異世界転生お岩さん

縁代まと

異世界転生お岩さん

 あの夢を見たのは、これで九回目だった。

 騙され、薬を盛られ、そうして夫に裏切られた絶望の中で命を失う夢だ。


 妻の存在を疎んだ夫は薬で毒殺しようとしたけれど、すぐには死ななかった。

 代わりに顔が醜く爛れ、生きているだけで化け物扱いされる風貌になって――それでも『私』は夫を信じていた。


 しかし最後には唐絵の皿をなくした罪を着せられ、罪を着せた夫はお前が悪いのだと罵りながら愛人のもとへと去っていく。

 愛人は夫の上司の妾だった。上司も妾を疎んでいたそうなので、厄介払いとばかりに手放したらしい。


 最後には……きっと、本当ならもう命はなくて覚えているはずがないのだけれど、なぜか自害した自分が井戸に捨てられるところまで見えていた。

 死んだ後に亡霊になっていた期間でもあったのかなと勘繰りたくなるくらいだ。


 これはなにも知らない幼い頃から十九歳になるまで見続けた夢で、今日雨に打たれながら山中で目覚める直前に見たものを加えると九回目になる。

 いつも見るたび少しずつ場面が進み、今回で憤死し事切れ捨てられるところまですべて見てしまった。


 その瞬間に思い出したのが――私が前世で伊右衛門いえもん様の妻となったいわ、周囲からはお岩さんと呼ばれていた女性だった記憶だ。


 行き遅れた私に婿養子として籍を入れてくれたのが伊右衛門様だった。

 優しい人。働き者な人。人付き合いの上手い人。

 良い人の条件が揃っていたけれど、伊右衛門様はその印象を活かして私に気づかれないよう自分の思うように立ち回っていたわけだ。


 それなのに優しい笑顔が頭の中に浮かんできて辛くなる。


「伊右衛門……様……」


 酷い夢だった。

 それでもただの夢だわ。


 そう思いたかったけれど、現実感を伴う感情と記憶がそれを否定する。

 私はこの世界で男爵家のロクフェリア・タミヤンフォードとして生まれた記憶と、前世のお岩としての記憶が混ざり合うのを感じて頭を抱えた。


 ああ、こんな日に思い出したくなかった。


 なにせ私は、この世界でも夫――イエモンテス・タミヤンフォードに裏切られ、人里離れた山に置き去りにされたところなんだから。

 何日も彷徨い歩いて、今ではどこにいるのかさえわからない。

 わかるのは野生動物が縦横無尽に走り回り、崖や流れの急な川も多い危険な場所だということだけ。しかも最近になって現れるようになった魔獣という恐ろしいモンスターも存在している。


 それらの脅威から逃げ隠れしながら移動していたけれど、食べるものも満足に得られなくてそろそろ限界だ。

 天候も悪くなり冷たい雨が私の命を蝕んでいく。

 様々な生き物だけでなく自然までもが私を死に追い立てているようだった。


 木にもたれかかって眠れても体力は回復せず、むしろ疲弊していた。

 寝るという行為も思っていたより体力を使うことだったらしい。


 まあ、これがもしふかふかのベッドだったなら数日飲まず食わずでも休養をとれたかもしれないけれど。

 現実は降り積もった木の葉の上で、固いし土の匂いが濃いし虫もいる。

 安眠できるはずがない。


「イエモンテス様……」


 夫は生まれた時から顔に醜いアザのある私を妻にしてくれた。

 沢山褒めてくれたし、色んなところへ連れて行ってくれたし、プレゼントもくれた。そのおかげで自己肯定感の低かった私は自信を持つことができたの。


 とても良い人だと思っていたのに、彼はうちの男爵の爵位が欲しいだけだった。


 そしていつの間にか愛人を作り、私が邪魔になったわけだ。

 ただ度胸のある人ではなかったから、私を直接殺す勇気がなくて『身ひとつで放っておけば死ぬ場所』に放り出すことにしたらしい。

 そういえば狩りの予定はすべて断っていたし、魔獣が出たと聞いたら随分と遠回りしたりしていた。


 私はというと、その瞬間が訪れるまで無邪気にピクニックだという話を信じながら馬車に揺られていた。

 少し遠出するけれど綺麗な場所だよ、という言葉と共に。

 本当に馬鹿だったと思う。


(今頃私のことは山で遭難したとか言って、事故死扱いされてるんでしょうね……)


