3‐3.真相



「父は私に、君の絵を処分するよう指示した。だが、私はやらなかった。こんなに素晴らしい作品をこの世から消し去るなんて、どうしても出来なかったんだ。だから、代わりにテオドールが動いた。私の尻拭いをするよう、あらかじめ父に言われていたらしい。

 テオドールは、家の用事で早退すると見せ掛け、君の作品を美術準備室から持ち出した。そうして、自室の屋根裏へと隠したんだ。父には、処分したと嘘の報告をして」



 淡々とした口調に反し、フェルディナンさんの顔は、苦渋に満ち溢れていた。



「更に父は、君が新たな作品を提出出来ないよう、襲撃しろとも命じていた。パウル子爵家で絵を描いていると知っていたから、その帰り道で待ち伏せし、やってきた馬車を攻撃する予定だったらしい」



 一度目を伏せると、フェルディナンさんは、勢い良く僕を見る。



「だが、イレール君。どうか信じて欲しい。テオドールは、決して君を陥れる気などなかった。最初から襲うふりをして逃がすつもりだったし、作品も締切直前に君へ返すつもりだった。全ては、自分の失態ということにして。君だけでなく、私をも守る為に」

「嘘だっ! でたらめだっ! 私はそんな命令などしていないっ!」



 ドミニク男爵が、顔を真っ赤にして叫ぶ。しかし、テオドールさんに腕を捻られ、すぐさま苦痛の声へと変える。

 男爵と共にいた美術アカデミーの会員達は、慌てて助けようと動く。だが、テオドールさんの一睨みで、足を竦ませた。




「……質問をいいでしょうか?」

「勿論だとも」

「何故僕は、コンクールへの参加を妨害されたのでしょう? 恨まれるような覚えは、これといってないのですが」

「……あぁ、その通りだ。君自身には、なんの恨みもない。君はただ、巻き込まれただけだ」

「巻き込まれた、というと」


「父は、私とリザ嬢を結婚させたかったらしい」



 視界の端で、リザさんが手で口を覆う。



「父は、パウル子爵家に所蔵されているコレクションを狙っていた。

 リザ嬢が私の妻となれば、嫁荷よめにの一つとして持たされる可能性が高い。そうでなくとも、ゆくゆくは遺産として譲り受けるだろう。当然コレクションは、嫁入り先の男爵家で保管されることになる。それらを父は、全て売り払うつもりだった。場合によっては、リザ嬢に命じて、実家から絵を持ち出させようとも考えていた。子爵の親戚という立場も、最大限に利用する腹積もりらしい。

 全ては、自分達が見栄を張る資金を手に入れる為に。だから私に、リザ嬢を口説けと厳命した。

 だから、私は、リザ嬢。あなたを、執拗に追い掛け回しました。そうして父の命令を実行しつつ、あなたに嫌われるよう仕向けたのです。こちらの勝手な都合で、今まで沢山のご迷惑を掛けたこと、ここにお詫び申し上げます」



 フェルディナンさんは、リザさんへ深く頭を下げた。テオドールさんも、ドミニク男爵を押さえたまま、頭を垂れる。




「フェルディナンッ! 貴様、こんな真似をしてただで済むと思うなよっ! 使用人見習いと結託して親を貶めようなど、なんて不義理な子供だっ! 育てて貰った恩を忘れたのかっ! 恥を知れっ!」

「……確かに、私のやっていることは、不義理でしょう。ここまで育てて頂いて、感謝もしています。ですが、だからと言って、あなたの命令に従わなければいけないわけではない。私は、あなたの人形ではない……この身も、心も、全て私だけのものだ。これ以上、何人たりとも自由にはさせないっ」



 まなじりを尖らせて、フェルディナンさんは、鋭い語気を男爵へ放つ。

 その足は、酷く震えていた。それでも、決して目を反らさない。確固たる決意が、灯っていた。




 男爵は、目を見開いて固まる。しばしフェルディナンさんを見つめ、つと、顔を歪めた。

 かと思えば、体から力を抜いて、笑う。



「そうか。お前の気持ちはよく分かった。ならば勝手にしろ。お前とは親子の縁を切る。金輪際、屋敷の門を潜れると思うな。分かったな」

「……っ」



 フェルディナンさんは、息を飲む。眉へきつく皺を寄せ、黙り込んだ。




 男爵は、テオドールさんの手を払う。乱れた服装を整えると。



「では、フェルディナン。貴様を、名誉棄損で訴える」



 そう言って、実の息子を指差した。




「ど……どういうことですか、父上」

「父と呼ぶな。お前はもう息子ではない。虚言を吐いて私の名誉を傷付けようとする、不届き者だ」

「虚言なんて……っ」

「虚言だろう。私がイレール君の絵を処分しろと命令した? はっ、そんな事実、一切ない。これにお前の尻拭いをしろと言った記憶も、イレール君を襲えと言った覚えも、リザ嬢を口説けと言った心当たりも、私には全くないな」

