1月6日

〇 〇 〇


 男の子と別れて、しばらく経った。

 いくつもの日が昇っては沈んでいった。いくつもの草木が咲いては枯れていった。

 そんな中、私は独りだった。ずっと独りだった。

 私は願った。


 許されるならば、いつかまた彼に会いに行きたい。

 そしてこの想いを伝えたい。


 そんな想いを秘めながら、長い年月を、彼が私に歌って聞かせていた歌を口ずさみながら、ずっと独り過ごしていた。



〇 〇 〇


 朝が来た。冬休み最終日。

 ……別れの日。

 ベッドから出たくはなかった。ベッドから出てしまうと一日が始まってしまうと感じたから。白と別れなければいけない日が始まってしまうから。


「二人とも、もうそろそろ起きてらっしゃい」


 母さんの声が響いた。

 俺は観念してベッドから抜け出す。

 着替えを済ませて、ドアを開けた。

 そのタイミングで、隣の部屋のドアも開く。中から白が出てきた。

 しばらく黙り込んだまま見つめ合う。

 そして口を開いた。


「……おはよう」

「……おはようございます」


 お互い挨拶をし、二人一緒に下へと降りた。



〇 〇 〇


 二人で神社へと訪れる。

 私服で立っている夢月の姿を見つけた。

 立っている夢月は何の仕事もしてなく、手をぶらつかせて、どこか心もとないような、そんな姿に見えた。

 こちらと目が合い、夢月が近づいてくる。そして言った。


「二人でいられるのが今日で最後なんだし、こんなつまらない場所じゃなくて、もっと他の場所でデートしてた方がいいんじゃないの?」


 そんな夢月の言葉に、白は首を横に振る。


「いえ、ここは大切な場所ですから。最後だからこそ見納めしたいんです」

「……そっか」


 白の言葉に静かに微笑む夢月。

 白が提案する。


「これから三人でお出かけしませんか?」

「え、私も一緒でいいの? 最後なんだし、二人の方が――」

「いいんです」


 首を縦に振る白。夢月の目が俺に伺う。俺も首を縦に振った。


「そう。それならご一緒する」


 夢月が加わる。

 そして時間の許すまま三人で遊んだ。



〇 〇 〇


 大切な時間だからこそ、あっという間に過ぎて行った。

 もう日は沈み、辺りを赤く染めていく。

 ふと夢月が口を開いた。


「それじゃあ、私はもうそろそろ帰るね」


 穏やかな口調。しかし夢月の顔は、何かを耐えているような、そんな表情を浮かべていた。

 すると白が夢月に抱き着いた。

 夢月の胸に顔を埋める白から、嗚咽を漏らす音が聴こえてきた。

 その頭を撫でる夢月。


「頑張ってね、白」


 消え入りそうなほどの、小さな夢月の声が、白を励ましていた。

 しばらく抱き合っていた二人が、その体を離す。


「じゃあね」


 手を振りながら去る夢月。幼馴染は振り返らなかった。そんな彼女を二人で見送る。

 そして白がぼそりと告げる。


「最後に行きたい場所があるんです」


 俺はそれに首を縦に頷いた。



〇 〇 〇


 訪れたのは、雪に覆われた原っぱ。

 夕暮れ時の雪原。白のキャンバスに赤色を染めていく。

 周りは静かで、風だけが吹く。

 俺たちは二人並びながら、その光景を眺めていた。


「私、あなたに会えてよかったです」


 柔らかな口調で言う白。


「俺の方こそ」


 俺も頷いた。


「これでお別れです」

「……あぁ」


 約束した。最後、別れる時に、俺達の関係も終わりにしようと。

 もう、その時が来たのだ。


「あの……」


 上目づかいでこちらを見る白。そんな彼女を見て胸に切なさを覚えた。


「離れる前に、手を握ってくださいませんか?」

「いいよ」


 差し出された白の手を掴んだ。

 温かな感触に触れた。手放すのが惜しいほどの温もりだった。

