにもいやしない。誰も、誰1人として掬えやしなかった。せめて、蹂躙していく天才の溢れたそれでも救えたらと。伸ばした手も届くことなく、私の蔓は何の役にも立たなかったよ。」
恒「あなたに見られなくてよかった。こんな情けない姿、見られなくて、本当に良かった。捲る音を聞かせられずに、私の言葉を聞かせられずに、本当に、申し訳なかった。あなたの前でやっと、本当のことが言えたよ。」
______
間藤N「りん、と縁側の風鈴が鳴いた。鈴ちゃんがつけっぱなしにして行ったリビングのテレビ。最近見た名前が流れた。」
間藤「…踏み外したら、いけないんだよ。天国へは。」
蹂躙 有理 @lily000
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