2.◆とある子爵令息は兎に魅了される◆






     ◆   ◆   ◆






 パウル子爵家のダイニングルームに、ペーターの明るい声が響く。



「――それで、サンドリヨンは、僕の足の上に、こう、顎を乗せたのです」



 最近執心している灰色の兎について一生懸命語る弟を、リザは微笑ましく眺めた。母であるオランピアも、食後の紅茶を楽しみながら、優しく相槌を打つ。



「イレールさんは、サンドリヨンが僕に甘えているのだとおっしゃっていました。なので、イレールさんに教わった、マッサージをしてあげたのです。最初は、背中やお腹の脇を撫でて、それから、首の周りの肉を、こうやって、優しく揉み解してあげて。そうしたらサンドリヨンは、プゥプゥと鳴き始めました。

 兎は、嬉しかったり心地が良かったりすると、そのように鳴くのだそうです。『この短期間でサンドリヨンを鳴かせるなんて、ペーターさんは凄いですね。サンドリヨンは、ペーターさんが大好きなようです』と、イレールさんはおっしゃって下さって、そうしたらサンドリヨンが、そうだよ、とでも言うかのように、プゥ、と鳴いて」



 目を輝かせて、ペーターは身振り手振りを交える。余程嬉しかったのか、その頬は紅潮していた。




「良かったわね、ペーター。サンドリヨンちゃんと、とっても仲良くなったのね」

「はいっ、お母様っ。僕とサンドリヨンは、とても仲良しになりました。イレールさんとも、僕は仲良くなりました。今度、イレールさんが学生絵画コンクールで優秀賞を受賞した時の絵を、見せて頂く約束をしています。それから、エドゥアール先生のスケッチブックも、見せて頂く約束をしましたっ」



 すると、テーブルの上座に座っていた父――パウルの眉が、ぴくりと反応した。



「あら、そうなの。エドゥアール先生とも仲良くなったの?」

「はい。サンドリヨンは、元々エドゥアール先生の兎なので、会いに行っている内に、自然と仲良くなりました」

「そう。それは羨ましいわ。ねぇ、リザ?」

「えぇ。エドゥアール先生のスケッチブックを見せて頂けるなんて、とても貴重な体験よ。失礼のないようにね、ペーター」

「勿論です。子爵家の子として恥ずかしくないよう、礼儀正しく振舞います」



 ペーターは胸を張り、鼻から息を吹き出した。近頃は勉学に一層励んでいる、と家庭教師から褒められたのも相まって、相当自信があるようだ。

 リザとオランピアの顔は、自ずと緩んだ。




「あ、そうです」



 つと、ペーターは口角を持ち上げた。



「僕、本日は、エドゥアール先生のお手伝いをしたのです。依頼された絵の下描きをっ」



 パウルの眉が、またぴくりと跳ねた。



「エドゥアール先生は、現在、兎愛好倶楽部からの依頼を受けているそうです。倶楽部の集会所に飾る大きな絵で、その下描きに取り掛かる際、僕はイレールさんと一緒に、モデルのお手伝いをしました」

「モデルの、というと、まさかあなた、エドゥアール先生の絵のモデルを務めたの?」

「いいえ。僕ではなく、サンドリヨンです。モデルは、サンドリヨンなのです」



 ペーターは、忙しなく手を動かす。




「エドゥアール先生が依頼されたのは、兎愛好倶楽部の会員の皆さんが飼っている兎の集合画なのです。なので先生は、サンドリヨンに色々なポーズを取って貰おうとしました。けれど、中々上手くいきません。そこで僕とイレールさんが、エドゥアール先生の指示通りに、サンドリヨンを動かしたのです。

 抱っこをしたり、膝の上に仰向けにしたり、玩具で遊んだりしました。そうして色んなポーズを取らせて、それをエドゥアール先生は、カンヴァスに鉛筆で描いていったのです」



 目が、また輝く。



「先生は、サンドリヨンの絵がとてもお上手なのです。鉛筆でサラサラッと描いただけなのに、今にもプゥプゥと鳴きそうなのです。それから、色んな柄や色、毛の長さの兎を描かれていました。耳が垂れている子もいます。とても可愛いのです。

 倶楽部には、沢山の種類の兎がいるそうです。大きさも、こんなに小さい子から、こんなに大きい子まで、沢山いるそうです。肉垂にくすいの大きさも、全然違うのだそうです。イレールさんも、時々エドゥアール先生に連れていって頂くそうで、とても楽しいとおっしゃっていました」

「そうなの。そんなに色々な兎さんがいるだなんて、知らなかったわ」

「僕も全然知りませんでした。『こんなに沢山の兎がいるなんて凄いですね』、と先生に言いました。そうしたらエドゥアール先生は、『もし興味があるようでしたら、兎愛好倶楽部へ行ってみますか?』とおっしゃって下さいました。保護者の許可があれば、連れて行って下さるそうです。

 あの、なので、お父様、お母様。僕、先生と一緒に、兎愛好倶楽部に行っても――」




 ガタン、と、決して大きくない音が、ダイニングルームに響く。



 パウルが、椅子から立ち上がっていた。




「あ……」



 ペーターが呼び止める間もなく、足早に部屋を後にする。




 悲しげに肩を落とす息子の頭を、オランピアは撫でた。



「気にしなくていいわよ、ペーター。あの人はね、うーんと、そう。あなたとエドゥアール先生が仲良しで、羨ましかったのよ。自分の子供に嫉妬するなんて、困ったお父様ね。あなたはなにも悪くないわ」

「……本当ですか?」

「えぇ、本当よ。そうでしょう、リザ?」



 リザは、間髪入れずに頷く。頼もしく笑い掛けられ、ペーターはほっと安堵の息を吐いた。




「ペーター。兎愛好倶楽部へ行くのは、少し待って貰ってもいいかしら? わたくしの方から、あなたがエドゥアール先生とご一緒しても良いか、お父様に聞いておくわ」

「分かりました。あの、お母様は、どう思いますか? 僕は、兎愛好倶楽部に行っても良いですか?」

「勿論よ。お父様にお話して、ちゃんと許可を貰ってくるから。だからそれまで、あなたはイレールさんやエドゥアール先生に、兎さんとの触れ合い方をきちんと習っておきなさい。倶楽部に行った時、あなたも兎さんも、どちらも楽しめるように。ね?」



 ペーターは、


「はいっ、頑張りますっ」


 と拳を握り締めた。

 オランピアは美しい顔を綻ばせ、もう一度ペーターの頭を撫でる。






      ◆    ◆    ◆





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