折れても繋げられる-3

 翌日はもう、授業は午前中だけなのだが、私はお弁当を持参してきていた。真田くんと打ち合わせてはいないが、今日作業をするので当然、のつもりだ。私のだいたいのスケジュールを把握している母は、今朝お弁当を詰める私を不思議そうに見ていた。いいでしょ別に。帰宅部だってお弁当持参でも……


 授業が終わってそうそうに、私は美術準備室に赴く。真田くんと一緒に行こうかと思っていたのに、彼は1人でスタスタと行ってしまった。


 バタンと乱暴に美術準備室の扉を開け、私は中にいるであろう真田くんに言った。


「行き先一緒なのに1人で行くなよ」


 やっぱり真田くんは先に来ていて、ガスバーナーで鍋に火をかけていた。


「早いなあ」


「答えになってない」


「一緒に行くと噂されるでしょう」


「私と噂になるの困る?」


「困るのは氷川さんの方だと思うよ」


「別に困らん。はっきりした理由があるんだから、そう言えばいいだけだよ」


「氷川さんはサバサバしているなあ」


「ほっといて」


 私はエアコンの冷気が逃げ出さないよう扉を閉めて、作業台の前に立つ。作業台の上には昨日からクロスが置きっぱなしになっている。


「どうかな?」


「少しくらいはよくなってくれていることを願う」


 そして真田くんは袋麺の袋を開けた。


「学校でインスタントラーメンを作るなんてフリーダムだな」


「カップ麺よりゴミが出ないし、具も入れられる」


 具はどうやらタッパーに入れて持って来ているらしい。ガスバーナーの前に置いてある。準備がいいことだ。


「じゃあお昼を食べてからだね」


 私は作業台の前の四角い椅子に腰掛けてお先にお弁当を広げる。女子力は低いが、それなりにきちんと弁当は作ってきている。見られて恥ずかしいものではない。


「お弁当持参だ」


「残るって分かってるから持ってくるでしょう。そうだ。連絡先を教えてよ。持ってくるかどうかちょっと迷っちゃったから」


「あー そういうことなら」


 どういうことならいいんだろう。私はスマホをカバンから取り出し、真田くんと連絡先を交換する。


「真田くんのアイコン、デフォルトだ」


「変えるの面倒だし」


「ふふ。そのうち、変えてあげるね」


 真田くんは面倒くさがりのようだ。私はお弁当を食べ始める。彼の方は鍋に乾麺を投入してからまだ時間が経っていないのでまだ煮ている段階だ。


「お弁当はいつも誰が作るの?」


「自分」


「さすがあ」


「慣れれば簡単なものでしょ。こんなの」


 真田くんは頷き、鍋を火から下ろし、粉スープと具を鍋に入れて鍋で直接食べ始めた。なかなか美味しそうだ。


 私がお弁当を食べ終えてから少しして真田くんもラーメンを食べ終わる。熱いのにずいぶん急いで食べたのではないだろうか。


「じゃあ接着だね」


「うん。じゃあ解いてみるか」


 真田くんは結束バンドをニッパーで切り、当てていた丸い棒をばらし、クロスのシャフトを露わにする。欠けた部分がお互いにはまっているのか、シャフトがずれることがない。そして昨日より少しマシになっている。


「どうでしょう先生」


「まあいいんじゃない。これで作業が減ったと思いたい」


 そして彼はカバンからチューブ入りの接着剤を取り出す。


「これが強力木工用ボンド。1時間くらいで強度80パーセントに達する。これをしっかり十分塗って、ラップで巻いて昨日と同じように添え木を当てた後、バイスで固定する」


「はい。私がやることはありますか」


「昨日と同じかな。説明不要だよね」


「そりゃまあ」


 真田くんはシャフトを折れた部分で2つに分け、欠けた部分を確認する。水分が残っていないか見ているのではと私は想像する。真田くんはチューブの蓋をとり、几帳面に丁寧に欠けた部分に接着剤を流し込んでいく。付着していないところを減らすため、千枚通しを使って細かいところまで塗っていく。そして再び折れたところを接合。隙間から余分な接着剤が出てくる。


「不織布で拭いてください」


「了解」


 真田くんは両手でシャフトを握ったままだから、拭けない。役に立てたようだ。私は丁寧に接着剤を拭い、真田くんの指示を待つ。


「じゃあラップを巻こう」


 ラップは作業台の向かいに用意してあった。いわゆる家庭用のラップだ。


「ラップはくっつかないの?」


「プラスチックの類いのように、染みこまないものはくっつかない接着剤なんだ。乾いたら剥がれる、はず」


「それはよかった」


 私はラップを加減して巻き、昨日と同じように丸い棒で添え木し、結束バンドで固定する。そうなれば真田くんの手が空く。真田くんは丸いパーツで物を挟む器具を持って来た。そうか、これをバイスというのだったか。


