3.面倒な相手



 放課後。

 野良猫と女子テニス部のスケッチも粗方終え、昇降口まで戻ってくると。



「イレール君」



 不意に、後ろから呼び掛けられた。何の気なしに、振り返る。




 途端、げ、と固まった。




 二人の男子生徒が、こちらへ近付いてくる。片方は、同系色のステッチが入った赤いリボンを。もう片方は、金色のステッチが入った赤いリボンを、首へ巻いている。



 貴族クラスの生徒が、何故平民クラスの昇降口に。




「こんにちは。久しぶりだね。私のことを、覚えているかな?」

「……こんにちは。えぇ、勿論覚えています」



 そう言って、姿勢を正す。



「春の絵画コンクールぶりです、フェルディナンさん」



 頭を下げる僕に、フェルディナンさんは鷹揚に頷いた。




「悪いね、突然声を掛けてしまって。テオドールが、あぁ、ここにいる我が男爵家の使用人見習いが、丁度君を見つけたものでね。しかも、スケッチブックを持っているじゃないか。絵を嗜む者として、つい気になってしまったんだ」



 テオドールと呼ばれた平民クラスの男子生徒は、フェルディナンさんの後ろに控えながら、小さく会釈をした。



「……そうでしたか。ですが、今日は大したものは描けていないんです。野良猫と、部活中の生徒を少々スケッチした程度ですので、フェルディナンさんが気にされるほどではありません」

「謙遜しないでくれたまえ。君の腕前は、重々承知しているつもりだ。春の絵画コンクールであれだけの作品を生み出した君ならば、例え軽いスケッチだとしても、さぞ感動的な出来栄えに違いない。なぁ、テオドール?」

「左様でございますね、フェルディナン様」



 いや、左様じゃねぇよ。と、言ってやりたいが、心の中だけに留めておく。



「だが、そうだな。君の気が進まないのであれば、これ以上言うのは止めよう。未完成のものを他人に見せたくないという気持ちは、私も覚えがないわけではないからね」

「申し訳ありません」

「いやいや、気にしないでくれたまえ。寧ろ、悪かったね。無理を言ってしまって。昔からこうなんだ。注目している相手に対する興味と情熱が、どうにも抑え切れない。自分でも悪い癖だと分かってはいるのだけれど、いやはや困ったものさ」



 フェルディナンさんの笑い声だけが、辺りへ小さく響いた。



「あぁ、そうだ。イレール君。今度、美術アカデミー主催で行われる学生絵画コンクールがあるが、当然君も出るのだろう?」

「えぇ。そのつもりです」

「ならば、その時まで楽しみに待っているとしよう。君の作品を今から期待しているよ。勿論、私の作品も、期待していてくれたまえ」

「……はい」



 頭を下げ、それでは僕はこの辺で、ときびすを返そうとするも。




「ところで、イレール君」



 その前に、フェルディナンさんがまた口を開いた。




「最近、私達に関する面白い噂があると、知っているかい?」




 僕は、歪みそうな顔を、全力で取り繕った。



 やっぱり、それが目的だったんですね。




 最初から可笑しかったんだ。平民クラスの昇降口前にわざわざ貴族クラスの生徒がいるのもそうだけど、僕に話し掛けてくること自体、不自然だった。

 いくら絵画コンクールで何度か顔を合わせていると言っても、所詮は貴族と平民。入学してから一度も会わず、話もしなかった間柄の人間に、ただの雑談を持ち掛けるなんてするわけがない。



 なにか明確な意図がない限りは。




「なんでも、リザ嬢を巡って、私達が争っているとかなんとか。そうだったな、テオドール?」

「左様でございます」

「私としては、君と争っているつもりはないんだ。ただただリザ嬢の心をこいねがっているだけ。だが、例え私がそうだからと言って、君まで同じ気持ちだとは限らない。パウル子爵家へ何度も足を運んでいるようだし、これはもしや、という考えも、よぎってしまったのだが」

「誤解です。僕は、リザさんの心を希うつもりも、フェルディナンさんと争うつもりもありません。確かに、パウル子爵家には何度かお邪魔しています。ですがそれは、リザさんの弟さんに用事があったからです。僕は、彼と仲良くさせて頂いているんです。リザさんとではありません」

「ふむ、成程。筋は通っているな。では、彼女の弟君を足掛かりにして、ゆくゆくはリザ嬢を、などという思惑も、全くないと?」

「勿論です」

「即答か。しかし、あれほど身も心も麗しい女性が傍にいながら、少しも心が動かないなんて、私にはいささか疑問なのだが」

「いくら美しい女性だろうと、必ずしも想いを寄せるとは限りません。尊敬はしていますが、恋愛云々は感じません。仮に感じたところで、どうにかなるものではありません。僕は、自分が平民だと、身の程をわきまえているつもりです」

「身分など、恋愛の前では大した意味などないよ。私自身、家の格は違うが、それでも彼女に恋焦がれているからね」

「それでも、あなたは貴族です。僕はただの商人の息子です」

「ここ数年で急成長を遂げているフラゴナール商会の、ね」



 ゆったりと微笑むフェルディナンさんに、僕は眉を顰めそうになった。だが、フェルディナンさんの背後から、使用人見習いだというテオドールさんが、無表情でこちらを見ている。

 失礼な態度を少しでも取ろうものなら、何をされるか分からない。なので、僕は黙って、じっとフェルディナンさんを見据えた。



 辺りへ、静寂が訪れる。




「……まぁ、他でもない君がそう言うんだ。そういうことなのだろうね」



 つと溜息を吐くと、フェルディナンさんは、小さく微笑んだ。



「すまないね。疑うような真似ばかりをして」

「……いえ」

「本当にすまない。だが、どうか気を悪くしないで欲しい。全ては、恋に狂った男の嫉妬さ。私の女神が関わっているとなると、どうしても周りの男全てが敵に見えてしまってね。我ながら可笑しいと思ってはいるんだ。だが、そうと分かっていても、心というものは、どうにもならないものだろう?」

「そうですね」



 現に僕も、なんでこんな話をしなきゃいけないんだよって思っています。




「では、私達はこの辺で失礼するとしよう。時間を取らせてすまないね」

「いえ」

「では、また」



 ようやく立ち去ってくれる、と思っていたら、何故かすぐさま立ち止まり、こちらを振り返る。



「あぁ、そうだ。イレール君に、一つ忠告を良いかな?」

「……なんでしょうか」

「君の気持ちがそうであるのならば、勘違いされるような振る舞いは控えた方が良い。例えリザ嬢の弟君が目的だったとしても、周りは邪推するものだ。私はこうして誤解だと分かったが、他の人間もそうとは限らない。ただでさえ、身分違いだと言っている者もいるからね。下手すれば、君に直接危害を加えられる可能性だってある」



 フェルディナンさんは、おもむろに目を細めた。



「十分気を付けたまえ」

「……肝に銘じておきます」



 フェルディナンさんと、使用人見習いのテオドールさんから、目を反らすように頭を下げた。そのままじっとしていれば、二つの足音が遠ざかっていく。




 何も聞こえなくなったところで、ゆっくりと顔を上げた。二人が去っていったであろう方向を眺め、大きく息を吐く。



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