第15話 キス その1

 ある日の学校からの帰り道、児童公園のそばを歩いていると活力あふれんばかりの声が俺のもとへ飛んできた。


「あ、おにいさんだ! おーい!」


 声の方に目を向けると、見知った三人の小学生が俺のところへ駆け寄って来た。


「よう、お前ら」


 この三人は近くの小学校に通う五年生仲良し三人組だ。


 男子はユウト、女子のうちツーサイドアップの方はアカリ、セミロングの方は松下という。


 こいつらとは一週間前にひょんなことから知り合ったのだが……犬には吼えられるし、変な格好させられるし、次の日には不審者認定されるし、ロクなことにならなかったな。


 先週の出来事を思い出していると、三人は笑顔を向けてくる。


「おにいさん、この前はボール取ってくれてありがとう!」


「不審者のにいちゃん、このあいだはマジでサンキューな!」


「変態リコーダーランドセルおにいさん、一週間前はありがとうございました」


 それぞれいい感じの雰囲気を出しながら感謝を述べてくれるが、ユウトと松下ちょっと待て。


「おい、ユウトと松下よ。死力を尽くしてボールを取り返してきた戦士に向かってなんだその呼び方は。そもそもあれは俺が進んで不審者になりにいったんじゃなくて、お前らが俺を不審者に仕立て上げたんだろ」


「でもにいちゃん、案外ノリノリだったじゃん」


「そんなわけあるか! あの後ばれないようにするの大変だったんだぞ」


「わー、なんか今の発言、不審者っぽいですね。さすがです」


「何がだよ!」


 そんな感じで小学生二人を相手にムキになっていると、


「ねえねえ、おにいさん! そんなことよりもおにいさんにお願いがあるの!」


 アカリのハツラツとした声が鼓膜を震わせる。


 俺にとってはそんなことではないんだが……まあ小学生相手にムキになるのもよく考えればあまり大人びていているとは言えないしな。


 大人な俺は二人のことを水に流してやると、改めてアカリに向き直る。


「どうしたんだ?」


「あのね。私、おにいさんに聞いてみたいことがあって」


「聞きたいこと? なんだ?」


 すると彼女は曇りなき純粋な眼差しをじっと向けてこう問うてきた。


「おにいさんってさ、キスしたことある?」


「…………へ?」


 突然投げかけられた予想の斜め上を行く質問に思わず間抜けな声をあげてしまう。


「えっと……急にどうしてそんなことを?」


 俺の問いかけにアカリはハキハキとした声で話し始める。


「えっとね、私、昨日の夜にドラマ見てたんだ。高校生の愛憎渦巻く修羅場てんこ盛りのやつなんだけど、昨日の回に男女の高校生同士でキスするシーンがあったんだ」


 アカリは一度息を整えてから続ける。


「それを見て私、ふと思ったの。高校生ってみんなこんな感じで普通にキスしてるのかなって。それで今日学校でクラスの友達にそのことを話したら『当たり前だよ。高校生はみんなキスくらいしてるよ』って言われたの」


 えっ、そうなの?

 俺、してないんだけど。


 そう思ったがあえて黙って過ごしていると、アカリは、


「さっきユウトと松下にも聞いてみたんだけど、二人とも『分かんない』って。それでどうしようかなーって思ってた時におにいさんが通りかかったのを見て私、閃いちゃったんだ! 実際の高校生に聞いてみればいいじゃんって!」


 少し小首を傾げたのち、白熱電球を閃いた瞬間のようにウキウキとし出す。


 ほうほう。


 ここまで話を聞いてみて思ったんだが……なんでそこでよりにもよって俺を選ぶんだ?


 そんなの俺だって分かんないし、むしろ俺の方が知りたいんですけど?


 心の中でそう抗議してみるが、それはアカリには届かない。


「それで、おにいさん! 実際のところどうなのか、教えて!」


 キラキラと光る宝石のような瞳で俺を見据え、ずいっと詰め寄ってくるアカリ。


 ユウトと松下も少しは興味があるのかこちらの様子を注視している。


「えっと……」


 この数秒にも満たない刹那、俺は真剣に考えた。


 いかにして心理的ダメージを最小限にしてこの状況を乗り切るのかを。


 リスク覚悟で嘘をついて見栄を張るか、一時の恥だと割り切って正直に告白するのか。


 IQ180(願望)の頭脳を駆使して導き出した答えは……。


「……したことないな。そもそも彼女もいないし……」


 素直に打ち明けることだった。


 だって仮に小学生に嘘をついてもし後でそれがバレたりしたら……恥ずかしさと後悔で俺のメンタル、持たないよ?


「へー、そうなんだ。おにいさんはしてないんだね」


 アカリは納得しつつも驚いたように目を見開く。


 ピュアゆえの悪意のない言葉のナイフが俺のハートをかすめるが、かろうじて致命傷は免れた。


 あとはなんとか話題を逸らして心理的ダメージを最小限に食い止められれば、と楽観的に考えていたのだが……アカリは頬に人差し指を当てながら、核心をついた言葉を放つ。


「あ、でもでも。それはおにいさんが特殊ってことはない? おにいさんが極端に女の人からモテていないから彼女がいないだけとか」


 今度こそ、言葉のナイフが俺の心に突き刺さった。


 パリン、とひびの入っていたハートが完全に割れた音がしたような気がした。


 その時だった。

 なぜそんなことを口走ったのか自分でも分からないが、言葉が口をついて出た。


「…………キスしたことはないな。でも、されたことはあるぞ?」

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ようこそ!小倉家の日常へ ~俺と姉と妹で、ゆるっと日常更新中~ キサラギミツキ @bluewatch

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