 ため息をつきながら、けれど死にたくないので歩き始める。

 しかし死にたくはないけど生きる気力はとうの昔になくなっていた。

 ここで生き残ったところでなんになるのだろう。必死に故郷へ帰ってもイエモンテス様はまた別の方法で私を殺そうとするに違いないし、だからといって他の土地で生活基盤を整えられる気もしない。


 絶望だけを燃料に絶望に向かって歩いている、そんな気分だった。


 目標も目的もなく彷徨い続け、雨を避けるために洞窟の中へと足を踏み入れる。

 不思議なものを見たのはその時だ。


「あれは一体……?」


 洞窟の奥が仄かに光っていた。


 ……目がおかしくなったのでなければ、光るキノコでもあるのかしら。

 その昔、お屋敷の書庫で読んだ図鑑に光るキノコのことが載っていたことを思い出した。普通ならあそこまで光量があるとは思えないけれど、湿気のある洞窟内で不意に思い出したのはそのキノコだ。


 私の人生はもう長くはないかもしれない。

 なら最後に美しい光景を見ておきたい、そんな一心で足を進める。


 すると洞窟の奥に剣が一本刺さっていた。

 その剣が仄かに発光している。

 そしてどういう細工がされているのか、がっしりとした岩に刀身が吸い込まれるようにして刺さっていた。デザインは無骨だけれど柄に施された繊細な彫刻と、見たこともない複雑な紋章の影響なのか神々しく思える。


「なんて不思議な剣なのかしら」


 周りは苔むしているのに剣には汚れひとつない。

 刀身には周囲の景色が映るほどで、まるでついさっき磨き上げてからここに安置したばかりみたいだ。


 しかし洞窟内に獣の足跡すらないくらいまったく荒れていない様子を見るに、ここに足を踏み入れた者は私が久しぶりのようだった。

 岩の苔も一片たりとも剥がれていないのだから相当だ。


 不思議に思いながら近づくと――


『我はラグナロック・イド。お前が次の……』

「わあっ!?」


 ――剣が突然話し始めたので、ひっくり返りそうになるくらい驚いた。

 それでもなんとか変なポーズで踏み止まっていると、剣がため息のようなものをついた。剣が、である。

 無機物にため息をつかれたのは人生で初めてだった。


『次の所有者は大分騒がしいらしい』

「しょ、所有者?」

『自覚すらないのか。まずは我に触れてみよ、お前の無意識下の想いを汲み取り、お前に相応しい姿となってやろう』


 これはまだ夢でも見ているんだろうか。

 もし夢なら相当変な夢だ。悪夢とは言い難いけれど、現実での私は落ち葉まみれになりながら狼にでも齧られているのかもしれない。


 しかしずっとひとりで山を彷徨っていたため、話し相手がいることが嬉しくて堪らず、私は素直に剣の柄を握る。

 どんな相手だとしても、声を発した先から返事があるとホッとするのだ。

 それが夢や幻覚だったとしても。


 すると眩い光が視界を覆った。

 これも幻覚の一種か、と思ったけれど……それにしたって眩しい。

 しかも握ったはずの柄がぐねぐねと動き、手の中で形を変えていく感触さえリアルに伝わってくる。ちょっと気持ち悪くて手を離したくなったけれど気合いで堪えた。


 その光がおさまり――ようやく目が慣れた頃に視線を下ろすと、両手に剣とは異なるものが握られていてギョッとした。

 ここには絶対にあるはずのないものだった。


「け、剣さん、これは一体……」

『剣ではない。今は見た目も含めてな。我はラグナロック・イド、ユグドラシルより与えられし使命のもとに九つの世界を守護する聖なる武器だ』


 あまりにも寝耳に水だったけれど、ユグドラシルの伝説は聞いたことがある。たしか古い逸話を集めた本に載っていたはずだ。

 この世界は九つに分かれており、それらを繋ぐ巨大な樹の名前がユグドラシルという。この聖なる武器を名乗る剣さんはユグドラシルから『世界の脅威を取り除け』という使命を課されてここにいるらしい。


