3  オオカミ兄妹

 首が座ってからの私の成長は早かった。

 仰向けからの寝返り。

 うつ伏せからの四つんい。

 そして立ち上がる。

 ついには二足歩行。


 もし私に前世の記憶がなかったなら、四つんいで止まっていたかもしれない。

 兄オオカミのカミッテルは立ち上がった私に、ぽかんとした。

 それから、自分も後ろ脚で立ち上がってみた。


 カミッテルが後ろ脚で立つと、見上げるように背が高かった。それでよろめきながら私の両肩に前脚をかけるものだから、必ず私はこけた。

『やめなさい!』

 ダンシャリンが額に青筋マークを浮かべて駆けてくる。ここまでがワンセットだ。


 私が地面に転ぶ前に必ずカミッテルは、私の背と地面の間に入っているので、ケガをすることはない。

 楽しく、しあわせな時間だった。

 私が離乳という時期を迎えるまでの。



 離乳の時期が来ると、少々、困ったことになった。

 私はオオカミに、なり切れなかった。

 彼らは肉食である。肉の供給が不足したときは、果物、ベリー類、木の実やミミズ、昆虫を口にする。肉以外の食物は水分補給の意味合いもある。

 私にとって、さいわいだったのは巣穴の近くに泉が湧いていたことと、今年の夏はベリーの当たり年だったことだ。


 オワターもダンシャリンも私が人の子であることを考慮していて、無理に生肉を食べさせようとしなかった。

 


「ママ。おなかすいたよぅ」

 カミッテルがダンシャリンの鼻を、ぺろりとなめる。すると、ダンシャリンは腹の中に収めていた物を岩の上に吐き出した。野ネズミか何かかな。カミッテルは、それを食べる。獣なんだなぁという瞬間だ。

 私にはオワターが、ベリーをかみ砕いてくれた。

 私も空腹には勝てない。いただく。実は、熟したベリーにはバッタが高確率でくっついていて、どうやらこれが私のタンパク源だ。

 そのうち獣になれるのかもしれない。



 その頃の私は、唐突に前世の欠片かけらを思い出すことがあった。

 頭の中の霧の晴れ間に夢として現れる、それら。

 かりっとした黄金色の衣の中に、ほくほくとした白いペーストが入っている食べ物を頬張ほおばって、口中を火傷やけどするとか、固めた道に引かれた白線の上を『これ以外のところを歩いたら死ぬ』というおきてに従って歩いているとか、そういう夢を見る。


 私は誰だったのだろう。何だったのだろう。

 

 黙って考え込むようになった私を、カミッテルは心配した。

 彼はもう、人なら児童の域に達していた。

 オワターのように、その背に私を乗せることができた。

仔供こどもたちだけで遠くに行ってはいけないよ』と、ダンシャリンに注意されていたが泉のところまで、よく行った。

 それから内緒ないしょで、そのちょっと先まで。

 とてもすてきな場所を、ふたりで見つけたのだ。

 そこは崖下のくぼ地で、果実のなる樹が幾本も等間隔のマス目に植わっていた。マス目という概念は、ここを見たときに浮かんだ。

 下草は伸び放題になっていたが、あきらかに人の手が入った場所だと思った。

「果樹園」

 言葉が、ふいに浮かんだ。

 木々に生っただいだい色の実を取るために、私はカミッテルの背に二本足で立つ。

 木にしがみついて登ることも、徐々にトライした。

 ただ、これをやると乳やら、お股が痛い。私は、いまだ裸族だった。


 やぶ蚊に襲われやすいのも難儀だった。

 これについては、〈やぶ蚊除けの草〉を使うという知恵をオオカミたちは持っていた。

 その新芽をむと柑橘系の香りが強く漂う。その汁をダンシャリンが私に塗ったくってくれた。髪の毛にも新芽を差してくれた。私は毛量が多いうえに、クセ毛だった。


(服……)

 私は思い出した。

 服を手に入れる方法を考えはじめた。


 草の繊維を取り出し織るというイメージも浮かんだ。しかし、それでは何年もかかる。手っ取り早く服を手に入れたい。

 干してある女性ものの下着を、そっと盗っていくイメージが浮かんだ。これが前世での実体験でないことを祈る。


「カツアゲしよう」

 私は思い出した言葉で、カミッテルを誘った。

『うん』

 基本的に、兄オオカミは私の言うことを何でも聞いてくれる。



 ある日、オワターとダンシャリンには内緒で、森のはずれに行った。

 森のはずれの向こうには、街と街を繋ぐ道が通っている。おあつらえ向きなことに、ぽつりぽつりとしか人の往来がない。脇道といったたぐいだった。


『今の時期はオオカミ狩りの季節じゃないから』

 オオカミを見かけても、襲ってくる人族ゲーマーはいない。昔々の乱獲がたたって、オオカミの数は減ってしまった。だから、オオカミ狩りの時期は、本格的な冬に入る前と定められ、狩るのもオオカミ狩りの許可を王国から受けた貴族だけなのだ。

 仔をはらんだ雌オオカミを狩る。ダンシャリンは、その罠にはまった。


 雌オオカミが産んだ仔を、人族ゲーマーは訓練する。オオカミは人の畑の作物を、シカやイノシシから守る。人の戦闘にもついていくのだと、カミッテルは教えてくれた。


 そんな話をしながら、森のはずれに潜んで人の子が通りかかるのを、私たちは日を変え、時間を変えて待った。人の子としたのは、私的なサイズの問題だ。

 そして好機は訪れた。



 少年が独りで、その道をやってきたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る