第3章
1.被告人イレール
僕は今、最大級のピンチを迎えている。
「被告人、イレール君。何か言いたいことはありますか?」
「僕は無実です」
「嘘吐けこの野郎っ! アンソニー裁判長っ! こいつは嘘を吐いてますっ!」
「そのようですね、証人トマ君。では、判決を言い渡します。判決。被告人、イレール君を、有罪とします」
「待って。お願いだから」
窓際へ追い詰められた僕を、トマとアンソニーが更に押し潰す。特にアンソニーからの圧力が凄い。張りのある
「なにが待ってだっ! てめぇ、俺らに黙って抜け駆けしやがってっ! ずるいじゃねぇかっ!」
「イレール君。僕は悲しいよ。君とはなんでも話せる友達だって思ってたのに。なのに君は、僕達を、信用してくれてないだなんて……っ」
「いや、だから待って。取り敢えず一歩下がろう。それとアンソニーは、笑いを堪えてまでトマに付き合わなくていいから」
ポンポンと真ん丸な腹を叩けば、僕を襲っていた圧力が消える。変わりに、
「ごめんごめん」
といつものように微笑むアンソニーが立っていた。
「でも、僕としてもさ。気にはなっているんだよ? 君達の噂。多分、僕以外も」
と、さり気なく教室内へ目を向ける。昼休み中にしては
「イレール、お前、お前……っ」
トマが、僕の胸倉を締め上げようとして、身長が足らず中途半端に抱き着いてくる。
「っ、いつの間にっ、例の子爵令嬢と仲良くなってんだこらぁぁぁーっ!」
思いっきり揺さぶってきた。
「一体どういうことだっ! なんでお前が貴族様とっ? ていうかっ、家にまで行くとか、一体全体どういう関係なんだぁぁぁーっ!」
物凄く揺れる視界に、思わず
「おぉー」
と声が零れる。
アンソニーが止めてくれなかったら、僕はきっと、昼食のサンドイッチを戻していたに違いない。
どうやらトマは、僕がパウル子爵邸から出てくる瞬間を、目撃してしまったらしい。しかも、リザさんに見送られているところだったもんだから、小さな体を目一杯動かして荒ぶっていると、そういうわけだ。全く持っていい迷惑だね。
「うぅ……っ。な、なんでイレールなんだよ。俺だって、美人と仲良くしたい。家に何度も遊びに行きたいっ。帰り際に、『またいらっしゃって下さい』とか言ってっ、可愛い笑顔で見送られたりしてみたいっ!」
トマはアンソニーの丸い体にしがみ付き、そんな欲望を垂れ流している。
「それで、実際どうなの、イレール君? まさか、本当にトマ君が見た通りなの?」
「いや、まぁ、リザさんのお宅に何度かお邪魔したのは、本当だけど」
「う、うぐぅぅぅぅっ!」
「ちょ、落ち着いてよトマ。僕の目的は、リザさんじゃなくて、リザさんの弟さんだから」
「ぐず、お、おどうど……?」
「そう。ほら、よく思い出して。見送ってくれたリザさんの傍に、六歳くらいの男の子がいたでしょう? その子なんだけど」
トマは、
「ぞういえば……?」
と鼻を啜る。
「僕、リザさんの弟さんと、仲良くさせて貰っているんだ。一緒にパウル子爵のコレクションを鑑賞したり、エドゥアール叔父さんの飼っている兎と遊んだり、後は、僕が描いたスケッチとかを見にきたりしてさ」
まぁ、正確には、僕が描いた裸婦のスケッチとかを見にきたりして、なんだけど。
「そうやってちょいちょい遊んでいるから、リザさんとも顔を合わせる機会が多くて。でも、それだけだよ。見送りだって、六歳の弟を一人で行かせるわけにはいかないから、リザさんも門のところまで付いてきてくれただけだし」
実際は、放課後に校舎裏で少しばかり談笑する仲だけど、知られたら絶対に面倒臭いので、言わない。
「なぁーんだっ、そうだったのかっ」
半泣きだったトマが、満面の笑みを浮かべる。心なしか、教室内の空気も変わった。例えて言うなら、謎が解けてすっきりした、という感じ。