 そこまで考えて、そうだもう剣じゃないんだ、と思い出して視線を向ける。


「では、その、イドさんとお呼びしてもいいですか?」

『我の名を略すとは罰当たりな!』

「ではラグイドさんとか……」

『結局略しているではないか!』


 そうして怒っていたものの、べつに心から怒ったり侮蔑しているわけではないとなんとなく伝わってきた。

 続けて不服ながら仕方がないという声音になる。


『……まあ、イドさんでよい。兎にも角にも我は救世主たる聖女が持つ武器だ。お前は選ばれたのだ、ロクフェリアよ』


 いつの間にか私の名前を知っていた剣、もといイドさんはそう言う。

 どうやら私の無意識下にある想いを読み取った際に記憶も読んだらしい。さっきイドさんの感情が仄かにわかったのもその繋がりがあるからだろうか。


 ――でも、イドさんは見たわけだ。

 あの凄惨で屈辱的な光景と、私の口惜しい気持ちも含めたすべてを。

 そして生まれ変わった先でも同じものを味わったということも。


 だからこそなのかもしれない。

 顔は見えないというのに、イドさんはニヤリと笑ったような気配をさせて続けた。


『聖女の使命は魔獣を倒し浄化すること。しかしそれ以外は自由だ。……お前はその自由でなにをしたい?』


     ***


 その日、タミヤンフォード領の屋敷では盛大な結婚式が開かれていた。


 白いスーツに身を包んだイエモンテス様が見える。

 スーツは私との結婚式で着たものと同じだ。


 その隣にいるのは薄桃色の美しい髪を持つグラマラスな美女だった。顔つきも体つきも黒髪に貧相な私とは正反対だ。

 まったく見覚えのない女性で、私は彼女がどうやってイエモンテス様と知り合ったのかすら知らない。

 ……それくらい秘密裏に会って愛を育んでいたということだ。


 長年不倫をして夫を裏切っていたロクフェリア夫人が山で遭難し、もう亡くなっているだろうという判断が下され離婚が成立。

 その後、ずっと苦しんでいたイエモンテス男爵を影ながら支え続けた女性と今度こそ幸せな結婚をすることになった――という筋書きらしい。


 秘密裏に故郷へと帰ってきて噂話を聞いた時は思わず笑ってしまった。

 嘘をつくにしてももう少しまともなストーリーを考えたほうが良かったんじゃないだろうか。

 でも昔イエモンテス様が自作した冒険小説を見せてもらった時も、その、小説とすら呼べないほど個性のある代物だったので、それを思い返すとなんとなく納得できた。


「さあ……行きましょうか、イドさん」

『うむ』


 私はイドさんを手にしたことで向上した身体能力を活かし、屋敷の壁を軽々と飛び越える。

 そして参列者の向こうで幸せそうに笑っているイエモンテス様と、見たこともない女性に向かって手に持ったものを投げつけた。


 イドさんが姿を変えたのは、九枚のお皿。

 前世で私を苦しめ続けたもの。

 しかし今世では頼もしい武器であり、大切な仲間だった。


 白い皿には剣の時にもあった紋章が浮かび上がり、ふちは金色に輝いている。

 持つとずっしりしているのに、なぜかまったく重いとは思わない。

 この九枚はばらばらに見えてすべてイドさんの意思があるらしく、離れた位置にあってもそれぞれで喋れるという不思議な代物だ。


 道中で何匹もの魔獣を狩り、今では使い方も熟知している。

 これは食器ではなく紛れもない武器で、ちょっとやそっとでは壊れないし――刃物のような切れ味も持っていた。

 鋭い刃よりも滑らかに煌めく皿はイエモンテス様の足を腱ごと切り裂き、その場から逃げ出すことを封じた。


 突然の流血沙汰に悲鳴が上がる中、私はふたりの前へと降り立つ。


 するとまるで亡霊でも見たような顔を向けられた。

 いや、きっとイエモンテス様にとっては亡霊が現れたも同然なんだろう。なにせひとりでは到底帰ってこられないような場所に置き去りにしたんだから。

 そんな場所から五体満足な状態で戻ってきたならこんな顔をしたくもなるのだと思う。


「ロ、ロクフェリア……? なぜここに」

「あなたに山へと捨てられ、ここまで帰って参りました。イエモンテス様」

「う……嘘を言うな! 魔獣の跋扈する魔の山だぞ、女がたったひとりで帰ってこれるものか! さては死霊モンスターに身を堕としたな……!?」

「いいえ、ここにいるのは紛れもなく人間のロクフェリア・タミヤンフォードです」


 私の言葉に周囲のざわめきが別の意味を孕み始める。


 騙されたこと、浮気のこと、野生動物と魔獣の蔓延る山に捨てられたこと。

