7‐2.お礼



「こちらにいらしたのですか。探しましたわ」



 この場の空気を清浄していくかのような声。優雅な佇まい。

 そして、神が作り出したと言っても過言ではない美しい胸が、たゆんたゆんと揺れながら、僕達の元へ近付いてきた。



「あら。フェルディナンさんもいらしたのですね」

「やぁ、これはリザ嬢。こんにちは」



 フェルディナンさんは笑みを浮かべ、胸元へ手を当てた。会釈する彼に、美しい巨乳――もとい、リザさんも、貴族令嬢らしく一礼する。



 それから、フェルディナンさんに口を開けさせる間もなく、僕を振り返る。




「イレールさんも、こんにちは」

「え、あ、こ、こんにちは、リザさん」

「聞きましたわよ。先日の火事が起こった際の出来事を」



 途端、周りで聞き耳を立てていた学生から、どよめきが上がった。フェルディナンさんからも、なにやら嫌な雰囲気を感じる。少しだけ持ち上がった口角は、まるで更に僕を追い詰めるつもりであるかのようだ。僕は僕で、やましいことなどこれっぽっちもないが、先程のやり取りのお蔭で、少々身構えてしまう。



 そんな僕らの緊張など、全く気付いていないかの如く、リザさんは微笑んだ。



 そして。




「叔母を助けて頂き、誠にありがとうございます」



 深々と、頭を下げる。




「お……叔母、様、ですか?」

「えぇ。正確には、父の従姉妹ですので、従叔母いとこおばなのですが」



 リザさんは、口元へ手を当てた。



「叔母は、大変感謝されていました。浮浪者に襲われ、あわやと思った、正にその時。たまたま通り掛かったイレールさんが、助けて下さったのですもの。それだけでなく、兎愛好倶楽部の集会所で休憩もさせてくれ、更には帰りの馬車の手配まで請け負って頂いて。本当にありがたかったそうですわ。

 無事に帰宅した叔母は、イレールさんにどうにかお礼をしたいと思い、わたくしの父を頼りました。父ならば、エドゥアール先生の甥御さんを知っていると考えたからです。そうして父は今回の一件を知り、わたくしもまたイレールさんの善行を知ったと、そういうわけでございます。

 わたくし、とても感動しましたの。是非とも直接感謝を伝えたいと思い、こうしてあなたをお探ししたのですわ」



 語られる内容に、辺りの空気はどんどん変わっていった。緊張感も消え、なーんだ、とでも言わんばかりのざわめきが訪れる。




「なんと。そういうことだったのか」



 フェルディナンさんも、分かりやすく態度を変えた。



「か弱きご婦人を勇敢にも救い出しただなんて、流石はイレール君。実に紳士的だ。素晴らしい。なのに見当違いな物言いをしてしまい、すまなかったね」

「あ、いえ……」

「だが、君も酷い人だ。それならばそうと言ってくれれば良かったのに。己の武勇伝を自らの口で語るのは少々気恥ずかしいかもしれないが、しかし。君が少しの勇気を持って打ち明けてくれさえすれば、私もこれほど心苦しい発言をせずに済んだのだよ?

 まぁ、結果として、お互い学ぶ点が多々あったわけだし、ここは一つ、痛み分けとしておこうか」




 しておこうか、じゃねぇよ。



 てめぇ、なに人のせいにしてくれてんだ。言ってくれればって、僕は言っただろうが。それを聞かずに話を進めたのはお前だし、心苦しいどころか嬉々として的外れな推理を披露していた癖に。

 勝手に事実を改変するな。そもそも、なんで両成敗みたいな感じにしているんだよ。悪いのはどう考えてもお前だからな? 謝るのは、お前だけだからな?



 でも、それを言ったらまた面倒な事態になると分かっているので、曖昧に笑うに留める。

 絶対肯定なんかしないし、謝罪もしてやるもんか。




「あぁ、そうですわイレールさん。父も、是非イレールさんに直接お礼を伝えたいと申しておりました。つきましては、いくつか質問と、日程を決めさせて頂きたいので、お手数ですがお時間を少々よろしいでしょうか?」

「は、はい。大丈夫です」

「ありがとうございます。では、フェルディナンさん。申し訳ございませんが、イレールさんをしばしお借りしますわね」

「大丈夫ですよ。こちらの話はもう終わりましたからね。お気になさらず」

「ありがとうございます。それでは、失礼致します」



 一礼を披露するリザさんにつられ、僕も会釈をした。フェルディナンさんとテオドールさんに見送られ、貴族クラスと平民クラスの共有スペースであるカフェテリアへとやってくる。




「……大変、申し訳ありませんでした」



 椅子へ座った途端、リザさんは頭を下げた。またしても集まる視線に、僕は慌てて手と首を横へ振る。



「あ、頭を上げて下さい、リザさん」

「ですが、わたくし、またしてもイレールさんにご迷惑を」

「僕は気にしていませんから。どうか頭を上げて下さい。お願いですから」



 リザさんは、おずおずと顔を上げた。ようやく見えた表情と巨乳に、ほっと胸を撫で下ろす。




「わたくし、お友達から聞きましたの。イレールさんが、昇降口でフェルディナンさんと揉めていると。なので、急いで昇降口へ向かったところ、あのような、いわれのない中傷を……わたくし、もう兎に角イレールさんを助けなければと、そう思いまして。それで、先程のお話をさせて頂きました。皆様に、上手く伝えられていれば良いのですが」

「それは、ありがとうございます。とすると、僕がリザさんの叔母様を助けたという話は、咄嗟に吐いた嘘だったんですね」

「いえ、それ自体は本当です。父がそう申しておりましたので。イレールさんにお礼をしたいという話も、本当ですわ」

「あ、そう、ですか」



 僕の煮え切らない返事など気にする素振りもなく、リザさんは、またしても姿勢を正す。



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