 真田くんは私にクロスを持たせ、スペースが許すだけラップで巻いたあたりをバイスで挟み込んだ。くるくると上部を回すと締まる構造のようだ。


「ああ。これでひと段落だよ」


「今日はこれでおしまい? 置いていい?」


「どうぞ」


 真田くんの許可が出たのでクロスを作業台の上に置く。


「よしよし。順調?」


「たぶんね。お疲れ様でした」


 作業時間は30分もなかった。お弁当を持ってくるまでもなかった。


 真田くんはじっと私の方を見ていた。


「はい、お疲れ様でした」


 私は四角い椅子に再び腰かける。


「真田くんはこの後、どうするの?」


「しばらくいるよ。やることあるし」


「あるんだ? 他の美術部員はいないみたいだけど」


「そりゃもう午前授業だからね」


「見ていていい?」


「? どうぞ。面白いもんでもないと思うけど」


 真田くんはクロスのシャフトを見ながら考え込み、そしてプラモデルを作るときに使うようなラッカー塗料と絵筆を用意した。


「何が始まるの?」


「シャフトの木目を再現する」


「おお」


 どうやら塗装して折れたところを目立たないようにするらしい。


「ぶっつけ本番はさすがに怖い」


 そして白いプラスチックの類いの上で、木目の下地になるような色を塗り始め、乾くまで待つのか、手を止めた。


「面白い?」


「私さ、自分の知らないことはだいたい面白いと思う質なんだ」


「なるほど。納得。だから僕の作業を見ていても退屈しないんだ」


「そうだね。退屈しないね。世の中の人はそうではないのかな」


「見ただけでこの作業がなんなのか理解できなかったら、それは面白くないと思うよ」


 理解できない人がいるのだろうか。うむ。わからん。


「あとは木目を描いていく地味な作業」


「なんだ? 私がいると邪魔?」


「どうしている必要があるの?」


「見ていたいから、じゃ理由にならないかな」


「いや。いい……氷川さんが気にしないなら別に」


 委員長って言いかけたな、こいつ。


 私は真田くんが上手に木目を描いていくのをぼんやりと眺める。丁寧な作業をしていると思う。真田くんは一体どこを目指しているんだろう。単に趣味とは思えない。


 真田くんは1時間ほど木目を描き続け、満足したのか絵筆を溶剤で洗い始めた。


「はい、おしまい。集中力がなくなった。よくこんなに長く見ていたね」


「そうかな。ありがとう。また明日ね。あ、そういえば8割の強度はもう出ているんだよね? 見てみたいな」


 私は養生されて添え木を当てられ、バイスで固定されたクロスを見る。


「それは早計。明日のお楽しみで」


「うん」


 私は頷いた。


「いや、真田くんのお陰でいろいろ前を向けるよ」


「?」


「こっちの話」


 バスケットボールを諦めてからこんなに集中して何かを考えることはなかった。もしかしてこういうのが自分に向いているのかなと思う。


「僕も女子と話す経験値を積めるよ」


「私が一般的な女子にカウントできるか怪しいけど」


「そんなことあるはずない……いや、一般的かどうかという点では確かにそうか」


「くそう。本人を目の前にして言うか。私から言ったとはいえ……」


「ううん。一般的な女子のステレオタイプなネガティブな部分が氷川さんからは感じられないから、という意味だよ」


「どうせサバサバ女子ですよ」


 真田くんは笑った。


 私は美術準備室を後にする。まだ明るい時間だ。真田くんが帰るのはまだ先の時間だろうが、また駅まで歩いている途中に追いかけてきてくれないかと考える私だった。少し話し足りないと思ったようだ。


 私は帰宅後、翌日もお弁当を作るべきか悩み、さっそく真田くんに連絡すればいいことに気が付いた。そしてデフォルトのアイコンを探そうとして見つからず、見覚えのないアイコンにSANADAとあることに気付く。どうやら気にして変えたらしい。洋画のロングショットだ。美術館の中だろうか。真田くんらしいといえば真田くんらしい。私は連絡を入れる。


〔明日も弁当いる?〕


 返答は数分後にあった。


〔別に1人でできる作業だからこなくてもいいんだよ〕


〔邪魔?〕


〔そんなことは言ってない〕


〔明日もインスタントラーメン?〕


〔チキンラーメンかもしれない〕


〔何が違うんだ〕


〔鍋で煮込むか煮込まないか〕


〔私が君の分も作って持っていくから、ラーメンはやめておけ〕


 間があった。


〔委員長に抗っても意味なさそうなので、ありがたくご馳走になります〕


 一言余計だ。


〔じゃあ、明日もね〕


 そして連絡を終える。さっそく連絡先を交換した甲斐があった。少しくらい女子力をアピールしてもいいだろう。過剰に女子と思われている一方で、女子と思われていない節がちょっぴりある。さて、明日の朝は何を作ったものだろうか。メニューを考えるために私は冷蔵庫の中身を確認しようとキッチンに向かった。

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