 そして死にそうになりながら彷徨い歩いた苦しみと、ある洞窟で不思議な剣を見つけたこと。

 その剣は聖なる武器を名乗り、私を聖女と認めたこと。

 それらを順に説明してあげると、人々の間から息を呑む音が聞こえてきた。


 ――なぜ逃げずに私の話を聞いてくれるんだろう、と不意に疑問に思う。


 少しでもイエモンテス様の悪行を知ってもらいたくて説明したけれど、まったく信じてもらえず嗤われる可能性も考えていた。それでも全部話しきってやるという覚悟もあった。

 それなのにみんなしっかりと耳を傾けてくれているし、誰もイエモンテス様の擁護をしようとしない。


 私の疑問はイドさんにも伝わったらしく、手に持った皿から噛み殺したような笑い声がした。ちょっと聖なる武器とは思えないくらい邪悪だ。


『我の聖なるオーラを目にして自然と理解したのだろう。これこそが聖なる武器であり、お前が世界を守る聖女であるということを』


 イドさんが言葉を発した瞬間にどよめきが起こる。


「さ、皿が喋った……!」

「あれって伝説の聖なる武器、ラグナロック・イドなんじゃないか? 言い伝えにあった通りの紋章が浮かび上がっているぞ!」

「あんなにも輝いて見える皿を見たのは初めてよ……!」


 イドさんの予想は当たっていたらしい。

 しかしその理解は個人差があるようで、イエモンテス様は震えながら警備兵を呼び寄せると私を捕らえるように命じた。

 あれは頭のおかしい侵入者だ、という言葉を添えて。


「は、早くやれ! 殺してしまってもいい!」


 ……イエモンテス様から粗末にされると、まだ少しだけ悲しい。

 それに前は置き去りにされただけだったけれど、今回は目の前で明確に言葉にされた。この殺意を私は受け止められる。ただ、受け止めた心は確実に痛んだ。


 でも今の私にはやりたいことがある。

 イドさんがそんな私を後押しするように言った。


『お前はもう自由だ。このような小物の言うことなど気にするな』

「ふふ、自由でも気にしちゃいますよ。でも……ありがとうございます。私は負ける気なんてありません」


 一歩前へと出る。

 怯えながら職務を全うしようとした警備兵たちの装備品だけを綺麗に切り裂き、武器を真っ二つにし、私はイドさんを片手にイエモンテス様たちに近寄った。


 ついに女性が悲鳴を上げてイエモンテス様を見捨てて走り出したけれど、そのスカートにイドさんを投げつけて地面に縫いつける。

 無様に転んだ女性は「わ、私のために殺したって言ったくせに! 嘘つき!」とイエモンテス様を罵った。彼女もしっかりと共犯だったようだ。


 そんなふたりを糾弾したのは私……ではなく、結婚式の参列者として呼ばれていた人々だった。


「この浮気者男爵! しかも自分の罪を聖女に被せやがって!」

「私の人生最大の過ちはあなたたちを祝いにここまで来たことよ!」

「母親の腹からやり直せ! そして自分を生むことになった母親に詫びろ!」


 ――なかなかに辛辣だ。

 私が言ってやりたかったことの倍は凄い。


 そんな勢いの言葉が数百人分放たれている。

 顔を青くしたふたりは『聖女』と『聖なる武器』がこの国にとって……この世界にとってどれだけ大切なものなのか思い知ったようだった。

 数えきれないほどの人たちが私のことを信じてくれる頼もしさに後押しされつつ、私刑にされる前に私はイドさんを持ってふたりの前へと進み出る。


 イエモンテス様は怯えた声を出した。

 かつて私に甘い言葉を囁き、愛を語ってくれた声と同じものとは思えない。

 過去の思い出を反芻しながら私は彼へと語りかける。


「一度は愛した人です。だから、この皿を十枚数え終えたら赦しましょう」

「そ、そ、そんなことでいいのか!?」

「ええ。やりますか?」

「やる! やるとも、ほら貸してくれ!」


 イエモンテス様は血の気が引いた白い手を伸ばすとイドさんを受け取り、いちまい、にまい、と数え始めた。手どころか全身震えているものの、必死なのか数え方は丁寧だ。

 しかしすぐに表情が曇る。

 まるで雨の中に置き去りにされた犬のようだ。


「い、1枚足りない! 最初から1枚足りないじゃないか!」

「あら、おかしいですね。――皆さま、初めは十枚ありましたよね?」


 振り返って問うと、その場にいた全員が深く頷いた。

 そしてもう一度よく数えてみろ、とイエモンテス様に迫る。


 イエモンテス様は女性も引き込んで涙目になりながら何度も数えた。何度も何度も数えた。途中で何回かさっきと同じように一枚足りないことを訴えたけれど、誰も同意してくれない。