「この期に及んで、言い逃れをするおつもりですかっ」

「言い逃れ? 馬鹿を言うな。お前の妄想を、妄想だと指摘しているだけだ」

「妄想などではないっ。これは事実ですっ!」

「証拠は?」



 途端、フェルディナンさんは言い淀む。



 ドミニク男爵の口角が、持ち上がった。



「証明が出来ないのであれば、お前の主張は全て妄想となる」

「っ、ですが、証人はいくらでもいますっ。私やテオドール、他の使用人だって」

「私は、証拠はあるのかと言っているんだぞ。聞こえなかったのか? お前らの言葉に、一体どれだけの価値があるというんだ」



 鼻で笑う男爵を、フェルディナンさんは睨め付ける。

 けれど、その口からは何も出てこない。きつく噛み締めたまま、拳を戦慄わななかせた。




「さてと。話は終わりだ。さっさと消えろ。この神聖な場所に、盗人や妄言を吐く輩はふさわしくない。あぁ、そうだ。ついでだから、名誉棄損の他に、窃盗罪でも訴えておいてやろう。他にもいくつか罪状があるな。ふふ、まぁ、精々覚悟しておくんだな」



 血が繋がっているとは思えない表情で、男爵は嘲笑った。

 フェルディナンさんとテオドールさんは、眉と目を吊り上げる。今にも殴り掛かりそうな形相で、男爵を睨んだ。



 きっと僕も、似たような顔をしているだろう。




「……あの、すいません」



 顔面の筋肉を無理やり動かし、平静を装ってから、手を挙げた。



「ん? あぁ、すまんね、イレール君。元息子と元使用人見習いが、重ねて迷惑を掛けてしまって。さぁ、これは気にせず、受付を済ませたまえ」

「そうしたいのは山々なんですが、その前に、一つ、よろしいですか?」

「なんだね?」



 小首を傾げる男爵に、にっこりと、笑ってみせた。




「あなたを、名誉棄損で訴えます」




「……は?」



 一斉に、またざわめきが巻き起こる。



「あなたは、極めて公平性のない所見を述べ、これだけの人の前で、僕を嘘吐きな卑怯者だと糾弾しました。更には、コンクールへの参加も妨害してきたんです。僕に何の落ち度もなく、また事実しか答えていないにも関わらずに。これは立派な名誉棄損だと思うんですが、どうでしょうか、リザさん?」

「え、あっ、は、はいっ。その通りですわっ。あなたは、真実を嘘と決め付け、イレールさんを中傷しました。明らかにイレールさんの名誉を貶めておりますわっ」



 リザさんの言葉にも、男爵はぽかんと呆ける。



 だが、すぐさま失笑し、やれやれ、とばかりに首を横へ振った。




「その件については、もう終わっただろう。大体、どの辺りが名誉を貶めていると言うんだ。私はただ、あれほどの作品を半日で完成させられるわけがないと、極々一般論を述べたまでだ」

「一般論かはさておき、その後に、別人が描いたのだろう、とおっしゃいましたよね。わざわざ叔父のエドゥアールの名前を出して」

「私は別に、彼が代わりに描いたなどとは一言も言っていない」

「ですが先程の発言は、そういう風に捉えられるよう、言われています。現にこの場にいる皆さんは、そう思ったでしょう。ですので、僕と叔父、二人分の名誉棄損で、あなたを訴えます」

「はは、そうか。まぁ、君がそうしたいならば構わない。だが、果たして勝てるのかな? 裁判とはそう簡単なものではない。私も何度となく言っているが、証拠がなければお話にならないんだ。子供が遊びで関わっても、後悔するだけだぞ」

「分かっています。なので、僕が半日で絵を完成させたと、今から証明させて頂きます」



 ピクリ、とドミニク男爵の片眉が上がる。しかし口元は、未だ笑みを象っていた。



 僕も口角を持ち上げ、リザさんに預けていた『夜の女神』を、手で差す。




「まぁ、証明するのは、僕ではないんですが」




 そう言って、フェルディナンさんを振り返った。



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