2  名付け

 この世界の言語には聞き覚えがある。懐かしささえある。


 次の日、私はオワターの背にうつ伏せに乗せられ、長老のところへ連れていかれた。

 そのオオカミは1頭だけで、平たい巨岩の上で日向ぼっこをしていた。


『アキハバラード老』

 オワターは、大岩の上の年老いたオオカミに下から声をかけた。

 呼ばれたオオカミは頭を上げた。糸目の上に眉毛がかぶさっている。毛色は、かすれた枯葉色だ。

『オワターか。モウカッテマッカ』

『ボチボチデンナ』

 

『どうした? その人の子は』

 老オオカミは、より糸目を細めた。


『森で拾った』

『ほぉ。人族ゲーマーの縄張りは今年は不作か。そういう年は捨て子が多い。で、連れ帰ったのか。エサにせずに』

『オレの〈名〉を言い当てたのだ。と。〈庇護者〉として指名された』

『〈名を知る者〉だったか』


 私は彼らの話を黙って聞いていた。

 いささかもよどむことなく理解できる。そして私がしゃべっても、彼らは驚かない。

「このしぇかい世界は――」

 どぅゆぅところでしゅか?

 赤ちゃん言葉になってしまうのは、まだ歯が生えていないせいだろう。

 老オオカミは私に鼻先を近づけた。

『この子は転生者じゃな。この年頃の人の子は、通常こんなにしゃべらない』

『てんせぃしゃ』

 聞きなれぬ言葉だったのだろう、オワターは繰り返した。

 天を仰いだ老オオカミは、長年成長を見守って来た若いオオカミに教える。

『霧の向こうからか、天の高いところからか、時空を渡ってか、女の子宮を経てか、現れる異人まれびと異人まれびとは異世界の知識を持つ。いにしえより異人まれびとを得た群れは、覇権を取ってきた』

『おぉ』

 オワターは、知らなかった世界の出来事に目を見開いた。


『赤子。披露ひろうしてもらおうか。おまえの知恵を』

 老オオカミが無茶ぶりをするものだ。

『娘や。告げてくれ』

 オオカミ2匹に期待に満ちた目をされて、私は困った。

「うぅ……」

 私は必死に記憶を手繰たぐる。

 何とか思い出したけど、これ、正解なのかなぁ。

きぃろぃしぇん黄色い線にょうちゅがわ内側まれおしゃがりくだしゃい……」

 おそらく、老オオカミの名に触発された。

 私の脳裏に、がたんごとん動く重そうな乗り物と、丸い魔法陣のようなイメージが浮かんだのだ。


『おおっ。呪文!』

 老オオカミがうめいた。

『魔導ヤマノテッセンっ』


『やまのてっ?』

 オワターは、はっはっと息を荒くした。

『そうじゃ。かつて混沌とした、この世界をまとめあげた魔導の教義。今再び、我らに道を指し示すか』

『さておき、老よ。まずは、この子に名を授けたまえ』

 オワターは忘れていなかった。そして、老オオカミの仕事は早かった。

『ターカナワゲートウェイはどうかな』

『かわいいっ。新しい感じだっ』


 私は、「うぇ?」と抗議の声を上げたが、『娘も気に入ったようです』と、オワターに曲解された。




 巣穴に帰ると、母オオカミと兄オオカミが待ちかねていた。

『あなた』『パパ』

 わくわくと私の名を、一家の長が告げるのを待った。


『発表します。……田中たなかウェイだ』


 だいぶ省略。そしてカン違い。

 いや、それより、ここのオオカミは漢字、知っとっるんかーい。


『うぇい。うぇーい』

 兄オオカミが、うれしそうに私にほおずりしてきた。

 仕方がない。〈ウェイ〉なら許容範囲。ゼンシンダツモウより、マシ。


「おにいしゃん」

 私が応えると、『うぇいは、かしこいね』と、小さな灰色はうれしそうに尻尾を振った。この兄は父親に似たのだろう。毛色がいっしょだ。目の色も青色で、それもいっしょだ。



 ところでオオカミは多産ではなかったか。

 オワターとダンシャリンのが、このおにいちゃんだけとは思えなかった。それには理由があった。

『オオカミ狩りがあってね』

 オワターが巣穴の外に私だけを連れだしたとき、話してくれた。

『ダンシャリンは身籠みごもっているときに狩られてしまったんだ。を産み落としてから隙を見て逃げ出したのだけど、連れて来れたのはカミッテルだけだったのさ』

 おそらく、1匹しかくわえて逃げられなかったのだ。

『だからな。ウェイの母親も、どうしようもない事情があって、ウェイを置いて行ったんだと思う。決して、捨てて行ったわけじゃない』

「むぅ……」

 私は黙りこくった。あれは、はっきり捨ててったよと思いつつ、否定しなかった。

 この養い親が悲しむ気がしたから。



 私の首が座るのは、もう少し後の話だ。

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