3‐4.証明



「フェルディナンさん。僕は、この絵を確かに半日で描きました。それはあなたもご存じかと思います」

「あ、あぁ、そうだな」

「そこで、お願いがあります。この絵が、昨日僕が学校を出てから、今日美術アカデミーのサロンへくるまでの間に描かれたものだと、証明して頂きたいんです。出来ますか?」



 フェルディナンさんは、リザさんからカンヴァスを受け取った。画面を様々な角度から眺め、裏側まできちんと確認する。

 そうして、つと顔を上げた。



「あぁ、出来る。この作品は、間違いなく君が描き上げたものだ。それも、昨日の夕暮れから、今日に掛けての半日ほどで」



 途端、ドミニク男爵の唇が、小さく引き攣る。




「馬鹿な……あぁ、そうか。お前はこの状況で尚、嘘を重ねるつもりなのだな」

「嘘ではありません。きちんとした証拠があります」

「ほぉ、証拠ねぇ? だったら今すぐ見せてみろ。そんなものが本当にあるのならば」

「分かりました。では、どうぞご覧下さい」



 フェルディナンさんは、『夜の女神』を掲げた。



「……はっ。それの何が証拠になると言うのだ。寧ろこのクオリティの高さこそが、半日そこらで描けるわけがないという証拠だろう」

「いいえ。この絵は、確かにイレール君が半日で描きました」

「だから、そう言い張るのならば証拠を見せろ、証拠をっ」

「ではその前に、一つあなたに質問をします。イレール君は、一体どこで、この作品を描いたと思いますか?」

「はぁ?」

「イレール君は昨日、パウル子爵家へは向かっていません。自宅にも戻っていません。ならば彼は、今までどこにいたのでしょう? 一体どこで、絵を描いたのでしょう?」

「ふん、どうせエドゥアール君のアトリエにでもいたのだろう」


「いいえ、違います。私のアトリエです」


「……何?」

「彼は、私のアトリエにいました。帰り道で襲われる可能性を考えて、念の為そちらへ連れていったのです。イレール君には、そこで一から描いて貰いました。つまりこの作品は、私のアトリエにあった画材を使って描かれている、というわけです」



 フェルディナンさんは、おもむろにカンヴァスをひっくり返した。




 裏側に、フェルディナン、と刻印が押されている。




「私の使う画材は全て特注だと、ご存じですよね? このカンヴァスは、間違いなく私のアトリエにあったものです。そして、彼が私のアトリエへ足を踏み入れたのは、昨日の放課後が初めて。つまりイレール君は、昨日から今日に掛けてのたった半日で、こちらの作品を見事描き切ったことになる」



 その言葉に、どよめきが走る。



 ドミニク男爵は、冷や汗を垂らしながらおののいた。




「これで彼の主張が事実だと、証明されましたね?」

「……っ、いやっ。確かにその絵は、お前のアトリエで描かれたものなのかもしれない。しかし、昨日の今日で描かれたかどうかは、まだ証明されていない。昨日初めてアトリエを訪れたと言うが、果たしてそれは本当か? もしかしたら、別の日に――」

「あり得ません。何故なら私は、以前からあなたに、平民とは仲良くするなと厳命されていました。よって平民である彼とは、頻繁にアトリエへ招くような仲ではありません」

「な、ならば、こいつが勝手にアトリエへ入ったということは――」

「私のアトリエは、頑丈な鍵が付いています。これは、あなたが用意してくれたものです。過去一度たりとも、外部の人間に破られたことはありません。窓などが割られて侵入されたことも、ありません。ご存じな筈ですが」

「で、ではっ。こいつは、お前が描いた絵を盗んだんだっ。お前の描き途中か、描き終えた絵を、あたかも自分が描いたかのように見せたん――」

「ドミニク男爵」



 重く、感情を押し殺した声が、男爵の口をさえぎる。



「美術アカデミーの会員ともあろうお方が、これが元息子の絵かどうかも分からないのですか」



 髪が逆立つほどの気迫に、男爵だけでなく、僕達も言葉を失った。




 沈黙が流れ、男爵の形相が、みるみる内に変わっていく。体も震わせ、肩を怒らせた。



「っ、貴様ぁ……っ、人を、馬鹿にしおってぇっ!」



 歯ぎしりをするや、男爵は腕を振りかぶった。声を上げて、フェルディナンさんの顔面へ拳を向ける。



 フェルディナンさんは目を見開き、慌てて顔を庇おうとした。けれど、持っていたカンヴァスが邪魔で、腕を上げ切れていない。テオドールさんも動くが、伸ばした手は、あと一歩届かない。




 痛々しい音が、辺りへ響く――筈だった。



 男爵の腕が、不自然な位置で、止まる。




「それくらいにしたまえ」




 低く平坦な声が、男爵の手首を掴み止めていた。



 僕達の視線は、現れた人物へと集まる。




「……お父様」



 リザさんが、溜息混じりに呟く。



 すると、パウル子爵の視線が、一瞬リザさんに向けられた。だが、すぐさま切れ長な目は、子爵に腕を掴まれたドミニク男爵へと落とされる。




「ここは神聖なる美術アカデミーのサロンだ。そのように声を荒げ、ましてや暴力を振るうなど、感心しないな。ドミニク男爵」

「パ、パウル子爵……っ。た、大変、失礼致しました。しかし、これには、訳があるのです」

「そうか。では、その訳とやらは、別室でゆっくり聞くとしよう……私の娘へ息子をけしかけた件も合わせてな」



 男爵の顔色は、見る間に青くなる。弁解するも、パウル子爵は聞く耳を持たない。




「フェルディナン君。それに、使用人見習い君。君達もきたまえ。話を聞かせて貰いたい」

「……はい、かしこまりました」



 フェルディナンさんとテオドールさんは、覚悟を決めるかの如く、重々しく頷いた。

 そんなお二人に、パウル子爵は、僅かに眉を顰める。



「……安心したまえ。ただ話を聞くだけだ。悪いようにはしないと約束しよう」



 はっと息を飲み、フェルディナンさん達は子爵を見つめた。けれど子爵はそれ以上何も言わず、今度は僕とリザさんを振り返る。



「君達も、受付を済ませ次第、別室へ来るように。適当なスタッフに、パウルから第二会議室へ来るよう指示された、と伝えれば、案内して貰えるだろう」

「は、はい。分かりました」



 うむ、と頷くや、パウル子爵は、ドミニク男爵をサロンの奥へと引きずっていった。その後を、フェルディナンさんとテオドールさんが追う。



 去り際に、フェルディナンさんは僕へカンヴァスを返すと、胸元に手を当てた。じっとこちらを見つめ、深く頭を下げる。背後では、テオドールさんも丁寧に腰を折っていた。

 慌てて僕も下げ返す。そうして、彼らの背中を見送った。




 不意に、口から大きな息が零れ落ちる。リザさんも、大きな胸を撫で下ろす。



「一時は、どうなることかと思いましたわ……」

「ですねぇ……」



 顔を見合わせ、思わず苦笑してしまった。




「あ、あのー……」



 つと、受付の担当者が、僕を窺う。



「後ろもつかえていますので、受付を済ませるのならば、そろそろ……」

「あ、はい、そうですね。すいません」



 僕はすぐさまカウンターへ近寄った。記入欄へ少々書き足してから、


「お願いします」


 と二枚のカンヴァスを提出する。




 僕からカンヴァスを受け取った受付担当者は、記入内容と見比べてから、微笑んだ。



「はい。『夜の女神』と『春の女神』、確かにお預かりさせて頂きます」



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