2‐2.大変素晴らしい光景



「あ、はい、そうですが……僕のこと、知っているんですか?」

「えぇ。父が美術アカデミーの会員ですので、絵画コンクールの会場で、何度かお見掛けしましたの」

「あぁ、そうだったんですか。実は僕も、あなたを何度か会場で見たことがあるんです」



 正確には、あなたの素晴らしい胸を、ですが。



「パウル子爵の娘さん、ですよね? お名前は、確か、リザさん、だったと思うのですが」

「えぇ、その通りです。パウル子爵家の娘の、リザと申します。どうぞお見知りおきを」

「あ、こちらこそ。イレールと申します。どうも、初めまして」



 お互い頭を下げ合う。




「ふふ。わたくし、ずっとあなたとお話してみたいと思っていたのです」

「そうなんですか?」

「えぇ。なんせ、次世代のエースと期待されている方ですもの」

「いや、僕なんか、まだまだです」

「謙遜なさらないで下さい。わたくし、あなたの姿だけでなく、作品も何度となく拝見しておりますの。どれもとても素晴らしかったですわ。流石はエドゥアール先生のお弟子さんだと、わたくしだけでなく、その場にいたアカデミー会員や芸術に関わる方々も、頻りに感心されていました。現役画家にも引けを取らない、正に次代を担う方だという声も、其処彼処から上がっておりましたわ」

「……恐縮です」



 そんなに褒められると、どう反応していいのか分からない。しかも相手は美人で、巨乳で、好意を真正面からぶつけてくるんだぞ。どうしたらいい。なんて答えるのが正解なんだ。

 取り敢えず、ちょっと顔が近いです。あと胸も。



「これほど実力のある方が同い年で、同じ学校に通っていて、更には学年一位に輝く頭脳の持ち主なのですよ? 気にならないわけがございません。実を申しますと、過去に何度かお声掛けしようとしたこともございますの。ですが、わたくしに話し掛けられては、ご迷惑かと、思いまして……」

「迷惑だなんて。そんなことはありませんよ」

「……本当ですか? 無理はなさらなくてよろしいのですよ?」

「無理なんてしていません。逆に、何故僕が迷惑がるかもしれないと思われたのかが、不思議です。もしかして、僕は以前、何かしてしまいましたか?」

「いえ、そういうわけではございませんの。イレールさんは、なにも悪くありませんわ。ただ、わたくしが勝手に尻込みしてしまっただけと申しますか、その……わたくしの父が、イレールさんの叔父様を、その……」




 あぁ、成程。



 つまりリザさんは、エドゥアール叔父さんの作品をいつも酷評するパウル子爵の娘だから、僕がいい印象を持っていないのではないかと思っていた、ということか。




「僕も叔父も、別段パウル子爵に対して、何か思っているわけではありませんよ」

「そ、そうなのですか?」

「えぇ。ですから、リザさんに対しても、何か思っているわけではありません。例えパウル子爵に思うところがあったとしても、流石にそのご家族にまで不満を持ったりはしませんよ。全くの別人なんですから、当然考え方も違うでしょうし。

 僕自身、父とは全然違いますからね。兄となんて、もっと似ていません。時々血の繋がりを疑いたくなります」



 ギュスターヴ兄さんは、父さんに似て背が高く、逞しい。顔も男らしくて、目鼻立ちがはっきりしている。

 対して僕は母さん似で、線が細くてあんまり筋肉が付かない。背もそこまで高くなく、顔も中性的だから、よく女装しながら叔父さんのモデルを務めている。男としてたまに悲しくなるが、お蔭で女性を描く際、動きの不自然さが減ったので、まぁこれはこれで良かったと言えなくもない。



「そういうものですから、どうかお気になさらず。寧ろ、こうしてお話させて頂けて、嬉しいです」



 そして、その迫力満点な胸を、どうか間近で拝ませて下さい。




「そう、ですか。良かった」



 僕の下心なんか気付かず、リザさんはほっと息を吐き出す。おぉ。たったそれだけの動きなのに、胸が揺蕩たゆたっている。凄い。ついつい目が吸い寄せられそうだ。

 だが、我慢だイレール。お前は兄さんのように堂々と女性の胸を見るなんて、そんなはしたない真似はしない男だろう。



 紳士とは、女性を不快にさせないものだ。じっくり見たい気持ちは分かるが、己の欲望に負けたらどうなる? こんな麗しい女性から、


「最低ね」


 と言わんばかりの冷たい視線を、これでもかと浴びせられるんだぞ。

 図太い兄さんはそれでも平気かもしれないが、僕みたいな繊細な人間には到底耐えられない。



 よって 僕は紳士らしく、相手に気付かれないようさりげなく、且つ素早く掠め見るのだ。




「あの、イレールさん」

「っ、はいっ? なんでしょう?」



 あっぶねぇ。後一歩視線を戻すのが遅かったら、リザさんにバレるところだった。



「こんなことを頼むのは、ご迷惑かと存じますが……もし、イレールさんがお嫌でなければ、またこちらへ足を運んでも、よろしいでしょうか?」

「え、ここに、ですか?」

「えぇ。わたくしは今、とある方から、その、逃げ回っている最中なのです。ですので、身を隠す場所が増えると、とても心強いのですが……」



 おずおずと、リザさんは僕を上目で窺う。眉を下げ、胸の前でおもむろに手を組む。




 その拍子に、腕に挟まれた大きな乳が、むぎゅうっと寄った。




「駄目、でしょうか?」

「いえ、駄目じゃありません」



 大変素晴らしい光景だと思います。



 って、違う違う。胸の話じゃないよね。ここを避難場所にしていいかって話だよね。




「ここは、僕だけの場所ではありませんから。どうぞご自由にお使い下さい」

「……よろしいのですか?」

「えぇ。その際は僕もご一緒するかもしれませんが、それでもよろしければ」



 すると、リザさんの表情が、晴れる。



「ありがとうございます、イレールさん。とても助かりますわ。本当にありがとうございます」

「いえ」



 こちらこそ、とても助かります。

 その素晴らしい巨乳を、至近距離で拝める確率を上げて下さって、本当にありがとうございます。



 そんな僕の本音など全く気付いていない顔で、リザさんは丁寧に頭を下げた。

 僕も、煩悩が垂れ流れないよう気を付けつつ、頭を下げ返す。



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