身を延べし

あまるん

第1話

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 通称六郎三郎こと実長さねながは、師である聖人の草庵の前に立ち尽くす。

 弘安5年(1282年)の季節は師を送り出した時は身延山は夏の終わりで蝉の声に辟易へきえきしたものが、今や草庵の傍の桜の木の葉が色づきはじめようとしていた。


(聖人よどうか我が罪を赦し我が呪いを解きたまえ)


 六郎三郎が聖人と初めてまみえたのは文永6年(1269年)である。当時はまだ天台宗の一僧侶であったが、鎌倉の辻に響く説法の音声は大地を揺るがさんという気合いに満ちていた。

 善なる神々を遠ざける邪法を罵り、蒙古の迫る末法の世を説く。無事であった己をして肝を斬りつけられる心持ちとさせる。

 聖人の母は彼の祈祷により蘇ったと言われていたが、それも納得の験力であった。

 六郎三郎は己が建立し、そして聖人が九カ年を過ごした草庵を悲しく振り返り下山する。


 朝日の中で一人の若者が山の麓にある竜潜橋に差し掛かる。龍が潜むかのような鬱蒼とした杉木立の陰に立つのは息子の実継だった。


(父上よ、どうかお赦し給え)

「何を許せと言うのか」

(おれは聖人をある殿の館に送りその一部始終を見守った。聖人はおれも他のものも分け隔てなく扱い、父上が聖人に預けたあの栗影の馬をも慈悲深く見守った。郎党が父の衷心を誉めその子であるおれをも称えた。おれはすっかりいい気になって池上殿の酒を喰らい聖人のことを称えた。

(しかし夜になり月天子が雲にかかりおれが月天子よ姿を見せたまえと言って九字を切り刀で斬りつける真似をしたら庭の木の影でこそこそ言うものがいた。

(実継は父の威光で聖人の一番の身内のような顔をしておる。弟子である老僧らに譲るべきだ)

(おれはその言葉を聞いた時、身が震えた。おれは子のときから聖人の側にあり当たり前のようにその教えを受けた。聖人が島に流された話を聞いた時我が事のように泣いた。しかしながら聖人の恩人であるのは父上であり我が身はその恩恵のみ受け取っている。

(父上よおれに教えて欲しい。聖人の教え通り帰依し読誦を行うべきであろうか)

「聖人はお前に何と言ったのであろうか」

(蒙古の危機は去っておらず為政者は正法に帰依するべきだと。我らが帰依するは等しく一つの句のためだと。)

「聖人を称えるべきだ。正しい法を守るために祈りの句を我らに開いたのだ。お前の心と我が心は等しい。おれがしたようにお前も正しいものを守るべきなのだ」

(それであれば父上よおれは許されたのか)

「誰が赦し誰が赦されるのか。私は剣であり庵の柱であった、お前もそうであったのだろう。我らが守るべきは正しく法であるのだ。お前を抱きしめ、お前を慰めたいが今はその時では無い。己が心に従うのだ」

 実継は跪き、その姿は杉の木立の影に紛れ、龍潜橋の影の中に大きな流れができた。実継の首と体を持った龍は六郎三郎に向かって小さな仏を吐いた。

「この仏は聖人が海から得た持仏である」

(聖人は50年前にこここそ仏の栖家であり、自分にとっても永久の住所である。魂をここに埋めると仰った)

「それでは我もここに魂を埋めよう。龍よその時までお前は我を待つであろうか」

『50年も仏の教えの前には一瞬に過ぎぬ』

(さらば、父上)

「さらば」

 龍は実継の体の他に二つの輝きを握り明るく光りながら天に帰っていった。

 六郎三郎の見た夢のとおりであれば、息子の実継はこれから50年後に二つに分かれた朝廷の南朝の親王に与し、戦に負けた後六条河原で真っ先に斬首される。しかしながらその死は南部氏を南朝側に与することに繋がるのだ。

 六郎三郎は息子のため、龍潜橋の上で静かに念仏を唱えた。

 

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