 そして初めから九枚しかない皿の十枚目を数えることは終ぞできず、ついには涙や鼻水を垂れ流したまま泡を吹いて倒れてしまった。


 ……ラグナロック・イドは聖女以外が持つと生命力を奪い、昏倒させるからだ。


 これは聖女以外に悪用されないようにという防衛機能であり、ひと気のない場所で保管されていた理由でもある。

 周りに迷惑をかけないように、遥か昔に存在した先代の聖女があそこに安置したそうだ。ここまでの道中でイドさんが語ってくれた。


 この機能を攻撃に使用する発想はなかったけれど、土壇場になって良い使い方をできたと思う。


 イエモンテス様たちを覗き込むとうわ言のように「一枚足りない……」と繰り返していたので死んではいないようだけれど、もしかすると寿命は削れてしまったかもしれない。

 そんな彼らを憐れむ気持ちは、もう私の中には残っていなかった。


「聖女様!」


 そこへ子供が駆け寄ってきて私に笑顔を向ける。

 彼も参列者のひとりだったらしい。


「最近、魔獣の数が減ったと聞きました! 仕入れルートを塞がれていた父の商団もそのおかげで持ち直したんです!」

「うちも厄介な魔獣が土地を汚染していたけれど、少し前に倒されたんです。あれは聖女様のおかげだったのでは……!?」

「私の村の井戸に住み着いた魔獣を討ってくれた人も聖女様そっくりでした!」


 ありがとうございます、と様々なところから声が上がった。

 まさかここまで感謝されるとは思っていなかったので驚いてしまう。だって一度も名乗っていなかったのに。

 復讐のために先を急いでいたけれど、使命というだけでなく見捨てられなくて助けてきた人々。それが巡り巡って今に繋がっていた。


 私は鼻の奥がツンとするのを感じながら言う。


「皆さま……私はこれからも魔獣を倒し続けます。そこでお願いをひとつ聞いていただけるでしょうか」

「もちろんです! そうだ、古今東西の美味しいものを取り寄せましょうか!?」

「聖女様のためなら新しいお屋敷も建てますよ、その男が住んでいたところへ戻るのはお嫌でしょう?」

「癒しを得られる花畑も作りましょう!」


 随分と贅沢なお願い事をすると思われているみたいだ。

 でも大袈裟になるのも私を慕ってくれているからこそかもしれない。


 私はイドさんを胸に抱いて笑みを浮かべる。


「ロクフェリア・タミヤンフォードは夫に捨てられた時に死にました。私は聖女として新しく生き直します。――なので、ぜひ私のことはお岩と呼んでください」

「お岩……?」

「ラグナロック・イドは岩に刺さっていました。私はイドさんを支える岩のようでありたい、そんな気持ちを籠めています」


 半分嘘だけれど、籠めた想いに偽りはない。

 イドさんは私を光ある方向へ導いてくれた。そんなイドさんを支え、共に使命を全うしたいという目標が今の私にはある。山を彷徨っていた時にはなかったものだ。


 それが伝わったのかイドさんが小さく咳払いをした。聖なる武器も照れるらしい。

 人々も理解してくれ、これからは聖女お岩として慕ってくれるようだった。前半部分はまだちょっと気恥しいのだけれど、役職名のようなものとして受け入れよう。


 こうして私は田宮岩からロクフェリアへ、そして聖女お岩へと生まれ変わった。


     ***


 新しい生活は初めてのことばかりで忙しない日々が続いたけれど、魔獣を倒し浄化していくたび人々の笑顔が増えていくことが嬉しかった。


 これは前世でも感じられなかった気持ちだ。

 前世では常に申し訳なく思いながら生きていた気がする。

 むしろ自分が死んだほうが世のため人のためになるのではないかと思っていたくらいだ。薬を盛られて顔が醜くなってからは更にそう思うことが増えていた。


 しかし今は過去は過去と思えるほどの幸せを感じている。


 慕ってくれる人もどんどん増え、今では王の計らいで立派な家や世話人も与えられた。ちょっと身に余るものだとは思うけれど、イドさん曰く『当たり前の権利は当たり前のように受け取るのが礼儀というものだ』らしい。

