2.おやしきさま

 優しい幽霊の話、ですか?


 はい、ありますよ……もう、十年くらい前の話になるんですけれど。娘が、幼稚園生だった頃のことですね。


 実はわたし、霊感があるんです。と言っても、幼少期の方が全然強かったんですけれど。ですから子どもの頃は、たくさん不思議な体験をしましたし、きっと幽霊であろう存在を見かけたことも、何度かあるんです。でも、大人になるにつれて、そういうことは減っていって。


 ……霊感って、遺伝するみたいなんです。


 ある休日のことでした。おままごとセットを広げて、わたしは娘とおままごとをしていたんです。娘が「お母さん役」で、わたしが「娘役」でした。娘がつくってくれた一品目の料理――何だったかは、忘れてしまったんですけれど――が、まず、わたしに振る舞われたんです。わたしは美味しいって顔を綻ばせました。それから、娘が二品目の料理をつくってくれたんです。どんな感想を言おうかしらって考えていたら、娘がその料理を、わたしの前ではなくて、何もないところに置いたんです。きょとんとするわたしに背中を向けて、娘は言いました。〝おやしきさま、どうぞ〟って。わたしは呆然としました。そんなわたしをよそに、娘は言葉を続けます。おやしきさま、おいしい? ……ほんとう? うれしい!


 わたしは娘の名前を呼びました。振り向いた娘に、尋ねます。「おやしきさま」とは、一体何かって。そうしたら娘が、虚空を指さしながら、不思議そうに言うんです。……そこにいるじゃん、って。


 わたしには何も見えませんでした。何度瞬きしても、何度目を擦っても、「おやしきさま」を見ることはできませんでした。わたしの動揺など気に留めずに、娘は料理をつくり続けます。奇数番目の料理は、わたしに。偶数番目の料理は、「おやしきさま」に振る舞われて――十個ほどの料理をつくり終えた辺りで、おままごとはおしまいになりました。


 その日からというもの、娘が時折「おやしきさま」の話をするようになりました。


 その過程で、わかったこともありました。娘が「おやしきさま」がいると言うのは、きまって家の中であり、家の外に「おやしきさま」がいることはないようでした。ですから、家をさす言葉である「お屋敷」が名前の由来になっているのかもしれないと考えたんですが、真相は定かではありませんでした。また、「おやしきさま」の形状について娘に尋ねると、〝しろくて、ながい〟という答えが返ってきました。


 ところで、わたしと夫と娘の住んでいる家は、結構古いんです。元々は夫の母方の祖父母が住んでいて、祖父母が他界したのを契機に、わたしたちが住み始めることになったんです。


 ですから、夫なら何かを知っているかもしれないと思って、聞いてみたんです。でも、夫は「おやしきさま」に全く心当たりがないようでした。まあ、それもそのはずだったかもしれません。何しろ、夫の家系には霊感のある人が殆どいなかったようですから。存在を感知できなければ、それはいないことと同義ですもんね。


 引っ越しをすることも検討しました。娘にしか見ることのできない「おやしきさま」との共同生活は、何だか不気味だったからです。でも、そうするとこの家に住む人はいなくなってしまいそうでしたし、おじいちゃんっ子でありおばあちゃんっ子でもあった夫のことを考えると、中々気が進みませんでした。


 ……ところで、あなたは覚えていますか?


 十年前の×月×日に、大きな地震があったこと。


 その日は休日でしたから、わたしも夫も娘も家にいたんです。それで、三人でどこかに出掛けようかという話になって。娘はおしゃれなお洋服に着替えてくるって言って、自分の部屋に戻っていったんです。あの頃の娘は、もう自分でお洋服を選びたい年頃だったみたいで、ですからわたしと夫はリビングでテーブルの椅子に座りながら、娘が着替え終わるのを待っていました。


 そうしたら、急に、ぐらっと揺れて。普段のような小さな地震でないことは、すぐにわかりました。わたしは慌ててテーブルの下に潜り込もうとして、……それで、さあっと血の気が引きました。娘が、部屋にひとりきりだということを思い出したんです。


 すごい揺れで、上手く立っていることもできなくて。夫の言葉も聞かずに、わたしはどうにか娘の部屋へと走りました。途中転んでしまって、その痛みすらもどうでもよくて、とにかく一刻も早く、娘のところへ行かなくてはならないと思って……


 実を言うと、昔のわたしと夫は災害に対する危機意識を余り持っておらず、正直なところ対策も杜撰だったんです。今考えると、本当に愚かなことをしていたと思います。

 それは娘の部屋にも当てはまっていました。祖母が使用していた大きな和箪笥を、家具固定をすることもせずに、そのまま衣類を仕舞う場所として娘に使ってもらっていたんです。


 もしも娘が、倒れてきた和箪笥の下敷きになってしまっていたら――


 そう考えると、心臓が握り潰されるような気持ちになりました。娘の部屋に辿り着くまでには一階分しかないはずの昇り階段が、そのときはとてもとても長く感じられました。


 ようやく、娘の部屋の扉の前に来て。

 泣き出しそうになりながら、どうか無事でいてくださいって祈って、扉を開けたんです。

 そこには、尻餅をついた娘と。



 和箪笥の前に、三メートルくらいありそうな、長細い真っ白な「何か」が、いました。



 わたしは呆然と「何か」を見つめました。「何か」には目のような真っ黒い二つの穴がありました。「何か」も、わたしを見ているようでした。その、目の下に、三日月のように大きくて真っ赤な穴が生まれて、……「何か」は笑っているのだと、数秒遅れて気が付きました。


 夫に大きな声で名前を呼ばれて、わたしははっとして振り返ります。そこには焦りの表情を浮かべている夫がいました。


〝おやしきさまだよ〟


 娘の声がして、もう一度部屋の方を見ると、もう「何か」はいませんでした。


〝おやしきさまが、たすけてくれたの!〟


 もう充分に、理解していました。

「何か」が――「おやしきさま」だと、いうことを。

 そして……「おやしきさま」が、娘を救ってくれたのだということも。


 わたしが「おやしきさま」の姿を見ることができたのは、そのときだけです。娘も歳を重ねるにつれて、「おやしきさま」の話をすることはなくなりました。夫は霊感がないので、そもそも存在を認知できることはなかったみたいです。


 その家には今も、家族三人で住み続けています。


 住み続けることが――成長を伝え続けることが、もしかしたら恩返しになるかもしれないと、そう思っていて。これは、わたしのエゴかもしれないんですけれどね。


 話を聞いてくださり、ありがとうございました。

 あなたは、優しい幽霊に出会ったことがあるんですか?


 ……優しい人間に、出会ったことがあるんですね。

 それも、とても素敵なことだと思いますよ。

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