3.インフルエンザ

 優しい幽霊の話、っすか……?


 何でそんなこと聞きたがるんすか? ……集めてるから? ふうん……物好きっすね。

 それなら一応、ちょうどいい話がありますけど……


 あ、でも、ちょっとだけ待ってもらっていいっすか? 今ちょうど、買い忘れがないか確認してたとこで……えーと、うん、ちゃんとある。よし。……あ、何買ったか、っすか? うち、去年から猫飼い始めたんすよ……なのでさっき、高校の側のペットショップ寄って、キャットフードと新しいおもちゃ、買ったんす。猫缶買い忘れてないかなって心配だったんで、見ました。


 ……懐かしいんすか? あ、あなたも猫飼ってたことあるんすか? ……まあそんな感じ? そうなんすね……猫、可愛いっすよね。ぼく、飼い始めてから、すっかり虜になっちゃいました。


 で、そうだ……優しい幽霊の話、っすよね。


 えっと、何年前だろ……七、八年前とかかな。ぼくがまだ小学校低学年くらいだったときの話っす。

 冬の寒い日で、雪もちょっとだけ降ってて……で、その頃、インフルエンザが大流行してて。ぼく、結構身体丈夫な方なんすけど、珍しく体調崩しちゃったんすよ。

 ただ、ぼくの両親離婚してて、ぼくの親ってシングルマザーなんすよね。まあ……離婚した母さんの判断は間違ってないと、今のぼくはそう思えてます。


 そんで、母さん仕事がすげえ忙しい時期で、その日休めなかったんすよ。めっちゃ謝られて……母さんは悪くないんだからそんな謝んなくていいのに、って子ども心に思ったっす。

 ぼく、そのとき、後日病院行ったら判明したんすけど、まあインフルエンザだったんす。で、インフルって結構症状辛いじゃないっすか? あんま罹ったことないんであのときのイメージっすけど……

 もう、息をするのもしんどくて。身体はすごい怠いし熱いし、辛くて眠ろうにも眠れなくて、ぼく、怖かったんすよ。……もしかしたら、このまま死んじゃうんじゃないかって。

 ぎゅっと目を閉じて……その瞬間、声、掛けられたんす。


 ――大丈夫かい?


 びっくりして目を開けたら、そこに、おじいちゃんがいたんすよ。

 母方のおじいちゃん。随分久しぶりに見たな、って思いました。そういえば最近会いに行ってなかったな、って。だから余計にびっくりして。


 ――きてくれたの……?

 ――ああ、そうさ。〇〇(ぼくの名前)のことが、心配だったんだよ。お母さんから、連絡があったんだ。

 ――そう、だったんだ……えへへ、ありがとう、おじいちゃん……


 おじいちゃんが優しく笑いかけてくれるから、ぼくも嬉しくなって、笑顔になっちゃいました。

 それからおじいちゃん、新しいタオルを冷水で洗って、温くなったぼくの額の上のタオルと取り替えてくれたんす。ありがとう、って言ったら、げほげほ咳が出ちゃって。ぼくがのろのろ上体起こしたら、優しく背中さすってくれました。……あったかかった。


 ――何か、食べたいものはあるかい?

 ――え……うーん……おかゆ、とか……?

 ――わかった。今からつくってあげるから、少し待っているんだよ。


 おじいちゃんはそう言って、キッチンに立つと、料理始めてくれたんす。辛い症状も、何だかおじいちゃんがいると思うと心強くて、少し楽でした。おじいちゃんの小さな背中見ながら、優しいなってぼんやり考えてました。


 ――できたよ、〇〇。


 やがておじいちゃんが、器に盛られたお粥持ってきてくれました。赤い梅干しが真ん中に乗った、可愛い感じの梅干し粥でした。


 ――熱いから、気を付けるんだよ。自分で食べられそうかい?

 ――うーん……

 ――それじゃあ、おじいちゃんが食べさせてあげようね。


 おじいちゃんは笑って、スプーンでお粥をすくうと、ぼくの口元に運んでくれました。ふう、ふうって息で少し冷まして、ぱくっと食べました。……美味しかったっす。体調悪いときに食べるお粥って、なんかいつもより美味しく感じられますよね。


 ――おいしい……

 ――そうかい。よかったね、〇〇。

 ――うん、ありがとう、おじいちゃん……


 元々そこまで量があった訳じゃなかったので、そんなに食欲なかったけどちゃんと完食できたんす。おじいちゃん、嬉しそうでした。


 ――そうしたら、眠るかい?

