7‐1.呼び止められた目的



「やぁ、イレール君」



 放課後。

 スケッチをしにいつもの場所へ行こうとしたら、昇降口の前でフェルディナンさんに呼び止められた。本日も使用人見習いのテオドールさんを背後に引き連れており、大変威圧感を醸し出している。



 げ、という声を咄嗟に飲み込み、歪みそうな顔をどうにか取り繕った。




「こ、こんにちは、フェルディナンさん。先日ぶりです」

「今からスケッチにでも行くのかい?」

「えぇ。部活動の一環として」

「そうかい。君の描く絵は、さぞ素晴らしいのだろうね。その手腕を、是非間近で見てみたいものだよ」

「過分な評価、ありがとうございます。機会があれば、是非」



 まぁ、そんな機会、こさせる予定はありませんがね、と心の中で舌を出しておく。



 というか、と僕は、さり気なく辺りを窺った。

 周りには、まだまだ生徒が沢山いる。噂のせいもあり、僕達を遠巻きに眺めていた。直接対決だ、なんてふざけた囁きも聞こえてくる。



 これは、さっさと退散するべきだな。込み上げた溜息を堪え、では僕はこれで、ときびすを返すべく、口を開いた。




「ところで、イレール君」



 しかし、僕よりも先に、フェルディナンさんが話を始める。



「テオドールから聞いたのだが、君、先日火事があった現場近くにいたそうだね?」

「火事があった現場……あぁ。えぇ、いました。出火元の近くに、叔父が所属している兎愛好倶楽部の集会所があるんです。そちらにいたら、黒い煙が窓から入ってきて、それで慌てて兎と一緒に逃げました」



 断じて怪しい倶楽部にいたわけではない、という思いを込めて、フェルディナンさんだけでなく、聞き耳を立てている奴らにも聞こえるよう、気持ち大きな声で答えた。




「そうか、災難だったね。しかし、兎か……」



 ふむ、と顎へ手を当て、やや大げさに首を傾げる。



「可笑しいな。私が聞いた話では、君は兎ではなく、ご婦人と共にいたようだが」



 ご婦人?



「顔は見えなかったそうだが、服装からして、それなりの家の女性だったと聞いている。そうだな、テオドール?」

「左様でございます、フェルディナン様。そしてその女性を、イレールさんはエスコートされていました。親密そうに寄り添いながら、お二人でどこかへ去っていかれたのです」



 無表情で、テオドールさんは淡々と語った。




「因みに、イレール君。君、姉か妹はいるのかい?」

「いえ、いません」

「では、その女性は、親類か何かかな?」

「いえ、違いますが」

「そうか」



 ふむ、とまたしてわざとらしく首を傾げる。



「とすると、君はその女性と、お付き合いをしているんだね」

「……はい?」

「だってそうだろう? 男女が親密そうに寄り添い、しかも男がエスコートまでしている。更には家族でも親類でもない。とすれば、答えは一つ。君達は恋人同士だった、ということになる」



 なんでそうなるんだよ、という言葉が、喉元までせり上がった。しかし、周りの学生のざわめきが、僕の行動を押し止める。危ない。危うく貴族相手にツッコミを入れるところだった。



 だが、本当になんでそうなるんだよ。




「私としては、君の恋愛事情をとやかく言うつもりはない。愛し合っているのならば、喜んで祝福しようじゃないか。ただ、一つだけ、どうにも腑に落ちないんだ」



 色々と押し殺している僕の様子など気にせず、フェルディナンさんは額へ手を当てた。



「何故恋人がいるにも関わらず、リザ嬢に手を出すのか、とね」



 周りから、またざわりと動揺の音が上がった。

 反対に、僕の内に込み上げていたあれこれは、すとんと腹の底へ落ちる。



 成程、要はそれが言いたかったのか。だからこんな人目が集まる場所で、あえてこの話を持ち出したと。




「世の中には、愛人作りを男の嗜みだと考える者が、少なからず存在する。特に貴族や金持ちはその傾向にあるようだが、私としては、正直賛同しかねるね。

 女性への愛は、常に一つであるべきだ。ただ一人の女性にだけ、誠実であるべきだ。いや、君の考えを否定しているわけではないよ。しかし、相手がリザ嬢となると、口を挟まずにはいらないんだ。だからこうして、君に直接話を聞きにきたと、そういうわけさ。場合によっては、説得を試みるつもりでね」

「……そうですか。ならば、その必要はありません。僕はどなたとも付き合っていないので」

「なんだって? とすると君は、あのご婦人とは遊びだったとでも言うのかい? 親密に寄り添い、エスコートまでしておいて?」

「あの方とは、そういった仲ではありません。それどころか、お会いしたのもあの日が初めてです」

「信じられない。君は学生の身でありながら、出会って間もない女性に、あれほど馴れ馴れしく接するのかい? 随分と手慣れていたようだが、君、まさかそういった職業の女性との付き合いでも?」

「フェルディナンさん。先程から聞いていれば、まるで実際に僕を見てきたかのようにおっしゃいますね。あなたの話では、僕とあの方を見たのは、テオドールさんだった筈では?」

「そうだとも。そして私は、そんなテオドールの報告を受け、こうして語っているのさ。そうだな、テオドール?」

「左様でございます。フェルディナン様がおっしゃった内容は、私が目撃し、抱いた印象と、寸分の違いもありません」

「印象、ですか。つまり、あなた方が思うに、というだけの話で、事実とは限らないわけですね。なのに、何故そこまで決め付けた言い方をするのでしょうか? 他の選択肢や考え方もあるのに、何故僕の素行が悪いかのように言うのでしょう? まるで僕を貶める為に、わざと印象を悪くしているみたいですね」

「まさか、そんなわけがないじゃないか。私はただ、心配しているのだよ。真実がどうであれ、君をこういう風に邪推する人間がいるのではないか、とね」




 おいおいおい。その邪推する人間筆頭候補がなにほざいてんだこら。平民舐めんじゃねぇぞ。



 って、ギュスターヴ兄さんなら言っていると思う。

 僕にはそこまで汚い口は利けませんね。せいぜい控えめに、こう思うくらいかな。




 おいおいおい。どの面下げてほざいてんだこら。平民舐めたら痛い目見るぞこの野郎。




 というか、痛い目見せてやるわこの野郎。




 自分でも、目が据わったと分かった。けれど知るものか。貴族のぼんぼんが偉そうにしやがって。

 だったらその喧嘩、買ってやるわ。完膚なきに叩きのめして、僕を馬鹿にしたことを後悔させてやる。



 舌で唇を湿らせ、僕は戦いの火蓋を切るべく、息を吸い込んだ。




「――イレールさん」




 しかし、切られた火蓋は、落ちる前にかき消される。



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