2‐1.気になること
「はぁー……」
最後のお客様を送り出し、僕は安堵の息を吐いた。コレクションルームの片隅に置かれた椅子へ、崩れるように座り込む。
「お疲れ様でございました、イレールさん」
振り返ると、ドレスアップしたリザさんが、こちらへ近付いてきていた。普段よりもより強調された巨乳が、歩く度にたゆんたゆんと揺れる。
「あぁ、お疲れ様です、リザさん」
「エドゥアール先生は、どちらへ行かれたのですか?」
「兎愛好倶楽部の方々と出掛けてくるそうです。なんでも、僕の絵について語り合うとかなんとか」
まぁ、そうは言いつつ、どうせすぐに話題は飼っている兎の話に変わるんだろう。僕のことなど放っておいてさ。
取り敢えず、母さんに告げ口してやろう。少々誇張して。
「リザさん。本日は、僕の絵を沢山の方にお披露目して頂き、ありがとうございました」
「いいえ、わたくしは何も。父も、ただイレールさんの作品を自慢したくて、お客様をお呼びしただけですわ。お気になさらず。寧ろ、怒ってよろしいのですよ? お披露目会をするからこいなどと、いきなり呼び付けるような真似をして。しかも、いらっしゃった方お一人お一人に、イレールさんの才能を語るだけでなく、わたくしの話までして」
「リザさんの話、ですか?」
「えぇ。『この女神のモデルは、実は私の娘が務めておりまして』と、聞かれてもいないのにわざわざ……もうわたくし、恥ずかしくて仕方がありませんでした」
唇を尖らせつつ、リザさんは頬へ手を当てた。
「あはは。それだけ気に入って貰えたということでしょうか? もしそうなら、嬉しいです」
「気に入ったどころではございませんわ。心酔しております。あちらをご覧下さい」
リザさんの視線の先では、パウル子爵とペーターさんが、『夜の女神』と『春の女神』の前に佇んでいる。二人揃って顎に手を添えながら、
「ふむ……」
「ふむーぅ」
と唸っていた。
「イレールさんの作品が我が家へやってきてからというものの、暇さえあればああやって眺めていますの。きっとしばらくは、コレクションルームに飾られるでしょうね。そしてそれだけ、わたくしの恥も積み重なっていくのです」
きゅ、と寄せられた眉が、すぐに垂れ下がる。
「あの、誤解がないよう言っておきますが、わたくしは決して、絵のモデル自体が嫌だったわけではございませんよ? とても素晴らしい作品に関われて、大変誇らしく思います。ただ、父の言動が、あれなだけでして……」
「あ、はい。大丈夫です。なんとなく分かります」
「本当の本当に、ですわ。嘘ではございません。加えて……『夜の女神』で、あのような姿を、その、晒した件に関しましても……後悔は、しておりませんので」
「あ……は、はい」
お互い、すっと目を反らす。リザさんは、もじもじと体を捩り、頬を赤らめている。
非常に可愛らしいが、しかし、一つだけ残念なことが。
リザさんのおっしゃる『あのような姿』というものを、僕はきちんと覚えていないのですよ。
いや、本当ね。時間が経てば経つほど惜しくて仕方がない。何故あの時僕は、意識を吹っ飛ばしてしまったのか。
だって、リザさんがこんなに恥ずかしがる姿なんだよ? それをモデルに描いたらしい『夜の女神』は、そりゃあもういい体でさ。正に女神と言わんばかりじゃないですか。
そんな完璧なプロポーションの裸体を、間違いなく目視した筈なのに……なのに僕は、何故……っ! 一体何の為に画家を目指しているというんだ…っ!
思わず握った拳を、音もなく膝に振り落とした、その時。
「あら、イレールさん。こちらにいらっしゃったの」
ど迫力な爆乳――もとい、リザさんのお母様が、ゆっさゆっさといらっしゃった。
僕は立ち上がり、頭を下げる。
「子爵夫人。本日は、ありがとうございました」
「いえいえ。こちらこそ、ありがとうね。あなたのお蔭で、お友達とのお茶会がそりゃあもう楽しくて楽しくて」
おほほほほ、と口に手を当て、あくどいと言えなくもない顔で微笑んだ。
「パウルもペーターも、毎日楽しそうよ。コレクションルームに籠っては、ずーっと二人で唸っているの。ふーむふーむ言ってね。可愛いけれど、でも、放っておかれる身としては、ちょっとつまらないわ」
「それは、えーと、すいません?」
「いいのいいの。その分、パウルには色々とやって貰う約束だから」
一体何をさせるつもりなんだろう。聞いてもいないのに、なんだがドキドキします。
「リザのことも、お世話になったわね」
「いえ。お世話になったのは僕の方です。最優秀賞を頂けたのも、ひとえにリザさんがモデルを務めて下さったお陰ですから。勿論、パウル子爵や子爵夫人、ペーターさんにも、大変お世話になりました。ありがとうございます」
「そう言って貰えて嬉しいわ。これからも、娘共々よろしくね」
ところで、とリザさんのお母様は、
「わたくしね、ずっと気になっていたことがあるの」
「気になっていたこと、ですか?」
「そう。ほら、あちらの『夜の女神』という作品があるじゃない? どうやら半日で描き上げたらしい、という話を小耳に挟んだのだけれど、本当なのイレールさん?」
「あぁ。えぇ、本当です」
まぁ、中々信じて貰えないんですけどね。
「凄いわねぇ。どうしたらそんなに早く描けるのかしら。ただの落書きならまだしも、最優秀賞を獲得するような傑作をだなんて。改めて考えても、全く想像がつかないわ」
「そうですよね。自分でも、正直驚いています。あれだけのものを、よく描けたなって」
「因みにその時、リザも一緒だったのよね? パウルから、そのような連絡があったと聞いているわ」
「えぇ。リザさんには、『夜の女神』でもモデルを務めて頂いています」
「あら、そうなの。ふぅん」
子爵夫人は、意味ありげに頷く。はて、と内心首を傾げていると、何故かリザさんが、はっと肩を跳ねさせる。
「お、お母様、まさか……」
「うふふ」
焦りの色を見せるリザさんに、僕は一層首を捻った。
すると、口を開こうとした娘を押しのけ、子爵夫人は、突き出た爆乳ごと、ずいっと僕の顔を覗き込んでくる。
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