 ――うん……でも、ねれるかな……

 ――そうしたら、おじいちゃんが、手を繋いでいてあげよう。眠れるまで繋いでいるから、安心するんだよ。


 そう言って、おじいちゃんはぼくの右手を、両手で包み込んでくれました。おじいちゃんの手、冷たかったっす。……まるで、冬みたいだった。


 ――それじゃあ、おやすみ、〇〇。

 ――うん、おやすみ……

 ――…………

 ――…………

 ――…………

 ――ねえ、おじいちゃん……

 ――どうしたんだい?

 ――ぼくね、おかあさんに、ひどいことしちゃったかも……

 ――そうなんだね。どうして〇〇はそう思うんだい?

 ――だって……おかあさん、ぼくのせいで、おとうさんと、りこんしちゃった。

 ――うん。

 ――おとうさんが、ぼくをいっぱいたたくのは、ぼくがわるいこで、できないこで、だめなこだからなのに……おかあさん、「ぼくをまもる」っていって、おとうさんとりこんしちゃった……おかあさんとおとうさんって、あいしあってるものなんでしょ……だから、ぼく、おかあさんを、きずつけちゃったんだ……


 ……それは、幼いぼくの中に深く根ざしてた、罪悪感で。

 でも、誰にも言うことができずに、自分の中に閉じ込めてた気持ち、でした。


 ――そうだったんだ。〇〇、辛かったね。

 ――う、ん……

 ――でもね、おじいちゃんは、〇〇は全く悪くないと思っているよ。お母さんから、ちゃんと、聞いたんだ。お母さんも、おじいちゃんとおんなじ気持ちだ。〇〇が悪いなんて、お母さんはほんの少しも思っていないよ。〇〇のお父さんは、酷い人だったんだ。

 ――でも……おとうさん、たたいたあとで、ほんとうはたたきたくなんかないってないてるの……だから、きっと、やさしいの……なのに、ぼくは……

 ――本当に優しい人間は、息子に日常的に暴力を振るわないよ。


 おじいちゃんの声の響きは、すごく、力強かったんす。

 ぼくの閉じた目から、つうって涙が溢れました。


 ――〇〇が辛くなる必要なんて、全くないんだ。大丈夫。お母さんは、正しいことをしたんだよ。だからその「正しさ」を、〇〇は家族として、信じてあげるんだよ。

 ――うん……

 ――よく頑張ったね、〇〇。ゆっくり、おやすみ。


 悲しくて、嬉しくて、暫くの間涙が止まりませんでした。でも、そうしているうちに、段々と泣き疲れてきて……気付いたら、ぼく、眠っちゃってました。

 目が覚めたのは、母さんが仕事から帰ってきたときでした。


 ――ただいま、本当にごめんね、〇〇……ところで、あのお粥、誰がつくってくれたの?

 ――おかえり……おじいちゃんが、


 そう言ったところで、ぼくは思い出しました。



 ……おじいちゃんは、ぼくが生まれてくる頃に、既に他界してた。



 ぼくは衝撃を受けながら、同じく驚いている母さんに、今日あったことをぽつりぽつりと喋りました。堪え切れなくなって、抱えていた罪悪感のことも、少しだけ零しました。そうしたら、母さん、ぼくのことをぎゅっと抱きしめてくれました。


 ――ごめんね、気付いてあげられなくて……お母さんは、自分の選択は、絶対に正しかったと思ってるよ。〇〇のことが、こんなに大好きなんだもの……


 溢れ切ったと思った涙が、またぼろっと溢れました。

 その日は久しぶりに、母さんと手を繋いで眠りました。母さんの手は、おじいちゃんの手と違って、あったかかったっす。


 ……どうでしたか? これが、ぼくが昔体験した、優しい幽霊の話っす。


 おじいちゃんの墓参りには、今も定期的に行ってます。ありがとうの気持ちは、伝えられるうちに伝えておかなきゃっすからね。

 母さんとは今も仲良いっすよ……ぼくも母さんも飼い猫にメロメロなんで、何て言うんすか、こう、同じアイドル推してるファンみたいな関係性なんすかね? ふふ。

 ……猫の名前? ゆき、っす。白猫なんで……それと、あの日も雪、降ってたんで。


 ……ちなみに、あなたは何て名前なんすか?


 ……へえ、なんか、ちょっと珍しくて、かっこいい名前っすね……似合ってます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る