 白も俺の手を握り返してくれる。


「目を瞑ってください」

「わかった」


 言われたとおりに目を瞑る。


「とある昔話を聞いていただけますか?」

「いいよ」


 白が静かに語る。


「昔、怪我した狐を、優しい男の子が助けてくださいました」


 それは昔々の、少女の物語。


「狐は男の子の優しさに触れて、いつしか好きになってしまいました」


 そして、男の子の物語。


「ずっと男の子と一緒でした。四六時中、ずっと一緒にいました」


 共に過ごした、二人の時間。


「ですが、二人は離れ離れにならなければなりませんでした。そうならざる負えない現実があったのです」


 その現実は、残酷だった。


「離れ離れになっても、狐は男の子の事を片時も忘れることが出来ませんでした」


 いつしか少女は希望に縋るようになった。


「狐はもう一度彼に会いたいと、願いました」


 少女の儚い想い。


「そして狐は、男の子に会いに、想いを伝えに行きました」


 それは希望を叶えた、幸せな少女の物語。

 幸せな結末だった。


 ふっと風が流れる。冷たい風に体が凍えるが、触れる手は温かいままだった。


「あなたの事が好きです、和志さん」

「俺も好きだよ、白」


 想いが溢れそうになる。

 でも約束をした。

 これでお別れにしよう、と。

 最後は笑顔でいよう、と。


「なぁ、白」

「なんですか?」

「俺って今、笑えているかな?」

「……はい、笑えています」


 穏やかな声で、白が答える。

 それならいい。


 目を瞑った先の真っ暗な世界で、俺は白との思い出を振り返っていた。

 いきなり目の前に現れた白。告白してきた白。母さんの手伝いをする白。俺と付き合うことになって嬉しそうにする白。どこか楽しそうに巫女服で仕事を手伝う白。俺に膝枕をしながら歌を歌う白。

 たくさんの白が浮かんだ。たくさんの笑顔が浮かんだ。

 思い出すのは、楽しいことばかり。

 ふと、一つの欲が生まれた。


「最後に、もう一度あの歌を歌ってくれないかな?」

「はい」


 白は歌った。かつて俺が狐に歌って聞かせた子守唄を。いつしか俺が聴く側になって、好きになった唄を。

 いろいろな感情が心の中をうごめいていた。いろいろな思いが巡っていった。

 この恋はいつまでも続くと思っていた。永遠だと勘違いしていた。

 そんな想いを歌は乗せ、そして流れていく。それはまるで音楽そのものだ。音はその瞬間にしか流れないが、想いはずっと心に響き続ける。

 ――きっと俺もそうなるんだろう……。

 この瞬間しか聴けない歌を、想いを、俺はただ黙って聴き入っていた。

 心の底から熱いものがこみ上げそうになる。零れないように、決壊しないように、必死に耐えた。

 すると不意に、歌が止んだ。

 頬にちゅっと音を立てて、温かな感触が触れた。


「さようなら」


 声がそう告げて、手の温もりが消えた。

 目を開ける。

 隣にいたはずの人が、大切な存在が、愛しい存在が、もうそこにはいなかった。


「あ、あぁ、ぁぁ……」


 俺の口からもう抑えきれない、嗚咽が零れた。

 膝から崩れ落ちる。

 耐えてきたものが、とうとう決壊してしまった。


「くぅぅ、ぅぅぅ……」


 目から涙がぼろぼろと零れ落ちる。涙は枯れることなく、目から頬へと伝って流れ落ちていく。

 俺の恋は終わってしまった。

 それは、儚くも、切ない、想いだった。

 俺は、ただひとりもう戻れない過去を思っては、どうしようもできない想いに、感情に浸ることしか出来なかった。



 白がいた場所、小動物の小さな足跡がはるか先へと続いていた。


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