「ま、そういうこったろうと思ったけどな。どう考えても、イレールと子爵令嬢の接点なんてなかったわけだし」
「学校でも大抵僕達と一緒なんだから、いきなり急接近なんて可笑しいよねぇ」
「ましてや、令嬢を取り合っての三角関係とかなぁ」
「ないよねぇ。イレール君、そんな素振り全然見せなかったもの」
「だよなだよな。いや、悪ぃなイレール。俺が勘違いしたばっかりに」
「本当にね」
「いやー、しかし、そうだよなぁ。イレールが子爵令嬢とお近付きになるとか、ありえねぇよなぁ。だってお前、実力のわりに見た目地味だし」
うるせぇ、このチビ。
「でもよ、イレール。お前、一応気を付けろよ?」
つと、トマが体を、少し寄せてくる。
「俺達は誤解だったって分かったけど、そうじゃねぇ奴らもいるんだからよ」
「まぁ、そうだね。子爵令嬢を巡る三角関係云々の噂も結構広がってるしさ。変な人に絡まれないようにね、イレール君」
「特に、貴族には注意しろよ。平民相手なら、俺らも助けてやれるけど、貴族が相手ってなると、ちょっと厳しいからなぁ」
「あ、いや、でも、案外そうでもないかもよ?」
え? とばかりに、アンソニーへ視線が集まる。
「僕の知り合いに、使用人見習いの子がいるって言ったでしょ? その子情報だと、どうもイレール君を非難する声は、そこまで大きくないみたいなんだよね。寧ろ、貴族のお嬢さん方からは、結構受け入れられてるんだって」
「そうなの? 自分で言うのもなんだけど、意外だね」
「なんでも、男爵子息に追い掛け回されてる子爵令嬢が、最近は明るい顔をするようになったって、少し前から言われてたらしいんだ。一体なんでだろうって不思議に思ってたら、イレール君の存在が浮上したわけじゃない? だから、『もしかしたら、あの平民の男子学生のお蔭なのかしら』と、まことしやかに囁かれてるみたい。
まぁ要は、身分差のある男女が恋に落ちるっていう、よくある物語みたいな展開だーって、年頃のお嬢さん達はきゃいきゃいはしゃいでるんだってさ」
トマが感心する中、僕は自分の顔が歪んでいくのが分かった。いや、謂れのない中傷を受けるよりはましだけど、そんな面白可笑しく話されるのも、それはそれでちょっと嫌だ。
「……まぁ……誤解だって分かって貰えたのなら、なんだっていいけどさ」
「だなっ。いや、本当悪ぃな、イレール。大丈夫だよ。皆すぐに分かってくれるって。な、アンソニー?」
アンソニーは、大きく頷く。心なしかクラスメイトも、そうだね、みたいな空気を醸し出している。なんなら、
「任せろよイレール」
「俺達はお前の味方だからな」
的な声も聞こえてきた。
なんか納得いかない気がしなくもないけど、取り敢えず
「ありがとう」
とでも言っておこう。
「……ん?」
僕を差し置いて盛り上がるクラスメイトを他所に、つと窓の外を振り返った。
教室の下を、丁度リザさんと数名の女子生徒達が横切っていく。
僕の視線に気付いたのか、リザさんが上を見た。目が合うや、こちらへ小さく会釈をしてくれる。それだけで、豊かな胸がふんわりと揺れた。
咄嗟に頭を下げ返せば、リザさんの頬が緩んだ。ほぼ同時に、一緒にいたお友達らしき女子生徒が、上を向く。僕を見つけるや、きゃっ、と声を零して、リザさんに何かを言った。
リザさんは困ったように眉を下げ、お友達方になにやら言い返している。そうしたら、相手は意味ありげな笑みを浮かべた。かと思えばリザさんを取り囲んで、僕の方をチラチラと気にしながら去っていく。あっちはあっちで、面倒なことになっているらしい。
大変だなぁ、とか思っていたら、なんだか背後が妙に大人しい。嫌な空気を感じ、恐る恐る、振り返る。
途端、トマ達は、それはそれは面倒臭い形相で、僕を押し潰した。
ぐえぇ。
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