 慣れないものの受け入れられるように頑張ろう。


 ちなみにイドさんは本人の希望で極上のふかふかクッションを貰っていた。

 私が持ち歩いていない時はその上で悠々と寛いでいる。

 ちょっとだけ不思議な光景だったけれど、今では見慣れてしまった。人間の慣れる能力は凄いものだと常々思う。


 ――あれから、イエモンテス様と女性は聖女を死に至らしめようとした罪で投獄された。


 もちろん私が聖女でなくても罪には問われたので、その罪に上乗せされた形だ。

 相手の女性は伯爵家の娘だったらしく抗議があったけれど、私がイドさんと共に出ていくと唸ってなにも言わなくなった。

 イエモンテス様の度胸のなさと良い勝負だ。彼女のことはよく知らないし知るつもりもないけれど、父親と似ているから惹かれたのかもしれない。


 生命力はやっぱり吸われていたようで、ふたりとも十歳は老け込んで見えた。

 そして伝え聞いたところによると、今も悪夢を見ては「一枚足りない!」と飛び起きているそうだ。

 イドさんが裏でなにかしたんじゃないかと思うくらい効果てきめんだった。なによりの罰なんじゃないだろうか。


 ふたりがこれからどんな人生を歩むのかはわからないけれど、罪を償い終えてもこの『罰』は何度突き返そうが死ぬまで寄り添ってくるものだと思う。

 そう考えると私は――やっぱり、同情する気にはなれなかった。

 むしろ逆に「同情する気になれなくてよかったな」と安堵している。

 あとは私と同じように苦しんでくれればそれでいい。


 そんなある日、夢を見た。

 九回見た辛い夢ではなく、今世の楽しい夢だ。


 ベッドの中で幸せな気分で目覚め、身を起こして小さく笑うとクッションの上にいたイドさんが『なんだ気色の悪い』と軽口を言った。


「イドさん、九は不完全な数字だと言われているって知ってますか?」

『そういう話が伝わる地域があることも含めて知っている』


 聖なる武器だからな、とイドさんは鼻で笑う。

 長く一緒にいてイドさんが見栄っ張りで可愛らしい性格をしていることもわかってきた。口にすると怒られるので言わないけれど、もう伝わってしまっているんじゃないかなとも思う。


 そんなイドさんは私の一番の理解者で、大切な仲間だ。


 夢の中では私が救ってきた人々だけでなくイドさんもいて、うっすらとしか覚えていないけれど人間のような姿をしていたような気がする。

 パーティーでマカロンを美味しそうに食べていた。

 そんなイドさんと少し雑談して、笑い合う。楽しい夢だった。


 髪色や目の色は覚えていない。

 性別は体格から見ると男性に近かった気がする。普段聞こえる声も男性のものだからかもしれない。

 もちろん、武器だから実際には性別なんてない可能性もあるけど。


 夢の中で勝手に人間の姿にして申し訳なかったものの、特定の姿を持たないイドさんなら現実でもああして人間の姿をしていてもおかしくはない。

 いつか実現できたなら、夢のように楽しくマカロンを食べてお喋りしてみたかった。そこでもイドさんは見栄っ張りなことを言っているかもしれないけれど、それも含めて。


 ああ、幸せな夢だった。

 その夢は現実と地続きになっている気がする。


「夢を見たんです。幸せな今世の夢」


 九回続いた不完全な悪夢。

 今朝の夢が、その先にある十回目の『完全』な夢だったらいいな。

 そう口にしようとした瞬間、イドさんが穏やかな声で言った。


『それが十回目の夢だろう。……今度はシュークリームが食べたい』

「へ?」


 ――あれって本当にイドさんだったんですか、とか。

 ――じつは甘党だったんですか、とか。


 色々と言いたいことはできたものの、それを口にするより先に私は艶やかな九枚の皿に触れた。

 そう、九枚しかない。一枚足りない。

 私はイドさんを支える岩の台になりたいと言ったけれど、これからもっと頑張れば最後の一枚にもなれるだろうか。


 いちまい、にまい、と数えられ、イドさんと一緒に最後の一枚として数え込まれる日がくるといい。

 そう思いながら――


「ええ、任せてください」


 ――この幸せな夢の中で、心から笑った。

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